no title No.01317


 呼気の乱れ、熱を帯びた身体から冷たい外気に逃れる靄。相手も間違いなく人間だ。乾いた地面に尻餅をついたままの俺は、この期に及んでただそれを観察していた。

 俺が呼吸を整えている間に相手も回復し、また俺に剣先を向けた。剣を向けられた途端にボロ雑巾を絞ったように生命力が溢れてくる。見苦しく重い鎧の身体を捻って四つん這いから立ち上がり、振り向く。無駄の多い動作、疲れ切ったが故の緩慢さ。相手は俺が構えるのを待っているのだ、機会はいくらでもある。

 ふざけた話だ。相手は子供だ。俺が立ち上がれば明らかに小さく細い身体。跳躍したのは見えたが身体は動かない。両手持ちの鋼剣は強烈な横薙ぎで弾き飛ばされた。握力が効かない。踏み込み直したそいつは剣を突き刺す構え。胸部の鎧は貫通されるのか、瞬時に腰を落とし左肩を剣が掠めた。剣を持ち替えた、首を落とされる悪寒に空いた手を地に突きそのまま体を捻って蹴りを繰り出すが、一歩引いた相手は剣を振り上げ、脛当ての無い太腿を叩き切った。赤い噴出が視界の一部に咲く。骨は未だ繋がっている。状況を呑んでしかし行動が途絶えた俺の後ろに相手は回り込んだ。頭部を覆う鋼鉄を引き剥がすと、再び地面に座り込んだ俺の正面に戻った。

 ああ、知っている。そいつがどんな顔をしているのか俺たちは知っている。なぜ最後に顔を見せるのかも知っている。綺麗な少年か少女の顔をしているのだ。俺にはご丁寧に対等に、素顔同士を見せ合うことまでした。確かに神聖だった。不可侵だった。若い、ともすれば幼い、儚い、美しい、少年少女の持つ特権的な魅力。脆さと隣り合わせのはずだった、強靭さとは両立しないはずだった。重鈍な鎧を軽装に落とし機動力を得たとは言え、幼少期からの鍛錬とは言え、あの氷のような眼差しを生み出す精神支配が何であれ、…いや、やはり俺も勝てるだろうと思い上がった身の程知らずの兵に過ぎないのだ、勝ってそれを手に入れられると思った強欲で浅ましい大人に過ぎないのだ。身体の各部位が切断されて、絶命直前にやはり俺もそう悟った。せめて、返り血でその白い顔を


 少年少女のみで構成される兵団はその特異さと戦果から瞬く間に名を馳せ、もう何年も維持拡大されていた。筋力体格で劣るはずの彼らは必要最低限の鎧で機動力を武器として戦闘経験でこれらを覆し、狙撃すらも軽傷にとどめる眼と剣技は達人の域に迫っていた。驚くことに兵団の全員がその水準だった。迎撃に向かう一塊の規模は状況により変動するが、隊を率いるのは決まって少女だった。彼らは相手を完全に制圧すると、それが個人対個人の戦闘であれば、頭部を守る薄い金属を外し表情を見せる。声変わり前の、少女と区別の付かない少年も兵団には多くいるが、断末魔の叫びには必ず少女が寄り添うのだと言う。少女からの生還者は幻で、少女の獲得者のまた幻だ。

 彼らの戦闘思想は徹底していた。自分たちの年代を終えた、つまりは大人の排除だった。大人からは神聖さが失われてしまった。彼らには意味と先が無い。神聖さの獲得は二度と成し得ない。それは期限付きで与えられるものだからである。故に誰もがその権利を持っていたし、誰もがその権利を失ってしまう。兵団への在籍には期限があった。期限切れを迎えた者が生きて兵団の外に出ることは無かった。

 歪んだ思想の指導者は、兵団を率いるのは誰か。確かなことは長たる存在が神聖さを少年少女の戦闘力そのものに変換できる技術あるいは魔術を持った者ということだけだった。兵団が兵団たり得ているのはこの変換が根底にある。隊を率いるのが少女である理由は少女の神聖さが少年のそれを上回るからである。少年は一つの神聖さを、少女は二重の神聖さを獲得し、変換後の戦闘力はこれに比例する。兵団を崩そうとする者たちがやっと掻き集めた見解はそのように固まっていた。




「という曲解を、例えば手記を見つけたという形にするのはどうか」


あるいは語り部に鍵括弧を与えずに、あるいは与えて、一枚、二枚だけ緩衝材を噛ませるのはどうか。


『箱の中にいれるおつもり?』


「いや、それは粋ではないよ。明確な事実だったと示すならば私の最初の台詞以降は後で消しておくべきだと思う」


「あなたは彼奴がそれを望むと思うかね」


「彼はこのような曲解を生む物語片そのものを好まないだろうね。表面は血の流れない空想作家だから」


『私もそう思います』


掬うとすればそれは彼らの手によってではなく、救うとしてもそれは彼らではない。


「成程。では私たちの会話はこのまま残しておくとしよう」

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