常雨都市の先行調査
やあ諸君。私だ、空想作家ルービットを追う男だ。自己紹介を省略したのは、今回は君たちに問いかけてさっさと去ろうと思うからだ。え? 前回もそうだった? 聞こえない聞こえない。
まず、窓をイメージして欲しい。何でもいいから適当に。できたかね? では得意げに喋るが、その窓は空間に対して横向きに付いている。君たちは水平方向に空や都市風景なんかを見た。正解だろう。99%当たっているはずだ。当然のことしか言っていないからね。立て続けで申し訳ないが、次に格子窓をイメージしてくれ。できたよね? やってくれ。できたね? さてそれは洋風の白い格子だったり牢獄の鉄格子だったりするんだろうが、そこはあまり重要ではない。99%私の意図に的中していないのだ。うむ、すまない私の説明が悪いし問いかけも悪い。重要なのはその向きなのだ。格子がこちら側についているか向こう側についているか。窓は内開きが外開きか。それによって、君たちが好き勝手に窓を開けることができるかどうかが異なる。格子を抜けてこっち側と向こう側を行き来するものを制御できるかどうかも、だ。良いかね? 一度だけ二つだけ言うと、格子窓は上向きだ。そよ風以外にも格子を通り抜けるものがある。
私からは以上で、この程度しか伝えられない私自身を少々情けないと思っていることを付け加えさせて欲しい。それだけ何やら意味深だからね、あそこは。私では色々と及ばない。では失礼する。私は今回も物語の外だ。
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「なあ葉柱」
「なんでござろう伊佐間」
「…今から真面目に喋るぞ。俺はな、ついにあの常雨都市に調査に出ると聞いた時は、俺たちの頑張りが認められたと思って喜んだ」
「ああ」
「環状機構がなんたるかを遠目に見る程度で良いから調査しろと言われた時は、そのワードが出るかと身構えてしかし使命感に奮起した」
「そうだな」
「転校生になれって言われた時は、俺たちが『うら若き乙女』に変身できる技術ができたのかと混乱した後にときめいた」
「まて、まず何で性別が変わるんだ。転校生なる言葉へのイメージは共感する部分があるが…。いや転校生は嘘ではないぞ」
「おう。学校が俺の思う学校じゃなかっただけだ」
排水機関従業員。国という概念での説明が伝わりやすいなら、国家レベルの必需であらざるを得ないその施設で働く人員を指す。その人員を養成するのが対雨系総合技術学校だ。学校とは言え門を叩くのは成人を迎えた男性が半数を占める。入学年齢に規定は無いが、ある種の肉体労働を筆頭に諸々の風潮が目に見えない選別を行う。伊佐間と葉柱の二人は最近そこへやってきた。言うなれば彼らは転校生だが、
「俺の思う学校じゃ無かっ「何度も言うな…」」
「それに、」
何故か非常に残念そうな伊佐間は葉柱の言葉を待った。
「それに関しては俺たちの頼れる相棒が代わりに楽しむと言うことで一つ」
「Kちゃんか…、あれはあれで上手くやってくれそうだけど…」
二人の思い付きでKちゃんの記憶を頼りにAIの人格を構成しようとしたら、あろう事か二人の“場所”を突き止めてこっそり観察していたKちゃんは『それはやめてあたしがやる』と、もはや何分の1の分身であるのか分からない自分自身の、これまた分身を作り上げた。実体を得たうら若き乙女型のKちゃんは伊佐間と葉柱とは別行動でこの常雨都市を調査しているのだ。つまり今回は都合三人で“この場所へ調査に来ている”。
「あとで“うら若き青春”の体験談を聞くとしよう」
「あいつそんなんじゃないよね」
「そんなんじゃないかもしれないな。ははは。」
「葉柱…」
「はは…」
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都市には雨が降り続いていた。時折の、適量の雨であればそれは恵みの域を出ない。大地が生んだ循環係数に悪しき文明の上乗せが無ければ、雨期なる大雨でさえ幻の川流を創り生命と種をかき混ぜる。だがバランスの崩れた雨はもはや恵みと呼ぶには程遠い。多くの都市は想定を超える雨を処理できるように造られていなかった。固められた地は水を吸わない。無造作に捨てられたゴミは申し訳程度の水の逃げ道を塞いだ。雨の期間が想定外だった。雨の量までも想定外だった。雨のない日を空を忘れることなど想定外だった。だがこれらの“罰”は多くの人間にとって、不思議なことに、想定内だった。
「葉柱そこのB32バルブを回せ。次はD16と後続の圧力装置だ。伊佐間、お前は17制御室だ」
「はい先生!」
「承知」
「伊佐間、“先生”はよせ」
「はいせ…はい!」
超特大の排水機関群は拠点となる施設の規模が図抜けていた。彼らが知識として知る海に面した広大な土地を選んで構築されるヘビー級の工場よりも遥かに大きい。横にも縦にも。それにこれらの特大拠点は都市に根を張っているようだった。いわゆるライフラインが水や電気を通すように、雨水を運ぶ管が時折地上に出てまで複雑に浸透しているのだ。不格好なのは後付けだからかもしれない。
排水機関の基本的な思想は分かりやすいものだった。生活区には雨水を通す穴を開け、より低い地下の管に入れる。傾斜が扱えるならば利用し、そうでないなら随所で圧力を利用し、点在する大型の貯水槽に集める。その後が例えば海に捨てるのであれば話は簡単だったが、どうやらそうではないらしい。
「変にアナログというか、緻密な算出や設計思想に至っている割にはこうしてバルブを回し簡易点検盤を睨んでいる」
葉柱がわざと聞こえるように並べた独り言は低い断続駆動音に吸収された。少なくとも高度な知性を備えたアンドロイドが人間の代わりをしている場面は(今のところ)確認できていない。伊佐間の勘によれば、これも常雨都市が隠していることの一つだそうだ。
何か生き物の器官を想起させるからなのか、単に密度のある室内だからか、太いパイプ、バルブ栓、圧力計が押し込められた施設内は妙な重苦しさがある。青系の塗料で揃えていても、自分以外のヒトの姿があっても。
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「…それは本当なんだろうな」
「ああ。あれは環境多脚に良く似た何かだ」
「葉柱の言う機械が説明通りのものなら違うよ。敵意も統一操作も価値判断も無い。例えるなら」
「待たれよKちゃん」
「え? うん?」
「この葉柱にも推測させてくれ。…伊佐間?」
「…ん、おう」
「伊佐間聞いてないよね」
「すまん」
「実体になったKちゃんが可愛くて見惚れていたのか、ついさっきの大ピンチの余韻に浸っていたのかどっちだ」
「…どっちでもないって! あんまり意味が変わらな…いや何でもない」
良い大人の男が二人と、うら若き乙女が一人。立って&座っているのは巨大なタンクの上だった。排水機関であれば室内にも無数のタンク型構造物があるが、今三人は風も雨も感じ取れる屋外にいる。空には底(天?)知れぬ厚みの雲がどこまでも続いていて、豪雨とは呼べないまでも傘の要るような雨が絶え間なく降り続いている。向こうには高い建物以上の存在感で排水機関の中央塔が聳えている。太い人工河川を挟んだ対岸には、それなりに広がる居住区画と、壁と、海を思わせる平坦な視界。居住区には三人の良く知る“普通の人間”が生活している。普通の人間たちにはもはや長い付き合いを越えた雨を受け入れて適応した(もちろん身体的にではなく技術による)こと以外はさほど特徴が無い。思想にも行動にも規律にも。
ところが、都市空間には見慣れない装置が闊歩していた。
それでちょっと俺たちはピンチになったのさ。
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「おっと、まあいいか。いや、この辺気にしてそうだな、拾うかあ。あーでも流されるのが早いな」
略して雨学校の帰り道、伊佐間は『湿らないおせんべい』の包装紙を落としてしまった。指を離れたのだ。風に乗ったそれは歩道両端に備えられた雨水の通り道に着水し、そのまま流れに乗った。異変はここで起きた。
(警報音?)
大した音量ではないが『ピッピッピッ』というような音が聞こえる。それから機械の駆動音だ。この都市には機械がいるのか。呑気な伊佐間は時代の技術基盤を再イメージしかけていたが、音が近付いてきたことで状況が変わった。偶然であれば良いが、ここで逃げ出すようなことをしては何かの引き金を引くかもしれない。
『おい葉柱近くにいるか』
この時代では彼らしか使えない通信。応答は無し。自分たちの身分は完璧に構築してある。警告音駆動音の主が誰であれ、彼らが事情聴取ともすれば捕獲されるようなことは無いはずだ。伊佐間は身に着けたあらゆる装備を確認した上で様子を見ることを選んだ。
「…嘘だろ」
選んだことを後悔した。“クルマ”ほどある装甲機械は、彼らの知る“ある機械”と酷似した姿をしていたのだ。その機械が本当にその機械ならは、そうとしか見えないが、伊佐間はつい先ほどポイ捨てっぽい行動をしてしまった。これが実に都合が悪い。
『ピッピッピッ』
蜘蛛のような多数の脚は地面を刺す時に思ったより音を立てないし地面を傷つけない。けれど彼らは喋る機能を持っていなければ意思疎通が許される可能性も低い。性能は持て余している。感情は持ち合わせていない。その機械が近付いてくる。警告音のピッチが上がっていく気がする。鼓動のせいか。視覚器官と目が合った。伊佐間は動けなくなった。その機械がなお近づいてくる。手に汗握るとかじゃなくて雨かこれはいや手汗だ。
『ピッピッ』
「…ぃ」
「止まりなさいな」
眠そうな少女の声が聞こえたような気がした。直後、多脚機械の稼働状態を示すランプが消えた。
「……止まった」
「やあ伊佐間。すごい機械がいるね」
「け、け…」
当然本人には言っていないし葉柱に言うとからかわれそうなので彼にも言っていないが、この時、伊佐間にはKちゃんがとてつもなく神々しく見えたらしい。
(伊佐間は女神の名前を叫んだ。)
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「分からないねえ。Kちゃんが言うんだから間違いないと思うんだが、排水溝を詰まらせないだとかそんな仕事に、つまり機能に特化してあの形になったのか」
「うん。そうだと思うよ」
「時代的空間的な繋がりが無いのは知ってたさ、知ってたけどアレの前に立ってみろって、怖いんだって」
「ポイ捨てしたからじゃないか?」
「…風が悪い。いや、雨も悪い」
「雨なあ…」
どうにかならないものかと葉柱は呟く。分厚い雲と透明な膜に弾かれる絶え間ない雨粒を三人ともしばらく、ぼんやりと眺めていた。一つ補足をすると、瞳に雨粒が当たらないのはずいぶんと長いこと雨を防ぐ道具として栄えた片手で持てるあのフォルムが失われたからではなく、この都市には透明な屋根が各所に張ってあるからだ。ロマンティックに空を見上げる為ではなく、行動しやすいように、雨を集めやすいように。
「伊佐間、“梅雨明け”って言葉を知っているか」
「知っているとも。あれか、俺たちで持ってきちゃうか」
「それは無理だ」
きっぱりと言い切った葉柱に意気込みだけでもと返そうとした伊佐間だったが、いかんせん荷が重い。
「はてさて何から手を付けますかね」
「…俺の勘だが、
今回は伊佐間の勘や葉柱の渋い活躍をもってしても調査は中々難航するかもしれない。新戦力Kちゃんの電子的なアシストを加味しても尚だ。常雨都市に降りかかるものはそれだけ重く、降りかかったものはそれだけ深く染み込んでいる。三人ともここへ来てすぐにそれを感じ取っていた。
――格子窓は上向きだ。そよ風以外にも格子を通り抜けるものがある。私からは以上で、この程度しか伝えられない私自身を少々情けないと思っていることを付け加えさせて欲しい。
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