1-3.散歩の必要性

 宣言通り、ウナはシャルハについて回るようになった。

 これまで神殿から出てこなかった天使の存在に、使用人や他の王族は困惑していたが一日も経つと慣れてしまった。

 一方、慣れないのは当のシャルハだった。


「ウナ! そんなところに登るな!」


 その日は大広間のシャンデリアにぶら下がるウナを叱責するところから始まった。


「揺れているので心地いいんだけど」

「知るか!埃が落ちてきてこちらは不快だ!」

「埃?」


 宙を舞う灰色の埃を、ウナは指先でつまみ取る。


「こんなもので不快になるなんて人間は不便だな」

「天使はもう少し清潔な生き物だと思っていたけど、違うんだな」

「そんなことより、シャルハ。私は散歩に行きたい」

「勝手に行けばいい」


 素っ気なく返したシャルハは、次の瞬間頭に加わった重みに前かがみになる。頭の上には、シャンデリアから落ちて来たウナが悠然と座っていた。


「一人ではつまらないから一緒に行こう、我が女王」

「ボクは公務があるんだ」

「公務よりも私との時間のほうが大事だと思う。うん、大事だ。今決めました」

「頼むから口調を統一してくれないかな」

「長く生きているとゴチャゴチャになってしまう。でも私は愛の天使だから、そんなことは全く気にしない」

「ボクが気にするんだけど」

「そうだな、城の庭園を一回りして泉で一休みしよう。いいプランだと思う」

「泉?」


 ウナを頭に乗せたまま、シャルハは疑問符をあげた。


「庭園に泉なんてない」

「え、嘘。北に大きな柏の木があって、その下に泉があるはず」

「とっくにどっちも枯れた。ボクが生まれるずーっと昔に」

「そんなぁ」


 あそこ好きだったのに、と嘆くウナを頭皮で感じながら、シャルハは相手が確かに何百年も生きている天使である事実を噛みしめる。


「その時の王と行ったの?」

「そう。リヒティンと」

「リヒティン王って百年前の王だったような……」

「はぁ、でも泉がないんじゃ散歩するのもつまらないなぁ。何かいい場所はないの、我が女王」

「………泉はないけど噴水ならある」

「噴水? それは城下町にあったのと同じもの?」

「あれより小さいけど、立派なやつ」

「よし、じゃあそこに行こう。公務とやらはその後だ」

「はいはい」


 諦め気味にシャルハは返事をすると、大広間を出る。

 使用人たちが忙しく掃除する間を通り抜けて庭に出ようとすると、ルーティが呼び止めた。


「お出かけですか、姫」

「城の庭園を散歩するだけだ。すぐに戻る」

「畏まりました。お気をつけて」


 庭に出ると、ウナがようやくシャルハの頭上から地面に降りた。


「右回りか左回り。どっちがいい?」

「どっちでも変わらないような」


 思わずそう零したシャルハを、ウナが「信じられない」と言いたげな顔で見上げる。


「違う。全然違う」

「違うの?」

「いい、我が女王。いつも見ているものだけが物の全てじゃないことぐらいわかるでしょ。偶に視線を上に上げれば、「あー、あんなところに蜘蛛の巣があるなー」とか、視線を下に下げれば「わー、あんなところにも蜘蛛がいる」とか思うものなの」

「ウナの周りはそんなに蜘蛛がいるの? 大丈夫?」

「たとえ話が上手く出なかっただけだもん。兎に角、いつも右回りなら左回りとかいろいろ変えるのが散歩の醍醐味なの。シャルハはいつもどっち回り?」

「………いや、庭を散歩したことない」


 今度こそウナは目を見開いて「信じられない」と叫んだ。


「つまらない女王!」

「大声で言わないで」

「こんなに素敵な庭があるのに散歩をしないの? どうして!」

「どうしてって言われても……。野山を馬で駆けるほうが好きだし。庭は狭すぎる」

「はぁ…なんということなの。こんなつまらない王に愛を語られる未来とか考えただけで憂鬱」

「そこまで言う? 普通は狭い庭より広い野山のほうがいいと思うんだけど」

「小さい、小さいなぁ。王ならば自分の所有物は把握しておくべきなの。そんなんじゃ庭師が綺麗な花を咲かせても、気付けないじゃない」

「花ぁ?」


 今度はシャルハが大きな声を出す。


「花なんか咲いたからといって、それがボクに何の関係がある」

「わかってないなぁ。庭師の愛なんだよ、それは。庭への愛、花への愛を込めて花を咲かせる。それに気付いてあげるのが王の務めでしょ」

「愛ねぇ……」


 納得出来ないでいるシャルハに、ウナは痺れを切らした。


「決めないなら私が決める。……右!」

「……どうぞ、お好きなように」


 城の敷地は非常に広い。領地内にある村が一つ丸ごと入るほどの面積がある。

 城は敷地の中央に立っていて、正門側は民衆にも開放される広場になっているが、裏門側は王族や使用人しか入れない。

 そこに広がる庭園は、幾人もの庭師が昼夜問わず手入れを続けることにより、一年中美しい装いを保っていた。


「そういえば最初から気になっていたんだけど」


 庭を歩きながらシャルハは、即位の日から疑問に思っていたことを口に出した。


「ウナは羽はあるのか?」

「羽?」

「天使様には羽があると、この国の歌にもあるし、ボクもそう教わってきた。でもウナが羽を出しているのを見たことがない」

「なんだ、そんなこと」


 ウナはそれまで裸足で土の上を歩いていたが、右足に力を込めて地面を蹴ると、そのまま宙に浮かんだ。

 長い金髪が陽に照らされて美しいが、その背に羽はない。


「羽は持っているけど、なくても困らないから普段は出さないだけ」

「出したほうが天使らしくないか?」

「あろうとなかろうと、私が天使であることには変わりない。そなたの王冠と同じ。王冠を被っていないから王でないことにはならない」

「それとこれとは話が違うような……」


 そんな話をしながら刈り込まれた植え込みのあたりを通過する時に、ウナが急に短く声を上げる。

 シャルハがそれに問い直すより先に、誰かが植え込みの陰から飛び出した。

 間一髪で左に避けて衝突は防いだシャルハだったが、そのままバランスを崩して転倒する。

 ほぼ同時に、陰から飛び出してきた相手も地面に接吻をしていた。


「大丈夫? 我が女王」

「私は平気だ。……君、怪我はないか?」

「ふにゃい……」


 地面に顔を伏せたまま、茶色い髪を二つに束ねた女は妙な声を出した。着ているのは黒いメイド服。傍らに転がった箒が、女の素性を語っていた。

 顔を上げた女は、相手が誰だか気付くと今度は悲鳴を上げて後ずさった。


「申し訳ございません、シャルハ女王様!」

「いや、こちらは問題ない。君は新しく入ったメイドか?」


 泣きそうな顔をしている、自分よりも年下であろう相手にシャルハは優しく声をかける。

 灰色の猫のような瞳が印象的なメイドは、小さな鼻の先に土を付けたまま深くお辞儀をした。


「ガーセル卿付きのメイドで、ティアと申します。まだお仕えして日が浅く、お庭が広くて迷ってしまいまして、それで……」

「ガーセルのメイドがどうして此処に?奴の屋敷は離れているが」

「即位式の時に人手不足でこちらのお手伝いに来ていたのですが、卿が女王様のお祝いにこちらに訪れるということなので、それまでご厄介になっています」

「……そういえばルーティがそんなことを言っていたな」


 一人で納得するシャルハは、しかしティアが何やら熱い視線を向けているのに気付くとそちらに視線を戻した。

 灰色の瞳を輝かせ、頬を紅潮させている姿は即位式の時の若い女達によく似ていた。


「なんだ?」

「………も、申し訳ございません。私ったら。憧れのシャルハ女王を間近に見たものですから、なんかもうキューっとしてしまって」

「キュー?」


 ティアは自分のメイド服の裾を掴むと、恥ずかしそうに体を左右に揺らす。それに合わせてツインテールも跳ねるように踊った。


「卿に仕えた時に、シャルハ女王に会えるかと少し期待をしていたんですけど、まさかこんなに早く願いが叶うなんて。シューっとします」

「シュー?」


 よくわからない擬音を使う相手に戸惑いながらも、シャルハは直接の好意に気をよくしていた。

 自身が若い女に人気があることは知っているが、その賛辞を直接受けることは無い。せいぜいが、あの不愛想な執事に「若いお嬢様方が騒いでいます」と報告してくる程度だった。

 相手が自分よりも少し幼いこともあってか、可愛い動物でも眺めるような気分でいたシャルハだったが、ティアは突然顔をあげた。


「いけない、まだお掃除の途中でした!」

「だろうね」

「女王様、失礼いたします」


 もう一度お辞儀をして城のほうに向かったティアだったが、途中で立ち止まると振り返り、そして顔を真っ赤にして走り去って行った。


「……猫みたいで可愛いな」

「我が女王、あぁいうのが好みなの?」

「そんなんじゃない。ただ傍に置くなら、あぁいうメイドのほうがいいと思っただけだ」

「やめたほうがいいと思うけど」


 宙を浮遊しながら、ウナはティアの去ったほうを見つめて呟いた。


「シャルハを見る度に赤面して仕事にならないと思うの」

「そういうものか」

「そなたにはルーティぐらいがちょうど良い」

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