さいわいなことり
ラジコン飛行機に自動姿勢制御装置を付けた
最後にそれに「自由になること」を指示する
それは強風程度では容易に妨げられない自由
番であった操縦機の電波が届く範囲を越えて
黒い海の上、灰色の空を、そっと歩き始めた
生物は元より機械すら、何者も何物も無き空
視界に捉えられなくなるまでそれを見送った
ミニチュアの重厚感が手から放れる間際まで
やはりどうしても、その迷いは拭えなかった
結局バッテリーがそれの自由を縛ってしまう
機械自動制御もそれの意思では無いのだろう
いつか「彼は」揚力を失って、黒い海に沈む
機械の翼を持つ鳥よ。今、幸せになれたのか
私は君を死へと向かわせたのではあるまいか
* * * *
“ひらがな”の姿で存在する文字。多分、それらが単独の音として組み替え易いのを良いことに、一度歯車が噛み合ってしまった。
物語の間の『道』を往く者たちがいるように
物語の外の『輪』を捻じ曲げる者たちがいる
「ルービット、あなたが敵対していたのはこれか」
悪戯に残されたメッセージを紐解いていく。たった一文字の“輪”を差し込み現れたのは『さいわいなことわり』なる文字列。漢字にすれば『幸な理』と確かに収まる。……いや、一字四音の偶然連続はあまりに出来過ぎて……遅かった、仕込まれていた偽装言霊が嘲笑い強引に記憶を繋ぐ。
* * * *
-- from_box_vison / sandbox -- st
身体がまた動かなくなった。まだ少しだけ苦しかった。痛くて、重くて、まだ自分は生きていた。黒い雨が都市を死なせていく。行き場を失った黒い水が倒れこんだ地面を埋め尽くそうとしていた。鳴り止まない警報音が遠くで響いている。避難しろ? 絶対に嫌だ。
目障りな重装掃討機が何十機も黒い空を巡回しているのが見えた。大きなビルの入り口で半分だけになった電光板がバチバチと不規則に光っている。音も光もまだ分かる。
「まだ僕は生きている」
自分の声が自分に力をくれた。まだ立ち上がれた。
黒い水に浸かった地面を数歩だけ歩いた。やっと少し前に進めたのに、轟音の接近を認識した。掃討機の相殺波が僕の脚を折って空がひっくり返った。黒い水が世界を沈めた。
身体はもう動かなかった。もう少しも苦しくなかった。痛みは無く、ただ何も感じなかった。黒い雨は都市を死なせた。行き場のない僕がとうに死滅区域となったその場所へ向かうことを誰も止めなかった。決して消えない歌が心の中で響いている。待っていて、絶対に会いに行く。
どこへ押し流されたのか、僕の眼は黒い水にやられてぼんやりとしか見えなかった。ぼやけた輪郭のビルと……音はもう……。
もう一度歌を聞かせて
自分の声は聞こえなかった。
大切に持っていたボロボロの再生機のことを思い出したとき、やっぱり悔しくなった。何も感じないなんて嘘だ。涙が溢れてきた。涙は黒い水から視界を少しだけ取り返した。
意識が途切れて、また目を開けられた。動かない身体と横向きの黒く滲んだ視界のままだ。少し眠ったのだろうか。悔しさも情けなさも、向き先を作れない怒りも薄れていた。ああそうか、思考自体が薄れている。
温かい手が頬に触れた。再生機の端子が耳に接続されたのが分かった。誰? どうして感覚が戻ったの? 顔も動かせず声も出ない。
可愛くて懐かしい靴が見えた。信じられなかった。すぐに僕の横に寝転がり、顔の位置を合わせてくれた。歌が聞こえた。もう音は出ないはずなのに。笑顔が見えた。もう会えないはずなのに。
そういえば、この歌を聴きながら最期を迎えられたら良いなって言ったっけ。嘘じゃなかった。どんな歌よりも好きな歌だった。
何度ありがとうと言ったのか分からない。もう声は出ていないんだっけ、伝わったかな。きっと顔は泣いてぐしゃぐしゃになっているだろうな、かっこ悪い。あれ、でももう表情を変えられないんだっけ。
再生機の端子の上から僕の顔に手を乗せて、歌に合わせて口を動かしていた。涙が真横に伝っていくのは初めて見たような気がする。黒い水ばかり見ていたから、ああ、なんて綺麗な透明色なんだろう。
大好きな歌だ。その歌に包まれていく。もう僕には何も要らなかった。
-- from_box_vison / sandbox -- ed
* * * *
「人様の記憶を勝手に……」
チェスの駒、クイーンの形で笑っている偽装言霊に“異”を唱える。すなわち、『幸』を「さいわい」と読む場合には『幸い』と、“い”を添えて表記するという一太刀だ。手応えはあった。緻密に組まれた偽装言霊が故に、言葉遊びの階層が生む波形に対して脆い箇所があるはず。
『さいわい い なこと わ り』
間髪を入れず崩れかけた文字たちを狙って再編成をかける。
『いさい こいとなり』
異彩、恋と成り。二つの“わ”は差し込まれた一つに繋げる形でもう一つも押し出す。無限記号を模して、あるいは捻り合わせて二面を構成、メビウスの輪を模して、偽装言霊の踊る概念虚空へと打ち込んだ。
「……ダメか」
-- サイバーバードに捧ぐ - cyberbird / Gabriela Robin -- st
『ATH-29/UPD型 366号 応答せよ』
「無理だって。誰も乗っていないんだろ?」
「ああ」
「どうせ仲間に撃墜されるさ」
「その前に要塞が破壊しちまう」
『ATH-29/UPD型 366号 引き返せ。死ぬのは悲しいことだぞ』
「思い入れが過ぎるな」
一機の自動爆撃ヘリが制御不能になった。低AIならばハッキングによって、高AIであれど自我の崩壊によって、従順な機械蜂や機械鳥がただの害虫や害鳥に成り果てることは思いの外多く見られる。興味深いことに“負荷”を負う仕事を積めば積むほどにその発生率は上がった。ヒトに刃物や機械銃を向ける人間たちのそれとは違い、彼らは完全調律され得るはずの心しか搭載しないはずなのに。
制御不能の一機は長い距離を飛んで超高層に聳える要塞に向かっていた。母艦に相当する箇所は別にある。牽制する仲間を無力化もして、既にいくつものルールを破っている。
366号はやはり過去に無数の経験を積んでいた。暴走した旧式のすぐ後ろには最新鋭の部下が三機、対装甲砲の照準を完璧に合わせたまま追従している。要塞に接近する存在を害虫、害鳥と言ったのは他でもない、部下たちが手を出さずとも、要塞自体が備える無数の防衛機構が容易にそれらを排除するからだ。
一機は要塞のテリトリーに入った。
『366号 生まれ変わったら今度は』
強電磁パルスが正確に害虫の目を射抜いた。ソニックブームを過去にした対空ミサイルが二発、何も見えなくなった視界に迫る。
『子どもでも乗せて、何もない空を飛ぼう』
「もう聞こえていない。レーダーから消えた」
「いや、聞こえた」
そんな手段は誰からも教わっていなかった。どこにも載っていなかった。電流負荷を強制操作して脱出装置を起動、小爆発と共にオレンジ色をした無人の操縦席が灰空に射出された。灰空を泳ぐ黒い抜け殻を正確に破壊する対空ミサイル、もはや「誰」でもなくなった爆風に乗るただの椅子を、無意味なパラシュートが開く前に三機の小銃が異物として狙う。
ただの椅子がズタズタに破壊されガラクタ片に成り果てるまで、ほんの一瞬。かつて366号だった破片は、要塞を見据えた。それから、空に浮きながら尚も空の向こうを見上げた。最後に、声を聴いた。
そうだね、何も知らない子どもを乗せて、何もない世界を目指して。
-- サイバーバードに捧ぐ - cyberbird / Gabriela Robin -- ed
未だ因果の階段を悪戯に上下する偽装言霊。
どうして少年の記憶が選ばれたのかが分かった。彼を撃った自動掃討機もまた、翼や羽を持った機械だった。同じ空間に込められた人間の、翼無き機械の、声。
機械鳥たちに付き纏う制約制限は生き物の鳥たちにだって無縁ではない。だが、彼らだけにとって、持ち得る知能の幅によって、殺傷破壊能力の有無によって、ヒトを通して見上げる“空”の明るく清々しい概念は暗く矮小に変り果てる。それでは身勝手な人間が生み出した“幸”のそれは?
偽装言霊がマリオネットを模した姿に書き換わった。幻想作家は一体どうやってこれらを退けたのか。その手足から伸びた糸は不穏な意図を持って次の言葉を手繰り始める。
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