薄皮クリームパン

 春の陽気がもう少ししたら感じ取れる。ブレザーを置いた私たちはまだカーディガンをそれぞれの思う着こなしで纏って制服と呼んでいる。間もなくもう一段階、武装解除だ。


「ケーコ昼どうする? 購買行かねー?」


「あたし買ってきたから大丈夫、私のために戻って来るってんならここで食べましょうぜー」


「なんやそれー、でも分かった、みっちゃんと戻ってくるよケーコ様のためならなー」


「あはは、思わぬ返答にケーコ面白い表情~」


「このー・・・」


 ミホに一杯の半分ほど食わされる。今日は結んでいない控えめな茶髪綺麗を翻し、「してやったり」の表情でこの場を後にするミホ。まあすぐに戻ってくると思うけど。その「すぐに」の時間を利用してあたしにはやりたいことがある。この場すなわち聖域「教室」にて。教室というのは複数のグループと複数の一匹狼が無理矢理押し込められて濃密な青春のひとときを過ごすってんだから、聖域と呼ぶより他にない。他クラスとのあれこれを加味した境界やら砦の意味もあるからね。しかもこの時期は大イベント『クラス替え』で聖域内部がシャッフルシャッフルかき乱されてるんだから、面白いことこの上ない。

 やりたいことというのはアダチーの観察だ。アダチーこと亜立くんが一匹狼なのかどうかは置いておいて、彼は今日もまた5連クリームパンを2つ食べて窓の外を眺めている。


「アダチー」


「・・・?」


 もそっと、妙にゆっくり振り返る。声に反応してくれたから及第点だ。


「ケイコさん何か用?」


「下の名前で呼ぶとは、絶妙な距離感の乱し方をするね」


「あなた相手じゃ先手を打たないと何されるか分からない」


 やっぱりアダチーは面白い人だ。大して仲良くもない私に対女子振る舞いを使う使わないとかそういう話じゃなくて。彼は制服を崩して着ない少数派。カーディガンを使わず髪のアレンジは寝癖だけ。そんな着こなしの話しでもなく。


「『506 氷箱』・・・?」


 分厚い古そうな本だ。休み時間になると机に置かれているけど彼が読んでいるのは2回しか見たことがない、でも最後の方のページだった。


「カバー付けてないからって本のタイトルを堂々と盗み見しなくても。いや、違うか、電車の中でも人の本見るなんてよくあるし、こっちでしょ」


 アダチーは3つ残ったクリームパンを指差す。ピーナツバターもチョコも見たことがない。決まってカスタードクリームのこれ。あと野菜ジュース、時々甘いコーヒー。


「ご名答、あたしはそれの話を聞きに来た」


「…あまりにも示唆的すぎる、って?」


「そうねー…何から聞こうかな」


 窓を見ていたアダチーの視線が元あった位置に回り込んでちらっと教室内を見渡す。ノラ崎たち4人が通路側後ろの工藤の席に固まってて、ナキと須藤ちゃんたちのグループが中心辺りにそれぞれ。窓際真ん中のアダチーの席は良い位置にある。


「3つあるのはX, Y, Z軸」


 私の妙なポジションチェンジを眺めていたアダチーは先に説明を続けてくれた。


「それホント?」


「…嘘」


「おいおいアダチー」


 ノラ崎のグループが聖域の外に出た。血の気の多い男子たちは良いねえ。須藤ちゃんたちも化粧ポーチを出したのが見えた。次はあっちかな。


「あのさ、良ければ…」


「…何さ?」


 まさかこのタイミングでうら若き男女の何らかの始まりを意識して言葉に詰まった? 亜立君ともあろうキミが?


「ついてきてくれない? これの答えを教えるからさ」


 予想に反してナキちゃんたちが先に聖域の外に出た。一匹狼の2頭もケースを開けた。


「OK、付いてくよ」


「…いいの?」


「アダチー面白いからね」


「何それ…」


 アダチーはペンケースの中からフタの付いた丸い小さなケースを取り出した。私はきゃぴきゃぴしたポーチを持たないので、これはこれで分けて持っている。女の子の制服の亜空間から取り出すようにそれを手に取る。アダチーの丸いケースにもあたしの楕円ケースにも、先に外へ出た皆のケースにも同じクリームが入っている。どこかの高校生たちでは持てなかったクリームが。


「この教室の座標特性ってすごいよね」


「うん。あたし聖域って呼んでるんだ」


「…センスある」


『亜空間クリーム』をひとすくいだけ指に付ける。アダチーは椅子から離れてしゃがみ床へ指をあてる。薄く伸びるそれを使って教室の床にクリームで半円を描く。もう半分はあたしが手伝う。

 わざと始点を180°ずらしたことにアダチーは気付いただろうか、そうしないと最後に二人の指がぴたりと当たる。嫌でもないけど距離感がまだね、…あたしらしくないか。


 クリームで囲われた領域には穴が開く。穴が開いたように亜空間に繋がる。亜空間が繋がる先は構築者の腕次第だ。


「どこ行くの?」


「一足先に桜を見ようと思ってね」


「ロマンチストだねアダチー」


「なんて返されるか心配してた」


 聖域の床にぽっかり空いた虹色に輝く亜空間へ先にアダチーが飛び込んだ。


「フェイントはやめてねー」


 しないしない。そろそろミホたちが戻ってきそうだけど、まあこっち優先。


 桜色に繋がる七色の亜空間へ。そっか、しばらく桜なんて見ていなかった。


「アダチーまてー」

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