茜色した思い出へ


 幻想作家ルービット・サーチャを追うならば必ず突き当たるであろう『不確かな郷愁』に纏わる論文たち。複数の観点からこれらのマッピングを試みた研究者は奇妙な偶然を疑い、しかし口元を緩める。地平と座標の縦横軸、時間の奥軸、そして点在の粒度。彼らは仕向けられたのではない。正しく観測を成し得た。現れるのは何れも明確な螺旋だ。無数に散らばる粒子の一つを懲りずに手に取った私は、また一つの章に囚われていた。


――茜色の情景と夕焼け装置


 人類史のうち『和暦』と呼ばれる並び。過去から順に『明治』『大正』『昭和』『平成』と並ぶ中の特に『昭和』の占める時間幅に、あるいは未来からその地点を振り返る時に観測される事象がある。朝焼けではなく夕焼けに限定した茜色。街並みをその色味が染める時に、人々を包む一種の“郷愁”が存在する。その濃度は時代情勢を加味しても特筆すべきものであり、故にこの論文の著者は次のような突飛な仮説を打ち立てるに至った。つまり第三者がこの郷愁に干渉しているのだと。その手段の一つが『夕焼け装置』であるとこの章では示されている。夕焼け装置は私たちのような物語を渡る存在が観測しようとすれば自らその存在を隠すような造りになっているという。なるほど、確かに紛れもなく――物語の外側に位置している。



========




 意識を取り戻した――否、再構築した私はゆっくりと目を開けた。……海だ。美しい茜色に染まった空と海。水平線の下側、複雑に揺らめく海面に映る夕日を見つけて少し視線を持ち上げる。また少し異なる色味をした空。太陽はまだ高さを持って海とその後ろの……都市風景を照らしていた。ベンチの背もたれに被さるように上半身を捻ってやっと身体の感覚を取り戻せたような気がする。ここは港町に造られた休憩場所だろうか。公園と呼んでもいいかもしれない。左手側には遠くに輸送船や小さな客船たちが見える。正面、右手側には穏やかな海。振り返れば手入れされた芝生、枝を広げる背の低い木々、私の座っているベンチと同じものがぽつぽつと並んでいて『海でも眺めて都会の喧騒を忘れなさい』と、忙しく働くこの時代の人々に語りかけるように。

 経済成長の波に乗ったある時代の日本の、とある港町の一角。ただし『仮想箱』の中に再現されたもの。仮想箱とは“体験装置”であり、体験者は時間と空間を切り取った世界、製作者の意図に沿って自由に構築された世界に入り込むことができる。私の生まれる頃には普及して一通り試されて通過点となった存在だ。この装置の中で私は本来の能力の大部分と引き換えに“人間の定義”を得られる。


「さて」


 声も出せる。わざと独り言を発してそれを確かめるとベンチから立ち上がった。潮風にさらされている割には骨組みの金属も体重を支える木の部分もまだ綺麗な状態だ。一つ気付いたのは、この時代のベンチにはまだ“仕切り”が設けられていないこと。身体を横にして波の音に微睡むことを拒むなんて無粋なのだと、この先でベンチたちが負わされるであろう意匠を知っている私は少し複雑な感情になる。

 短く息を吐いてから吸うと潮の香りが鼻を通って何かを訴えてきた。足元の導線を飾る青と白のタイルに沿って歩み出す。海に面した部分はかなり広く、遠くから数えて8基ものベンチが並んでいた。そこからまたここで『L』字に曲がって3基。お隣同士はそれなりに距離を取ってあるけれど、残念ながらベンチに座るはずの“この時代の人々”の姿は無い。舞台である仮想箱にはいくつかの設定が備えてあり、一切の登場人物を再現させずに当時の空間だけを独り占めすることもできるのだ。今回私はそれを選んだ。仮想箱がどれだけ人間一人を描き切るのか、それらが幾重にも交差したときに曲がりなりにも何かが埋まれるのか興味もあったが、『夕焼け装置』の出現条件を満たすためにはこの設定が必要であると調べが付いていたのだ。

 低く唸るような音が聞こえた。

 方角は向こうに見える港の辺りから。船の汽笛、警笛? 仮想箱に入るのはこれが初めてではない。人間が再現されていないなら町はゴーストタウンになるのかというとそうではなく、全てが無人運転になる場合も、コーヒーカップが独りでに宙に浮いている場合もある。一番多いのは本当に接近した時に触れることのできないヒト型のシルエットがぼんやりと現れるケースだ。魚や海鳥の姿を探そうかとも考えたが、


「今は探し物に専念するべきね」


 町の方、空へと手を伸ばす建造物たちを遠目に眺める。小さなその起伏は人間たちの繁栄の証し。特に勢いのある今は、沈みゆく太陽に染められて随分と誇らしげに、まるで黄金になったかのように輝いていた。けれどベンチに視線を戻そう。事前情報に……


(……?)


 自分の視覚を疑った。あるいは仮想箱の采配を。一番奥から二つ目のベンチに何かが座っている。突然現れたようにも思える。海の方を向いて、不自然に明度を下げられたような人型のシルエット。


(まさか、装置は人型だとでも)


 今自分が持っているのは人間の眼だ。正体を確かめるには“近付く”しかない。

 ベンチの背に沿って一歩ずつ近付いていく。一基、また一基。思った通りその上半身が“機械の身体”であることが見えてきた。奥から四つ目のベンチの背もたれに手をかけると側面を通って座席側に出る。仮想箱に入る権利は人間以外にもある。私がそうしたように箱によっては自分の姿形を選ぶこともできるが、故にあれが“どちらなのか”判断が付かない。

 ついに隣のベンチまで距離を詰めた。いつしか波の音も忘れて。人型の機械――アンドロイドは動かない。じっと夕陽を見つめて、工業用らしき頑丈そうなその身体で淡い茜色の光を受けている。もし機能がそのままであるならばとうに私を感知しているはず。


「こんにちは」


 仮想箱が仕掛けてくるとは思えない。ならば可能性は二つ? ヒトの言葉で疎通を図る。


「どうも」


 アンドロイドはヒトの言葉で答えて、


「あなたも探し物かい?」


 こちらを認識し振り向いた。やはり産業用のアンドロイド、バイザーのような目元だけではなく顔のパーツはどれも表情を使い分けるようにはできていない。ただ、一つ気になるのは彼が“傷だらけ”であること。


「探し物……そう見える?」


「“この箱の”アピールポイントである昭和の人間たちの熱意に目もくれずに一人で街歩きを選び、都心ではなくこんな辺鄙なところにやってきた。まぁ中々に怪しいねぇ」


 明察。このアンドロイド、一体何者だろうか。仮想箱への同時接続はあり得るけれど、もし仮想箱の時代の個体が紛れ込んだならばこんな思考や話し方はしない。同年代なら人間も然りで、人間が姿を変えて入ってきたとも思えない。


「正解よ。じゃあ、あなたも探し物を?」


 質問を返して探りを入れる。


「そうさ。もう見つけたけれどね」


「……何を見つけたのか、聞いてもいいかしら」


「もちろん。お見せしよう、ここに座ってくれるかい?」


 先にアンドロイドが立ち上がって自分の座っていたベンチを指した。並みの成人男性よりも大きな背丈、危険作業に耐えうる装甲。仮想箱の安全装置を信じているが、恐らく出力も優に人間を超える。……と、私が威圧感に怯んだのを感じ取ったのか、アンドロイドは膝を曲げて背を低く見せるような動作をした。腕をひらひらさせて。


「大丈夫、何もしないよ。この格好が裏目に出たね……」


「いえ、こちらこそごめんなさい。信用するわ」


 二人掛けのベンチ。彼の座っていた奥側に座るかどうか一瞬迷ったが、奥側に座った。アンドロイドは海を隔てる柵に向かって少し歩くと、茜色の光源の位置を確かめるように何度か空を振り返って……“カニ”が歩くのを真似るような、妙な素振りを見せ始めた。


「……え?」


 すると不意に、アンドロイドと私の間に輪郭が浮かび上がった。彼の影が重なったところ、さっきまで存在しなかった形が。影の方が動いて位置を調整すると景色に溶け隠れていた輪郭のもう半分、全容が顕になった。


「蓄音……機?」


 箱型の本体からラッパを捻って伸ばしたような部品が伸びている。真鍮合金と木製の土台、ただ円盤状の部分が見当たらない。


「へぇ物知りだな」


 アンドロイドはそう言うと半歩動いた。蓄音機らしき装置の影から出た部分だけが綺麗に見えなくなる。思わずベンチから立ち上がって少しでも視線の角度を動かした。


「これがあなたの見つけたもの? これは一体……何? 仮想箱の再現した物体はこんな振る舞いをしないはず」


「“夕焼け装置”さ。キミの探しているものはこれだろ?」


 アンドロイドは左手をピストルの形にして装置を指した。


「……えぇ、そうよ。でも私の興味は今あなたに移った」


 何故私を、それを知っている? 私は今何と相対している? 真っ先に浮かんだ可能性をあろうことかそのまま口にしてしまった。


「あなたは……幻想作家?」


「いや……違うと思う。それはこの装置を作った存在かい? 俺もこの装置を探っている側さ」


「名前を伺ってもいいかしら」


「ジョニーと名乗らせてもらおう」


 どこかで聞き覚えのある名前を彼が名乗ったせいで、念のため私はこう聞かなければならない。


「一つ確認させて。あなたは仮想箱が私の記憶から作った存在ではない?」


「面白い質問だ。少なくともそんなことはないと、俺自身は自覚しているよ」


 彼がそのように構成された可能性を疑うには足りないものが多い。一旦信用しよう。


「ありがとう」


「今の答えでいいのかい。キミの名前は?」


「トウコ。アザナ トウコよ」


「綺麗な名前だ。ではトウコ、俺からも一つ頼んでいいかな」


「どうぞ」


 ジョニーは腰の後ろ辺りを手で探ると、何か四角いカード状のものを手に取った。装置のあった場所を迂回して私のところへ、再び装置は夕焼けの光に溶けて消える。


「鏡?」


 無骨な手から差し出された四角いカードには人間である私の顔が映りこんでいる。真っ黒なショートボブ、目立たない程度に整った顔立ち、控えめな化粧。ふと思い立って小さなその枠から紺のヒール、深緑のロングスカート、ベージュのブラウスも順に確かめた。


「それを持って夕陽を反射させるんだ。影の中に装置が見えている時に、装置に光を当ててみてくれ」


 ジョニーは言い終わると再び弧を描いて元の位置へ。消えていた夕焼け装置が再び姿を見せる。


「こういうこと?」


 私の手元で反射した夕陽が地面に光の窓枠を作った。敷き詰められた白いタイル一枚と同じくらいの大きさ。指を僅かに曲げて感覚と距離感とを合わせると、言われた通りに小さな四角い光を走らせ装置へ向かわせる。しかし光が装置に重なる直前で私は指を止めた。


「おや?」


「何が起こるのか一応確認させて」


「これは失礼。実はこの装置はまだ作動していない。夕陽の光を当てて初めて作動するはずなんだ。影の中にしか現れないから“もう一人協力者がいなければ”作動させられなかった。作動すると何が起こるのかは俺にも分からない」


「何かで鏡を固定したらどう?」


「そこから見えるかな。向こうに変な針金を括り付けたゴミ箱があるだろ」


 確かに、そのようなものが見える。


「トウコはこの装置を作った存在について何か知っているんだね?」


 あの論文著者の結論に反論は浮かばなかった。幻想作家ルービット・サーチャ。彼あるいは彼女が、この装置を作った本人である可能性が拭えない。


「目星は付いているけれど、何とも言えない」


「じゃあ仮にそいつでいい、物で反射させるのではダメで、この仮装箱の中を自由に動ける存在が協力して影の中で光を当てる必要がある。そいつはこの装置にそんな意地悪な趣向を凝らすかい?」


「……かもしれない。十分に想像できる」


 ジョニーは既にあのゴミ箱で試したということか。


「分かった、続けるわ」


「ありがとう」


 これが本当に夕焼け装置であるのならば、たとえ作動したとしても大きな害は無いだろう。白い長方形を装置に重ねた。


「……」


「まだだ、そのまま動かさないで」


「あ」


 夕焼け装置が、膨らんだ? 金属も木材もこんなふうに伸び縮みしない、アニメーションのように大げさに。


『ポラピ~~ラポ』


「何だ?」


『ポラピラポラ~~』


「何かの警告音か?」


「えっと確か……チャルメラ?」


「何だいそれは?」


 と思いきや転調? 夕焼け装置が僅かに震えながら別のメロディーを奏で始める。


「今度は夕焼け小焼け?」


「有名なメロディーなのかい? どんな意味があるのか知っているなら……」


 ゆっくりとした旋律が私たちの緊張の糸を強引に解いてしまう。


「……教えて欲しいね。光を外せば恐らく演奏は止まるだろうけど、このまま曲の最後まで待つべきかい?」


「そうね、待ちま」


『ポン』


「ポン?」


「煙が……」


 カラスが登場する前にメロディーが中断、妙な音を出してもう一度膨らんだかと思うと元の大きさに縮んだ装置は、ラッパの部分から煙を出し始めた。


「どうする? 光を外す?」


「恐らく大丈夫、様子を見ましょう」


 カタカタと微かに振動しながら装置は煙を吐き続けるが、煙はすぐに空気に溶けていく。白く見えた煙にはよく見ると薄く色が……


「ジョニー。あなたにはこの煙、何色に見える?」


「この目が機械の目として機能しているかどうかは分からないが、俺には薄いオレンジ色に見える。……なるほど、夕焼けの色ってことか」


 頷く。夕焼け装置は微かに駆動音を立てて振動しながら(恐らく夕焼け色の)煙を出し続けた。『夕焼け小焼け』のメロディーは煙を出し始めた際に止まり、それ以降新しいメロディーが鳴ることもなかった。

 膝の高さほどの小さな装置。これ一つでは到底埋められぬ高く広い空に、ただただ、僅かな煙を送り続ける。これ以上の“アプローチ”が分からなくなった私たちは少し話をすることにした。ここには手ごろなベンチがある。



========



 私は『チャルメラ』や『夕焼け小焼け』の文脈をジョニーに説明した。そして彼に問うてみた。はたしてこの“あまりにもそれらしい”装置は本当に夕焼け装置なのだろうか。彼の答えは、もちろん確証があるわけではないが、結論から言えば“YES”だった。


「この仮想箱の作者は夕焼け装置のことを知っていたと思うかい?」


 そう、最初の切り口はその部分。(私たちのことは一旦置いておいて)タイムマシンが仮に存在するとしよう。幻想作家ルービットがそれを手にしていて、仮想箱が再現した元の時代に夕焼け装置を仕掛けて行ったとしよう。(申し訳ないけれどプログラムの難しい話も置いておいて)仮想箱の描く過去の世界に再現された夕焼け装置は、箱の作者が夕焼け装置の存在を知らないとするならば、“どうやっても現れないか、あるいは最初から現れている”。少なくとも仮想箱の体験者を想定したような振る舞いはできないはずなのだ。では、箱の作者は夕焼け装置知っていたのか。恐らくこれは“NO”だ。もう一つだけ仮説が残っている。


「ルービットが仮想箱の存在を知っていたとしたら」


 私たちの見解はこの仮説で一致した。そして今更ながら気付いてしまった。


「この夕焼け装置が仮想箱の中にある以上、大した解析はできないということね」


 箱の外ならともかく、今の私はただの人間……いや、だからこそ彼は?


「機械の身体を選んだのはこのため? あなたには装置の中身が見えているの?」


 ジョニーの目にはそれができてもおかしくはない。しかし彼は機械の肩をコンパクトにすくめた。


「俺にはこの姿以外思い付かなかっただけさ。残念ながら透視センサーは付いていないよ。それに、夕焼け装置には触れないんだ」


 冗談かと思ったが、そうか、彼一人でも夕焼け装置に触れることはできたはず。影の角度を維持したまま装置に近付けばいい。彼がせっかくだから試すかと言うので提案に乗ると、煙を出し続ける夕焼け装置は立体映像さながら私の指を透過してしまった。表情は無いけれどジョニーの得意顔。


「……待って、煙の部分は実体みたいよ」


「あれ、本当だな」


 手の動きが生み出した気流が煙を弄ぶ。手を止めれば煙が指の間を物憂げに通り抜けていく。


「匂いはする?」


 彼がそう言うので、恐る恐る試験管で薬品を扱うようにして嗅いでみるも……


「何の香りもしない」


「残念。この煙、というかこの装置は、トウコの持っている情報だと何のために存在することになっている? もちろんキミが話せるならでいい」


 ここに辿り着いた時点でジョニーは“同業者”だ。装置が郷愁を増幅させる存在だという文脈に乗って私がここに来ていることを説明した。


「なるほど面白い。ちなみに俺はこいつが機械……まぁAIを含めて感情に作用できる存在だと掴んでやってきた。似たようなものだからお互いの情報への信頼度が増したと考えていいだろう。でもこれ以上手が出せるかと言うと……」


「……そうね」


 どうしたものか。人間たちを再現する設定で仮想箱に入ると装置自体が現れないことは彼が実際に確認したらしい。手詰まりかと考え込む私を置いて、ジョニーがベンチから立ち上がった。


「トウコ、装置のこととは関係ないのだけど、一つ頼みを聞いてくれるかい?」


 くるりと振り替えてジョニーが言う。


「もちろん。今度は何をすればいいのかしら」


「ありがとう。少し待ってくれ」


 ジョニーが肩の部分に手を触れると、『カチリ』と音を立てて胸部の装甲が跳ね橋のように開いた。小さな空洞から小さな長方形のデバイスを手に取る。


「……フィルムカメラ?」


「何でも知ってるんだな」


 プラスチックの外装に緑色のベースカラー、そしてレンズ。確か『使い捨て』の称号も持った誰にでも使えるように作られたタイプだ。昭和の末期には完成していたのだっけ。大きな手のせいで妙に小さく見える。


「持ってくるのに苦労したんだ」


「町で買ってきたのではなさそうね」


「はは、鋭いね」


 年代と設定が微妙に合わない。


「まぁいいわ。それであなたを撮ればいいの?」


「うーん……これ、セルフタイマーは無いよね?」


「無さそうね。残念ながらレンズを自分に向けて腕を伸ばしてシャッターを切っても、ピントが合わないと思う」


「詳細な情報をどうも。ピントの方は合わなくてもいいかな。じゃあ、少なくとも三枚撮ろうか」


 ジョニーの提案する三枚は次の通り。彼の写真、私の写真、そしてピントが合わないことを承知で腕を伸ばして二人で撮る写真。


「一応聞いておくけれど、あなたはフィルムカメラがどんなものか知ってる?」


「『現像』だろう。知っているよ。もちろん、“ここでフィルムカメラを使う意味”も自分なりに考えている」


「……素敵ね」


 素敵ね、と、確かに自分はそう口にした。仮想箱の中にデータとして再現された私。同じくデータとして再現された彼。仮想箱の外へ持ち帰れるものは箱が許すとしても『記憶』だけであり、それは人間にとってもAIにとっても同じことだ。AIの場合は“調整”されることだってある。


「ちょっと貸してくれる? 使い方を教えてあげるから」


 何故デジタルカメラではなくフィルムカメラなのか。私には彼の言う“意味”が少し分かったような気がした。


「はい、チーズ。合図はこう言うのよ」



 太陽の見てきた長大な時間、人間たちの生きた僅かな時間。沈み、また昇ると表される原初の光はこの星の大気を通って綺麗な茜色を見せる。遠い時代を、あるいは子どもの頃を思い出すような、胸の詰まる茜色。逆光では表情が映らないとかこの顔に表情も何もないとか冗談を言いながら写真を撮り合う間、私たちは空と海と、遠くに映る人間たちの創った痕跡に、そして自分たちにその茜色を重ねる。自分の目で見る色、簡素な四角い枠、透明な板、認識のフィルターを通って見える色。


「27枚しか撮れないんだ。あと5枚しかない」


 彼――ジョニーと名乗ったアンドロイドのことが妙に気になった私は、夕焼け装置について話す合間に彼のことを探っていた。「俺と似たような考えに至る別のジョニーがいてもおかしくはないと考えている」と彼が言った時には少々驚いたが、しかし納得した。彼は私の知るジョニーでも、幻想作家ルービットその人でもないのだろう。


「そうだ、夕焼け装置を撮りましょう。片手で鏡を……」


 最後の1枚は遠慮していたジョニーに肩に手を回すように言って、もう一度二人で一緒に撮った。自分たちは“ピンボケ”で上半身だけ映ればいい、背景に夕陽を入れて。

 この茜色には人間たちの営みが溶け込んでいる。盛んに立ち上る排出ガスに混じって、ビルの前で零れた溜め息、コーヒーの香り、屋台ラーメンの湯気も微かに。小さな夕焼け装置が吐き出す煙も然り、それらが色味に与える影響など無いのかもしれない。


「私も一つお願いしていい?」


「何でも聞くよ」


「人間たちを再現するモードでもう一度この仮想箱に入り直さない?」


「良いね。さてどんな格好で入り直そうかな」


 心に残る色、フィルムに残る色、人間であればいつか忘れて思い出に染め直してしまう色。自分が朧げに“不確かな郷愁”に包まれたことを感じ取りながら、私はそんなことを考えていた。

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