貧乏くじ男、東奔西走
「なんだいまたハズレかい」
「本当にアタリが入っているのか聞きたいもんだ」
「入っているさね。当たるのはたった30Gのアイスキャンデーが1本だけどね!」
「今度こそそいつを拝みにまた来るよ」
「まいど」
缶箱の底をコインが打つ。どっちが長生きしているのか分からない古い木のドア、その底に組み込まれた滑車がガラガラと音を立てた。ここには少年たちが泥だらけの靴でやってくるが、重そうな腰を上げて掃除だけは欠かさない家主のおかげで中は奇麗なものだった。葉々の形で複雑に遮られた上でも刺すような日差し、木々の匂い、夏の熱気がまとめて俺を迎える。それから、
「ゲンエーそれ好きだな!」
ハズレの棒を見たダイゴロウ大将が“ゲンエー少年”となった俺をからかう。彼の持っている長い棒切れのほうが夏休みの山を駆け回るにはよほど役に立つのだ。
「マドノ川まで行こうぜ! ミッチーが待ってるからさ!」
「おう」
そう返事をしたけれど、すまない大将。今日はここまでとしよう。
* * * *
互換機能を付けた特製の没入装置を外した。本物のコップに入れた本物の水を少し口に含んで、感覚を確かめてから飲み込む。明日もまたハズレを引きに行くつもりだが、はたしてこの勘は信用に足るものかどうか。
「あら葉柱さん」
ドアを開けて通路へ出た途端に糺の姉さんとばったり。こういう“装置から戻った後”は大体あちらさんがタイミング良く現れるのだが。
「どうも。これから任務かい? 調べ物?」
「調べ物の方ね。葉柱さんは…ハズレのアイスキャンディ?」
「ご名答。って何で分かったんだ」
「前に話してくれた時の顔と同じ表情だったから」
「…そうかい」
一体どんな表情をしてるんだ俺は。
古い電脳娯楽装置を集めるのが趣味の一つである俺が最近通っている『駄菓子屋 ちぎり屋』。そこで主人公の少年となった俺は『ジャギーばあさん』からソーダ味のアイスキャンディを買う。アイスの棒には極希に『アタリ』と書いてあって、そいつを引き当てればもう一本アイスキャンディが貰えるらしい。“きゃんでー”か。まぁともかく、かりそめの味覚にチープなソーダ味。システム上は他に何の恩恵もないが、まあそれも乙なもの。……と言ってもこれは物語の本筋ではなく、あくまで構築再現されたあの世界に散りばめられた要素の一つだ。住人に頼まれたことをこなせばアイテムやらゴールドやらが得られる昔からよくある仕組み。ソーダ味の体験が報酬なのだろう。ある軸である期間だけ存在した“駄菓子屋”の情報は気になって集めたことがあるが、まあ座標に随分隔たりがあるにしてはよく再現している。
『内部通信 内部通信 ハバシラさん ミカイさんがお呼びです』
「はーいよ」
「オペレーターに返事をしたつもりならもう一度お願い。私に聞こえてる」
「おっとこりゃ恥ずかしい」
『…はいよ』
* * * *
翌日、主なき豪邸にて。
「じゃあどうして人形たちは主人が健在だと主張するんです?」
「存在意義を失ってしまうからさ」
武装人形を多数所有したまま“ロスト”したターゲットの自宅に潜入した俺は後輩と共に人形たちの……破壊に赴いていた。武装人形たちの主は既に亡くなっている。ネットに漏れる取引情報、彼が信頼できる連絡先に常時送信しているバイタルデータ、“先に”現地視察に入った部隊の証言全てがそれを裏付けている。だが困ったことが起きた。亡き主が趣味で屋敷内に置いていた武装人形――限りなく人間に近い、“防犯のために武装している”アンドロイドたちが後片付けのため屋敷に入ろうとした人間を拒んだのだ。「主人は未だ生きている」「許可なき者の侵入を許すわけにはいきません」と、口を揃えて彼女たちは主張した。
「言っておくがメイドたちはかなり精巧に造られてるぞ。それも美人さんしかいない。その上で論理回路を自分で捻じ曲げた可能性が……まあつまり、あちらは遠慮がない。お前さんはどうだい」
「躊躇いませんよ、相手は所詮人形です」
「そりゃあ心強い」
「葉柱さんこそ、電脳剣道ってのは“こっち”でも活かせるんですよね、銃器を持ってきていないと聞きましたが…」
「楽しみにしておいてくれ。俺の基本的な戦闘スタイルは送っておくよ」
彼女たちが使うのは原則捕縛のための麻酔系の武器だと調べてある。警棒みたいなもので襲ってくる可能性はあるが、それなら怖いものはない。武装人形たちの懸命な判断で屋敷内がクローズドネットワークになっていることは少々厄介か。
今回の仕事には依頼主がいる。その中で、主を失った人形たちにも思いがあると考える奴もいるだろう。機械と人間の定義は人それぞれ。それなりの恰好をしてそれなりに考えて喋るように見えるアンドロイドがその境界線の上に立って何かを訴えてくることだってある。頼まれごとだから気が乗るのか、喜ぶ顔が見たいから気が乗るのか、お礼が貰えるから気が乗るのか。そして、アンドロイドを破壊できるか。人間と似ていてもだ。答えは別に何だっていいと思うが、この辺りの自分の在り方は一度ハッキリさせておくべきだと後輩には伝えた。そうしておけば少し早く動けるときがある。少し深く気付けることがある。
* * * *
都合こちらも翌日、ちぎり屋にて。
「何本目のハズレだい」
「これで16だな」
畳の上に敷いた色褪せ小豆色の座布団の上でジャギーばあさんがニヤリと笑う。
「もっと役に立つ道具を買いな。癇癪玉にスリングショットの豪華セットなんざどうだ」
「中々魅力的だが遠慮しておこう」
「こんな梅干しみたいな顔を毎日見ても嬉しくないだろさ」
「そいつは…俺が決めることさ」
これは単なる勘だ。
「アンタ、子供はもう少しそれらしい発言をしないかい」
単なる間で、単なる感覚でしかない。だがこのジャギーばあさんなる“登場人物”は、どうにも“人間味が滲み出ている”。
「中身が少年とは限らないだろうに」
メタ発言を一つ。さてどう返す。
「少年のつもりで遊んでもらわんとね」
「そうすると、誰が喜ぶんだ」
「その辺にしとき」
判断するにはもう少し…か。ジャギーばあさんの梅干しみたいな顔から内面を読み取ろうとするがそれも叶わない。「また来るよ」と言って今日も駄菓子屋を出た。俺が『ツレール釣り竿』も『トレール虫網』も買わずにアイスキャンディを買い続けるのは、この世界で想定された“遊び方”からすればイレギュラーなのだろう。この電脳娯楽装置のパッケージの謳い文句はこうだ。
――ある時間軸の、ある場所の、夏の体験
これに関してはよくできていると思う。例えばそう…澄んだ水の流れにサンダルの右足を沈めた時の冷たさ。丸くなった石が窮屈そうに音を立てて、蝉たちを筆頭に何匹何種類もの声が混ざる中で聞こえていた川の流れがふと静まったような気がして。流れに沿って視線を下流へと運び、ふと川の先を想像して、その後で源を想う。木の枝を握った二人の指揮官が棒立ちしている俺に何か叫んだのが聞こえて、彼らが手際よく作った笹舟二艘が競うように足首のあたりを進んでいくのを見送った。あんなにも簡単な作りで、不安定ながらも急流を進んでいく。全てが濃密で、何か生命に近しいものに満ちていた。少年になりきった俺は目眩のするような自然に覆われた山の中で、素朴に流れる時間体験に確かに興じていたのだ。
その意味では“オマケ”とも思えるような場所、駄菓子屋『ちぎり屋』に訪れた時ふと登場人物の一人が目についた。それがジャギーばあさんだ。ある水準以上になった娯楽装置ともなれば人間一人の再現度は俺たち“本物の人間”の判断力を超えたものになってしまう。会話のパターン、応答の正確さ、身体の所作全てがそいつをバックグラウンドを含めて一人の人間であると錯覚させてしまう。あとは、俺たちがそれを楽しむと決めてしまえばいい。ゲンエー少年が川でダイゴロウ大将やミッチーたちと遊んだように。…ところがだ。少々話がややこしいが、俺たちは本物の人間が自身の人格をデータに落とし込んだ例をいくつも見ている。俺たちのように外から意識を維持して客人として入り込むのではなく、電子の世界に再現された本物の人間。その仮想の本人が、電脳娯楽装置の中に紛れていたとしたら? 俺の持論が混ざるが、多くの場合に現実側の本人は再起不能となっている。ネットの海に溶けるか閉じた世界と一体になるかに限らずだ。ジャギーばあさんがこのケースなんじゃないかと疑った俺は、30Gを握ってちぎり屋に通うようになった。
「まいど。30Gだ。アンタも飽きないね」
「こうなったら当たりを引くまで続ける」
「店としちゃあ有り難いねえ。せめてキャンデーは外で食べな、その方が開放的さ」
しわを深めて笑うジャギーばあさん。
「そうさせてもらう」
夏の密度に冷たいアイス棒を持ち込もうと決心した俺は引き戸の持ち手の金具に触れる。
「ゲンエー、アンタ、“日本の三道”のことは分かるかい」
手を止めた。振り向かずに答える。
「書はともかくお茶もお花もからっきしさ」
「そっちじゃないよ」
「剣道なら自信はある」
「そうかい」
ここでようやく振り向いた。何故それを聞いたのか、やっと話す気になってくれたのか、それを確かめるために。
「キャンデー食べ終わったら、悪いけどもう一回来てくれ」
ジャギーばあさんはほんの少し嬉しそうだ。
「お安い御用」
からからぴしゃんとドアが鳴って、ゲンエー少年が外に出る。
「おっと」
一滴、ソーダ色に澄んだ滴が灰色の石に吸われて乾いた。すぐに口に含んで前歯で砕く。ソーダ味の冷たさが口の中に広がった。もわっとした風、しかし同時代の都会のそれよりずっと心地よい風が何かを伝えてすぐに去っていく。
「おーいゲンエー」
大将が自転車漕いでやってきた。
「おぉぅ」
しまったこのままでは上手く喋れない。飲み込んで、棒を横にして最後のかけらを口に入れた。いつものように小さな棒を見やる。
「…む」
たったの三文字の解釈にえらく時間を要してしまった。そこには『ハズレ』と書いてあるものであると、頭が思い込んでいたからだ。
「ゲンエーまたソーダアイスかよー」
「ところがだ」
「お、当たりじゃん」
「ってことで交換してもらってくる。もう少し待っていてくれ」
当たるのはたった30Gのアイスキャンデーが1本だ。
がらがらとだけドアが鳴って、ゲンエー少年は声高らかに示した。
「ジャギーばあさん、当たったよ」
* * * *
翌日、俺は山奥の石階段を上っていた。左右の土が崩れて石の表面が埋もれたようになっている。山奥へ入るほどに複雑に重なる木々の間から差す陽の光が少なくなったような気がして、ふと青空の色を探しに背の高い木々を伝って見上げる。
小さなお寺だ。足を運ぶ人間も手入れする人間もいないからか石畳にも苔が目立つ。境内の、御本尊までの空間は妙に広く取ってあった。少なくとも板張り10メートル四方と同じだけの大きさが。
――アタシはここから出ることができない。お寺にいるのは私の息子さね。恐らく鎧を着た武士の格好をして現れるけんど、ちょっと合図をしてやればアンタに合わせた格好に変わるはずさ。
――事情は分かった。俺はそのドラ息子をどうすればいい?
――倒してしまって構わない。そうでもしないと話を聞きゃしないだろうさ。あの子に何か言い分があるなら聞いてやってくれ。
はて、ジャギーばあさんの言う鎧武者ごっこをしたドラ息子とはいずこに……おいでなすった。
ここへ入ってから初めて見た演出だ。朧げにヒトの形になった影に筆が出されていき質感を得ていく。一度、古い鎧を着た武者が形になった。顔は面兜で見えない。
「見ての通り俺は子供だ、随分と不利な試合じゃあないかい?」
嘘偽りはない。相手の背格好は成人男性のそれだ。鎧も腰に差した刀も“本物相当”ならば。俺は少年になっている。装備はTシャツに短パンにサンダル、得物はちぎり屋で買える最高のもの、修学旅行の木刀のお古だ。合図ってのは、こうすりゃいいのかい。
「……」
中段の構え。面も無ければ持っているのは竹刀ですらないが、
「何?」
一瞬の出来事に頭が混乱した。俺は、剣道場にいた。防具は全て揃っている。日本式。経験はある。面の向こうの視界はすぐに馴染む。鎧武者もまた剣道一式の姿に変わっていた。やっこさんの面の奥は相変わらず見えない。視線が追えないのは少々……む? 気付けば俺の体格が本来のそれに戻っている。まあ装置から大まかなデータは取れるのかもしれないが、
「文句なしに平等だ。少し準備運動させてくれ」
板張り床の感覚、竹刀の具合、そして身体の動き。見たところ主審も副審も現れない。相手が声を出せるのかどうかも分からない。俺が準備運動を終えるタイミングで、相手は開始線に一歩近づいた。
* * * *
「山の開発に母さんが反対したんだ。もちろんそれでどうにかなる話じゃなかったし、俺たちが駄菓子屋のお菓子を全部買っても全く足りないくらいのお金が動いているのが分かった」
「なるほどな……ヨーイチの母さんは本当は何て名前なんだい」
「ジングウ ヨシコだよ。 ヨシが“ギ”って読めるからギーコおばさんって皆に呼ばせてる」
でそのうちジャギーばあさんになるのか。……少々無理があるような。
「ゲンエーは?」
「ハバシラ ゲンエイ」
「そのままじゃん」
「ヨーイチもヨウイチだろう」
「そうだなー」
話は少々複雑だった。俺の立ち会った影はジャギーばあさん……ジングウヨシコさんの息子ヨウイチではなかったのだ。ただ、彼らと同じように森林開発に反対した人間がいた。その人間はちぎり屋を含めた山一帯の景観がガラリと変わってしまう前に、その空間全体を保存したのだ。もっと後の時代にこれが作られていたならば何か変わったかもしれないな、電脳娯楽装置にはデータを扱う以上容量制限がある。運悪く……運良くか、データを圧縮すればこのタイトルに昔のちぎり屋がある山をそっくりそのまま閉じ込めることができた。圧縮したデータはそのままじゃあ解釈できない。解釈のために解凍すればデータ容量は跳ね上がる。全体を収める器はこの電脳娯楽装置一つで変わらない。
「おーいヨウイチ……ん、そいつ誰だ?」
「お、ダイゴロウ大将」
「え? ゲンエーなんでダイゴロウ知ってんの? まだ会ったことないよな」
「はは、なんでかね」
ジャギーばあさんの後ろにきみたちと同じ姿の少年たちが写った写真が大切そうに飾ってあったから。
圧縮データ解凍の鍵を握っていたのが鎧武者の姿をしたそいつだったわけだ。武者さんとジャギーばあさんは話を合わせてある。ジャギーばあさんがまず娯楽装置体験者の人格を見定めて、最後に鎧武者がそいつの一番得意な方法で“何かに長けているか”を確かめる。お眼鏡に適ったならば、鍵を渡される。
電脳娯楽装置が本来再現していた世界も器の中に入っている。解析屋ならともかく普通の体験者にはまずそちら側しか認識できない。圧縮したデータがそのままなら器に収まっているけれど、解凍しようものなら元の世界は上書きされて消えてしまう。鍵を開けるかどうかは、ジャギーばあさんと武者の話を聞いた上で体験者が決める。
「俺もそのちぎり屋に連れてってくれるかい」
「いいぜ!」「おう!」
* * * *
「うーん」
「俺の説明が下手なのは自分でもわかるが……話に破綻があったかい?」
「破綻はないと思う。えっと、それじゃあ私たちが今これに入ったら、会えるのはギーコさんの方なのね?」
「あぁそうさ。鍵を開ける前の…同じ世界を閉じ込めたこれをもう一つ手に入れればジャギーばあさんに会えないこともないが…」
かなり苦労した。これだけが特別製ということはないだろう。現れるかも分からない未来の誰かに託すのだから可能性は上げようとするはず。
「美人か?」
「伊佐間お前は自分で入って見て来い」
「ふふ。私も今の…昔のか、昔のちぎり屋でいい。ソーダ味のアイスキャンディはその頃からあるのでしょう」
「あるよ。あれは中々よくできているから是非食べてみてほしいね」
「じゃあ今度ご一緒願おうかしら」
「いつでも言ってくれ」
「葉柱は他のタイトルでもこんなことしてるのか」
「まあな。今回のは深入りし過ぎた気はするよ」
伊佐間には以前少し話したが、ある時間軸の電脳娯楽装置には登場人物の依頼を片っ端からこなしていく仕組みになっているものが多くみられる。相応の報酬が用意されていることもが多いけれど、必要なものだけをこなして“クリア”することもできるし、依頼を無視された登場人物が嘆き悲しむこともない。「俺ならそっちを選びそうだ」と伊佐間は答えた。
「じゃあお先」
伊佐間を自室から見送る。
「私もそろそろ」
糺の姉さんも見送る。と、糺さんはオートドアの前で立ち止まって振り返った。
「葉柱さん、あなたの後輩に、ジャギーばあさんとあなたがどんな風に話をしたのか教えておくといいかもしれない」
「何故だい?」
「あなたが本当に確かめられたのは剣の腕じゃないと思うから。もっと大切な…」
「…?」
「なんでしょうね。私が言葉してしまうとそれで固めてしまう気がして。でも、とても繊細な感覚よ」
どうだろうね。“たった30Gのアイスキャンデー”を引き当てるための感覚とでも、説明すればいいのかい。
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