三題噺より

マカダミア婦人の檻 一年目


「湿気た一粒は実に見事に気力を奪うと思わないかね」


 真ん丸の大粒を二本の指で摘み上げて口へ運ぶ。


「そう思います博士」


 厚い窓の外ではしつこい雨が降り続いている。


「そうだろう。それに私だけではない」


 一粒だけが入っていた小瓶を置き、コルク蓋を押し込んだ。

 無数に積みあがった言の葉の集積を睨む。耐水性に縁のない極めて骨董的な群れはこのまま脆く崩れてしまうのだろう、埃を被り動くこともなければ雨を喜び駆け回ることなど夢のまた夢。先にここへ来たことで辛うじて棚なるものに収まった群れもまた、微細な湿気に侵略を許し窮屈そうにしている。棚なるものたちは軋んでいた。彼の関節もまた軋んでいた。


「前のナッツが郵便受けに届いたのはいつだったかな」


「13日前でございます」


「雨の日を何度挟んだ?」


「3日前を除いて雨の日が続いております」


「なんとも慈悲の無い。奴とミセスマカダミアはこのまま私を腐らせる気か」


 狭い書斎は神経の糸網を張り巡らせるのに都合がよいが、往々にして積もる物が放射直線的な疎通を阻む。

 どれ、少し立ち上がって……


『投函が成されました』


「……当館に?」


「ここは館と呼べるほどの施設ではありません……」


「駄洒落を作る余裕があったことを褒めて欲しいものだな、些か早すぎないか? 13日の次がたったの1日とは前例がない」


「ミセスマカダミアなりの変調の作り方なのでしょう」


「なんとも邪気の無い」


『受領されたマカダミアナッツがポストより引き取られました。これより3分後に反転を開始します』


「私が席に着いたら即で構わない」


「……至急備えます」


 決して座り心地の良くないダークブラウンの椅子に体重を預け、此れを以て合図とする。


「などと堅苦しいこと言わなくても良くなる。言葉遣いさえ直に」


 ポストとは元より内と外とを繋ぐことのできるインターフェースである。ミセスマカダミアが彼に届ける至高の一粒には特大の情報が詰めてあった。物理的なサイズの意味合いは当然薄れているが、口に含める最大値と誰かの美学がその大きさで釣り合った。

 大量の言の葉の群れが古びた書に収まることを止め始めた。

 無造作に床へ置かれた一頭が雄叫びを上げると勢い良く表紙が開く。ぺらりとはがれた冒頭から続く文字が宙へと飛び出した。ファーストペンギンの完璧な着火剤になった。群れを収める本棚がほぼ同時に3つ破裂、おびただしい言の葉がもはや意味を失いながら空間を埋め尽くして行く。


『主題及び副題の転送完了を確認。全反転完了まで推定72秒』



* * * * *



「部屋の空気をほとんど吸っていない一粒もそれはそれで味気ないと思わない?」


『そう思います』


「やっぱり音声は内側経由になっちゃうか」


『すみません……』


「いいんだお前は悪くない」


 マカダミア婦人が課して彼が実現した機構はこうだ。

 丸ナッツ型の超密度情報結晶が二つの座標空間を結ぶインターフェース『ポスト』に届けられる。

 ナッツは次の一粒が届くまで取り込むことはできず、次の一粒が届くまでの時間はマカダミア婦人の気まぐれである。

 ナッツを取り込むと、二つの空間を行き来する装置が拒否権無く作動する。空間の一つは彼の元居た地点だが、もう一つは婦人の趣向がこれでもかと凝らされた特別なものだ。彼は古風なオブジェクトに囲われるばかりか彼自身の情報までもが一部書き換えられる。


「大切な給仕人と情報的に等価になれることは嬉しいんだけどね」


『ありがとうございます。しかし、』


「そうなんだよなあ」


 マカダミア婦人が直近で掲げた二つの思考対象は彼の中でまだ朧げにしか輪郭を捉えられていなかった。媒体としての役目を終えて電子の海に還る前の古書なる旧式ストレージはともかく、郵便受けを何度も確認しては感情を波打たせる思想体ときた。

 この時代では既に古書は存在しえない。郵便受けは役割こそ再現し得るが伴う思想は失われて久しいと聞く。不可逆への後悔は一つ思想進行の鍵だと婦人は言うが……。


「ここに、マカダミア婦人のナッツと瓜二つのマカダミアナッツがある」


『ありますね』


「食べればなんとも味気ない甘味が口の中に広がり、」


『広がります』


「広がるだけだね」


『そうですね……』


 なんでもこれをチョコレートなるより甘い食べ物に詰めて楽しむことがあったという。そう、このマカダミアナッツは再現品なのだ。オリジナルと何も変わらないが、一度失われた食べ物という時間の幅を、この味気ない一粒さえ持つに至った。それだけ消えたものは多い。


「後でチョコレートも作ってみようか」


『ええぜひ』


 こっちではそれで時間をつぶせるとして、向こうではそろそろ書斎から出なくてはなるまい。おっと口調が混ざりそうになった。

 給仕人にマカダミアナッツ入りのチョコレートを渡せるのは彼女が実体を持てる向こうになるが、向こうへ持ち込んだ時点でそれは“情報”に過ぎない。だが情報であるから私も彼女もそれを食べることができる。

 マカダミア婦人は、私たちがこの辺りの自己肯定に難儀している限りは次の思考対象にたどり着けないと言う。


「こちらの位相にはポストはそのまま存在する。ナッツは向こうでは最新でこちらには新旧が揃う。古書は向こうにしか存在しない……」


『何か思い付きましたか?』


「……うーん、もう少しで思い付きそうだ」


 いや、物の役割がそのまま残っていることと物を再現できることがごっちゃになっているぞ。そもそも、


『投函が成されました』


「と、とうかん」


『流石に駄洒落の余裕も無いようで……』


「あぁもう!」


 矢継ぎ早。マカダミア婦人はこのところ彼に甘くないようだ。

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