五次元繋ぐ夢見の月と言葉を沈めた七つの海
春はまだ青いか
それは紛れもなく『四季装置』に分類される機械だった。多くの例に漏れずその機械もまた“失敗”のラベルを貼られようとしていた。恐れるべきは『環状機構』の向こうにある。ただ、虹彩は尚も“青”を通している。
『こちらISM-09、汎用兵No.04、聞こえるか』
短く生存を返す。
『帰還命令が出た、拠点に戻るぞ』
承知を示す。
『感傷に耽るのは構わない。だが気が済んだら必ず戻れ』
隊長は…我々下っ端が良く見えている。
私は都市の廃墟に立ち尽くしていた。
居住区の痕跡は巨大な建物の残骸をいくつも残している。元より色味の少ないそれらに複合灰が降り積もり、機械蜘蛛たちが身に付けた退色作用のある灯光装置が瓦礫を捏ねるついでに洗浄を重ねていった。視界からあらゆる色が抜け落ちるまでの時間は、人類の退去とどちらが長かっただろう。
飛行ユニット無しに1階の高さになった3階に立って旧時代の“マンション”を見上げると、その大きさに安心しかけてしまう。過去に人間たちは自動昇降機を使って中を昇ったはずだ。側面を浮上し通過することなど考えもしなかったはずだ。それはあまりにも誇らしくどこか無骨な繁栄の象徴群として彼らの目に映っていたのだと思う。私たちの視点は空を得たが、私たちの視界は灰色の世界にコバルトブルーの薄膜を重ねるのみになった。繁栄の象徴は今や無数の空洞死骸となり積み重なっている。収穫可能性の限りなく低い任務の一つが、この廃墟都市の探索だ。
防護服の脚を灰に沈めて歩く。
ゴーグルの視界に分厚い手袋を付けた指先…愚鈍な先端を伸ばしてヒトが生きた痕跡を拾おうとする。飲み物を入れていたであろう小さな円柱は砕けてしまい、何かの部品らしき破片からは原型を読み取れなかった。巨大な建物の外壁はかろうじて手応えを返すが、あまりに心許ない。今に崩れて灰の海に沈むのではないかと思うばかりだ。
低く唸るような風が建物たちの亡骸の間を通る。防護服の中に感覚は無く、風はただ音のみを振動として聴覚補助装置に伝えている。有害な粉塵と光から無防備な生身の眼を守るため、視界を青に統一するゴーグルを私たちは外すことができない。色を失い灰が積もった限りなく一色に近い死都市の視界に重ねた青色。それは何度か多くの感情を想起させたが、今では語るべき言葉が見つからない。全てが褪せていく。
生きた痕跡を瓦礫の山から探すのに疲れて顔を上げた。霞んだ大気の向こうに巨大な建造物の輪郭が影を落としている。緩やかな円錐形の先端に乗った願望の巨大球体、四季を生み出し天候を支配しようとした、愚かな科学の化身。赤道上に等間隔に4つ、自転軸上に2つ、機能を失ったままあまりに巨大な姿を残している。
装置は失敗した。大きく崩れた生態系、想定しなかった外的要因、対立に生じた化学兵器。崩壊へ向かう速度は通称『自然』に備わっていた修復力を嘲笑うように驚異的で、他でもない人間側がそれに手を貸した。
最初に装置は夏と冬とを再現しようとしたらしい。暑いか寒いかの対極で済むからだ。元よりその国の季節には春と秋があったはずだが、二つは同列に語られた。当時繊細に四季を感じ取れる存在などもはや希少になっていた。
『…トピアZ-315……圏を………した』
ノイズ交じりの通信が聞こえた。これはどこかの拠点が物資を“星の外”へと打ち上げたことを意味する。一握りの選ばれた存在が、襤褸切れを絞って生み出した僅かな水を笑いながら鑑賞するはずだ。一筋のジェット噴射が分厚い大気の層に風穴を開けて、ごく短い間だけ悪意の光が地上に刺さる。
ふと視界に見慣れぬ“色”が映った気がして瓦礫の隙間に視線を往復させた。建材破片の下にガラス質の欠片が一つ、悪意の太陽光を通している。
思わず音の無い声が出た。
ゴーグル越しの視界を、頼りない眼を疑うしか無かった。
プリズム。透過した奇跡の意味を理解する。狂的に鼓動が高まる。
青い視界の向こうに、“七色”が見える。
元より私たちは身軽だった。
廃墟都市でヒトが青い視界を解いたならば。それは、防護服が不要になった時だ。
四季の戻りが有り得ぬのなら、生を捨て虹を見た時だ。その時にはやはり青いゴーグルが不要になる。
汎用兵の残数が1つ減った。空いた枠はすぐに自動機械が埋める。
「灰色に重ねた青は解釈次第で“海”の色に似ている。クオリアの話をするつもりはない。だがその色を美しいと感じられるのは、ヒトだけだと信じている」
広漠な時間の波が全てを沈めて、豊かな生態系が存在した頃の海と四季の色を知っているのは人工知能だけになった。
植物の希少性など疾うに議論され尽くしていた。劣悪な環境に耐え開花を待つ種子さえも破壊された天秤の生み出す温度、光線、大気の汚染に砕かれて灰に沈んだ。
だがそれから長い時を経て、防護服とゴーグルの分解された場所に桜色の花弁を持つはずの植物が一つ双葉を開いた。双葉は“緑色”をしていた。間もなく死の灰が双葉を塗りつぶし、息の根を止めた。
「もう一度この都市に豊かな四季が戻るなら、それはきっと七色を存分に扱うのだろう。並び上最初の季節は春だ。色は香りも暖かさも引き連れて、きっと穏やかに美しいのだろう。そこに立つ存在がヒトであれ機械であれ私は問えないのだ。灰色は消えたか、ゴーグルの外れた春はまだ青いか、と。」
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