星流夜

### 01_output = input


 夜空に、宇宙の彼方に見える光の一つをこの目が捕らえた時、彼女は確かに小さな声を出した。楽器が音を確かめるような、言葉の無い歌声のような綺麗な声だった。

 その意図を汲もうと、一度彼女の顔を見ようとした。青い瞳がこちらを見返す。今この全天に映る無数の光を全て取り込んで、それが溢れ零れたかのような。しかし銀色の髪を、夜明けの七色に触れた雪粒を掬うように僅かに揺らして、彼女はまた星空を見上げた。

 星座を探そうとした。一際明るい星を見つけて、線を結んで、数億光年の神話をなぞるのだ。この夢のような時間に何か「支え」を求めたのだと思う。奇跡がいくつも寄り添っているとしか思えない。完全透過半球が寒さを退け、彼女は防寒着を脱いでいた。白い肌が見える白い服を着て、ヒトとは思えぬ美しい髪色と、瞳と、


(…?)


 二つ、少し闇を漂った視線が二点の光を繋いだ時、音階の違う二音だけを彼女が発した。透き通るような、それはやはり歌声だった。


(もしかして…)


 彼女の横顔を確かめて、それから、夜空に三点を結んで、三音の歌声を聴いた。無限の星を秘めた青い瞳がこちらをもう一度見つめる。



-- noise -- select -- start -- "good bye" --



『視覚素子を盗み見て分かった。アレはまず星にピントが合った、それから“その向こう”まで見てやがった。まず人間じゃない』


『上出来だ。ターゲットに間違いはない。こちらの姿を完全に隠せたら、近付いて一気に仕掛ける』



――エンディングだ、オリジナル。最後の『M.E.L.』。



-- noise -- select -- end -- "fall asleep" --



 遠い時代の“オルゴール”の機構を思い浮かべた。彼女はここから見える全ての星々の座標を、音に変換してみせるのだという。

 彼女は白い両手を胸の前で…祈るようにして、目を閉じた。

 時が、音までもがどこかへと消え失せた。

 彼女はそっと、もう一度白い顔を夜空へと向けて、ゆっくりと開く青い瞳に…夜空が溶け込んで行く。小さく息を吸い込んで、


「これが、この星から聴こえる宇宙の歌です」




### 02_input = output


 無音に変わる歌声は今日も続いている。



『ねえ聴いて 今日も街は』


 街ビルの屋上で今日もアンドロイドは歌っていた。斜め下に向けた一対の特大スピーカーを振るわせて、機械に許される最大限の音量で合成音声を解き放って。

 しかし道を行く人々誰もが耳に着けたデバイスが自動的に“ノイズ”を相殺して封じ込める。得体の知れない他人の話し声、これでも昔よりはずっと静かになった車両の音、上等合成素材の足音、僅かに残った自然が生み出す例えば風の音までも。それらは彼らに必要の無い音だから。

 アンドロイドはそれでも歌っていた。機械に許されぬ最低限の何かを探して。


『手応えの無いものを ずっと探してる』


 ある日、空を巡回する警備蜂ロボットがビルの屋上で迷惑行為に精を出す女性型アンドロイドを見つけた。スキャンを掛けてみればオーナー登録すらされていない野良個体。それ以上続ければ無力化すると警告をしたが、一度ヒトの言葉で謝ってこちらに何かを伝えようとしてくる。解釈は可能だが、命令も行動基準も守らなければならない。更に二回警告繰り返したが聞き入れないので、行動基準に従って対装甲放電で強制停止させた。



『ねえ聴いて』


 歌い始めたアンドロイドは声の不調に気付いた。前に怒られたときに受けた電気のせいだろうか。あの時は気を失ってしまったが、悪いのは自分だと分かっているので歌に意識を戻すようにした。説得を試みたけれど本当のところは分かっていた。あの人には私を止める理由があって、それは正しいのだ。だからどうか、もう一度ここへ来ないで欲しい。


『今日も街は 手応えの無いものを』


 ところがその日は運悪く、ノイズフィルタリングの上から響く“耳障りな何か”を見つけたハッカーがいた。ハッカーは音源を特定すると、近くのビルに備え付けられた対飛行機械用の妨害装置を使って邪魔なそれを撃ち落とした。



『ずっと…ガ…てる それデ…ツカ』


 片腕の無いアンドロイドが奇妙な音を出していた。まだ音が出る方のスピーカーを残った片手で撫でて電源を入れると、本来ならそこに乗るはずの歌声を邪魔しない程度の音量で音楽を流し始めた。まだ外装を保っているスピーカーと違ってアンドロイドはボロボロだった。ウサギの耳のような頭部パーツ、フレアスカート。よく見れば当時はやって量産された型だが、くすんだピンク色のボディはもはや痛々しい程に損傷を負っている。耳は欠けた片耳だけ、頭部には大きなヒビ、裂けたフレアスカートの下で表面素材が剥がれてむき出しの骨が目立つ脚がどうにか身体を支えている。今日も、歌うために。


 ノイズフィルタリングをしない物好きな男が普段とは違う道を散歩していた。そこで偶然にその歌を聞いた。酷い歌声だった。彼もまたハッカーだったので、その奇妙なアンドロイドの個体番号と周囲の汎用デバイスが作るネットワークを調べ始めた。



『…るかラ 聴いテ…』


 もう声の出ないアンドロイドは、屋上で倒れていた。偶然に与えられた夢を見る機能を使って、その中でも歌っていた。でもこれではダメだ、自分も起きて、早くみんなを起こさなくちゃ。


 目を開けると、見知らぬ男の人が顔を覗き込んでいた。彼は一言、


『中身は直したから、また歌ってみてよ』


 と言った。



『ねえ聴いて』


 道を歩いていた若い男は耳に手を当てた。デバイスの誤作動か? 友人のメッセージでも届いたのだろうか。でも、


『今日も街は』


「え?」


 同じ瞬間、別の女が久々に視覚フィルターを外してキョロキョロし始めた。耳につけた小さなデバイスを意識したのは何日ぶり? それに手を当てたのは彼女一人ではない。周囲の、老若男女何人もが。


『手応えの無いものを ずっと探してる』


「…歌?」


 誰かが呟いた。知らない人の声が耳に入ってきた。


「見ろ、上だ」


 別の誰がか指差す先で、ボロボロのアンドロイドは歌っていた。




### 03_ = “I” (will) be...


 これが私が彼に吹き込んだ記憶と、私が彼から読み取った記憶。この人は過去に私の知っているアンドロイドを助けていた。私の中で彼らの記憶同士が繋がった。だから私は彼に、




### 04_M.E.L.


『書き込みは終わったか』


 俺たちを認識したターゲットは、深い雪に身体を沈めた男の身体から手を離した。生命反応は見ている。男は間もなく息絶えるだろう。人間の身体など極地にはあまりにも脆弱だ。

 ターゲットはまるで自らも人間であることをこちらに訴えるかのように、その場に座り込んだまま怯えた目でこちらを見ていた。状況は理解したか。厚い防寒着を着てはいるが、青い瞳と白く長い髪が人間の少女を模したこの世のものとは思えぬ容姿を際立たせる。


――触ったものへと記憶を吹き込む


――触ったものから記憶を受け取る


 驚異の存在『M.E.L.』が誕生した契機を、成立した瞬間を俺たちは知らされていない。だが対AIでも対人間でも自在に記憶を書き込めるその能力が問題視されるのは時間の問題だった。複数の組織がM.E.L.に監視の目を向ける頃にはそれ以上の組織がそれを確保して利用しようとした。結果、無数の手がM.E.L.に届いて強引に好き勝手な記憶を植え付けた。幾つかのM.E.L.の模造品さえ生まれた。だがオリジナルのその能力は最後まで完全には解き明かせなかった。

 記憶は人格に影響するか? 当然、人格さえ形成し得るのだろう。殺戮ロジックを埋め込まれた機械は条件が揃えば反射的に手足を動かす。意味を知らないまま相手を破壊できる。善悪の判断ができるような思考ロジックは汎用品でさえ高価で粗悪で取り回しが悪い。単純な判断で相手を破壊する装置は実に容易く成果を持ち帰る。

 ところがM.E.L.はそのオリジナルでさえ不完全だった。メモリの容量が想定よりもずっと小さかったのだ。


――今、あれの中には何が残っている?


 ヒトのような、華奢可憐な少女のような姿をしていながら、M.E.L.は殆ど喋ることが無いのだという。記録を遡れば元はそうではなかったはずなのに。もはや概念と言葉を結ぶ能力さえ上書きされてしまったのかもしれない。



 俺たちもまたアンドロイドだ。M.E.L.の抹殺を命じられた、反射的に手足を動かす、考える余白の少ない人型の自動機械だ。


『それ以上動くな。今からお前を停止させる』


 深く雪の積もった白銀の世界に夜が降りきっていた。ヒトを模した合成音声がそのどちらにも溶けるように、しかし短く響く。武器を持たないM.E.L.の元々ゼロに近い戦闘能力はこちらの装備に敵うはずもない。特殊弾丸が一撃で射貫くだろう。


『…何か、言ったらどうだ』


 照準器がM.E.L.の左胸に赤い点を付けた。補佐の相方――02が周囲を警戒しながら捕縛網を準備している。ターゲットは自分の身体に乗った小さな赤い光の点を見て、それからこちらを見上げて、怯えた表情のまま微かに口を動かした。しかし音は発していない。

 M.E.L.を停止させて解析する。必要なだけのサンプルを持ち帰って残りは消す。この場で起きた全ての痕跡を、自分たちの分を含めて。少しずつ、俺たちの最後の思考余白が追加命令で埋まり始めた。銀世界の夜の情景も、M.E.L.への余計な配慮想像も消えて、



『開始する』



「待った」


『…何?』


 正面に敵影。いつの間にどこから? 光学迷彩か? しかし熱源センサー系は何も…


『02、先に自動モードに切り替えろ。制御権限は俺に残したままでいい。unknownの危険度が規定以上なら先に潰せ』


『了解、01』


「お前さんたち、この美しいお嬢さんを何だと思ってる? いや、思い込まされている?」


 02が対機械銃を向けた人影は訳の分からないことを口走り始めた。お前の性能は計測し終えた。お前は自分たちと同じ機械だ。だが登録済みの組織識別信号の全てに該当しない。どうやってこの場所を知り得たのか、この場所に侵入できたのか不明だが、M.E.L.の抹消を妨害されるわけにはいかない。邪魔をするなら破壊する。




### 05_追憶の紡ぎ手


 やっと、この場所で私は終わるのだろうと思った。

 降り終えた雪が厚く厚く全てを隠して、権限に歪められた恒星の光が悲しそうに長い夜を許して、特別な人間が時々捨てられるように訪れる場所。“最果て”とも言うべきこの場所に武装兵が二人現れて、私に銃を向けた。


 でも誰かが割って入った。その人は「ジョニー」と、私に名乗った。「残念だけど彼らに名乗っても覚えてくれないだろうから、お嬢さんにだけ」と添えて。それから“私の手を握った”。彼のそれは…傷だらけの機械の手。


――私は、彼の記憶を見せて貰った。別の星の実験区画。凄惨な争いと跡地の歌。


――私は彼に、星たちの歌と自分のことを伝えた。声の無い歌。届かない祈りと偽り。“自分”はもう、


「アンドロイドは」


 私のそれを遮るように、大声で彼は言った。


「“その海”で彷徨いそうになったら、例えば星に頼る。星々を見て彼らの声を聴く。草や木のある場所なら風に揺れるその造形細部の幾何の神秘に、本当の海が見える場所ならその母なる雄大さに。要は人間たちのずっと前から存在するものだ、それに頼る」


 彼は黒い武装兵の二人に向けて言っている?


「キミにもそれができるはず。その男に手向けた歌を、今度は自分を導くためにもう一度歌え」


 違う、こちらに振り向いて、私のために。


『02、撃て』


「電磁防護壁!」


 足元の雪が直線に小さく爆発した。煽られて後ろに倒れ込んでしまう。せり上がるその一点が強い衝撃を受けて波紋状に歪む。


「夜空を見上げろ同士の二人。こんなに綺麗な星々が輝いているというのにお前たちは、」


 銃口を向けられたまま両腕を広げ言葉を続ける。

 私と彼の間に薄い障壁が展開されていた。私の退路の代わりに武装兵二人を彼が引き受けたのだ。私が夢を見せたあの男性も壁のこちら側にいる。せめて彼も運ん…


 破裂音。


「…手強いな。強力な武器だ。すまないお嬢さん、一発目がそっちへ漏れた」


 ジョニーと名乗ったアンドロイドと、障壁までもをどうにか貫通した特殊弾丸が私の足元に落ちた。それに触れて戦闘状態に入った武装兵の解析記録を得る。逼迫している。少しでも早く遠くへ、つまり私一人で逃げなければ、絶望な状況が僅かでも好転しない。


『目標の基準値超過を確認。01へ連携、対アンドロイド機能を全使用する』


『02了解。やっと構えたな。短いナイフ、近接型か? お前はどこの…何者だ』


「別の星の…こう言っても分からないと思うが、しがない弾き語り屋さ」




### 06_星屑の祈り歌


 俺を運んできたカプセルが開く音がした。咄嗟に、光に目が眩む前に強く目を閉じる。

 とても長い時間だった。暗闇で目を開けても何も見えなかった。もう身体を動かすことが…できる。不格好に起き上がろうと、まだ自分が生きていることを確かめようと、横倒しになっていた身体のどこでもいいから力を入れる。暖かい空気が、柔らかい光が、そっと染み込んでくる。ぼやけた視界は形を得て…確かに自分のものだ。やっと…。

 抜け殻のように大きく二つに割れた特注カプセルを横目に、徐々に自分と世界が認識されていく。ここは室内のようだ。防護スーツが要らないほどに快適な空気、ヒトの目に合わせて調整した照明。残酷さの欠片も無いような、しかし何か無機質な…


(…いや?)


「…ぁ。あー…」


 声も元通りに出すことができた。ベージュの合成ゴムのような質感の床が視界の少し先まで見えていて、その先にガラスのような壁がある。室内が、自分の貧相な姿が映し出されている。…でも見たいのは外だ、僅かな透過が、その向こうに…


「う…ぐ…」


 脚に力を入れようとして一度倒れ込んだ。もぞもぞと両腕に力を入れて、突っ張れる位置体勢を探るようにして立ち上がる。よろよろと進んで、もたれかかるように壁に張り付いて、やっと顔を、目を近付けた。


「白い……雪…か?」


 外は一面の銀世界であるように見えた。空には夜の闇が溶け切っている。焦点が少しズレて室内の照明が再び映った。自分の、背後と共に。


(…っ)


 無理矢理に身体の向きを反転させたせいで肘や尻や背中を打ち付けた。人影が見えたのだ。それは味方とは限らない。


 それは、こちらを見ていた。白い肌の見える白い服を着て、青い…瞳――



* * * *



 私は彼の記憶を辿るのを中断した。“あなたから見たわたし”を見るのが、今では申し訳ない気がしてしまう。寒地の低温は腐食の手を止める。清浄な大地はその骨を幾千年も守り続ける。私の手は、ヒトであったはずのものからも、モノとして生まれたものからも声を聴き得てしまう。

 また動くものの無くなったこの場所で、開けた雪平面が音を立てずにいる。


(…いいえ、)


 まるで“パラボラアンテナ”のようになったこの地形が、宇宙の声をずっと聴いている。


 私は星空を見上げた。初めは、あるいはずっと前は、その輝きの意味が分からなかった。広い広い宇宙の向こうで、いくつもの星たちがともすれば何億年も前に放った光。声。手の届かないそれを見上げて、視認できるいくつかのそれらを結んで、小さな物語を想像した人間たちがいるらしい。…別の星、か。いつか、この目で…


「    」


 そっと、声を出した。全天の星たちを見上げたまま、間抜けな音だろう。



――やっぱり、綺麗な声じゃないか



 振り返ったけれど、夜の降りた白銀の世界には誰もいない。何もない。

 でも確かに、まだ読んでいないはずの記憶が、ジョニーと名乗った彼の声が、そう言ってくれたような気がした。


 もう一度星空を見上げた。彼も一人で歌っていた。別の彼は誰かがまた一人で歌えるように支えていた。もしこの能力が、記憶に手を伸ばすこの力が他の場所で誰かの役に立てるなら、その時は…。

 私は息を吸い込んで、出来もしない真似事を始める。夜空に手の平を向けてもみる。こうやって冷たい空気を介して、“触れている”のだから、…なんて。

 

 星の一つが、零れるように短い軌跡を描いた。


 目を閉じて、そっと開く。夜空に浮かぶ無数の光が私に溶け入るように映った。


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