火花を刹那散らせ


「それとも植物学者ともあろう者が今更言うのかね? 花は誰かに見てもらうために着飾っているんだと」


 優に百人は格納したであろう楕円の場内が静まる。ここは議論の場か見世物の場か。


「灰青派も異論は無いようだ、決着としようじゃないか」


 唇を噛んで言葉を呑んだ相手を見下すように、金色の髪を丁寧に固めた恰幅の良い男は言い放った。曲面耐熱ガラスに覆われた火が揺れたかのようだ。白衣の袖元から希少鉱物をあしらった金の腕輪が覗く。今や植物学の権威は殆どが彼の組織に所属していた。


「…致死海流を受ける区域の植物は全て調べたと言いましたね。キカミライの系統の内、毒素への反応が解析し切れていない種があるはずです」


 押し黙るかに思えたもう片方の白衣の研究者感情が、零れるように言葉を絞り出した。声は女性のものだった。


「些細な問題だ。99.0%を前にした1.0%にすらなっていない。キミは我々の提示した資料に半分でも反対できるかね?」


 しかしそれも踏み潰される。勝ちを悟ったように男は上階層に座る存在を見やる。事実彼らは正論を述べていた。ただあまりにも強大で、強欲だったというだけだ。決定を下す者に彼らの息がかかっていたのかどうかまでは分からない。決定は、選択は、誰のための手向けに成り得るのだろうか。



* * * *



 その海底には異様な海流が観測された。魚介類のみならず広義の植物までもを、その深度に手を出した人間と機械すらも“死”に至らしめることから、間もなくそれは『致死海流』と呼ばれるようになる。強酸、猛毒、あるいは純粋に温度を超えて、それ自体が意思を持った生き物であるかのように目まぐるしく性質を変えて、それは存在する。


「くそっ…」


 壇上で抑え込まれた白衣の研究者が声を漏らした。思わず横拳を打ち付けた分厚いガラスがその姿と室内を反射する。容姿に気を使う余裕は無いようだが金髪の男とは対照的な恰好体格をしていた。彼女もまた一端の植物学者であり、稀有な視点を持っていたことから“申し訳程度の反論役”に抜擢された。あの場で焦点になったのは、やはり特異な形をしたある植物――“火花“のことに他ならない。

 植物の定義は幾重もの更新を経て多少なりとも変遷を辿った。旧定義「植物」の時代において、ヒトの植物化、植物への意思移植。人造種への交配は最終分岐経路図を何度も踏破し、やがてその定義を押し広げた。火花は超水圧の深海に群生する新定義「植物」の一種だ。旧定義なら“樹木”になったであろうその大きさは小さいものでも10メートルを超え、別の供給源を得たとは言え太陽光の恩恵がゼロになった死の世界で異様なほどの密度を形成する。青い色味をした細かい毛のような組織を上方向に発育させ、遠目には海流に揺らめく炎のような形状を見せる。欠損した組織が数秒単位の非常に短い時間で再生することからその生命力にも注目が集まった。だが何よりの特徴は他にある。火花は現在発見されている系統の中で唯一、致死海流への耐性を持っていた。


「私は…どうすればいい。彼らに何を示しても馬鹿げた推論に成り果てるとしか思えない。せめて…」


 せめて偉大な科学か、もう魔法でもいい、魔法が味方をしてくれたら。そんな考えが何故今になって浮かんだのか、彼女には分からなかった。


 彼女が立ち向かおうとした組織はつい先ほど重要な権利を獲得した。彼らの実行する大仕事は海底のある巨大区画に群生する火花の“伐採”である。致死海流に耐性を持った火花は海底に群生することでその流れを決定付けていたが、彼らはそれを「流れを歪めている」と好んで表現した。深海において尚も巨大な火花の密組織は強度がありしかも驚異的な速度で再生する。彼らは底知れぬ予算をつぎ込んだ兵器とでも言うべき大型機械でそれを刈り取った後に、頭脳の頂点たちが導き出した最上の火花専用除草剤を振りかける計画を固めている。一瞬でも火花の防壁を乗り越えた致死海流は、深海の“ある区域”に流れ込むことになる。


 枯れかけた思考で顔を上げると、薄暗い窓の向こうにぼんやりと浮かぶ白衣の姿。半透明の自分と、青い瞳が映った。



* * * *



「じゃあ、雷花は?」


「彼岸花の別称」


「雪花は?」


「それはもはや自然現象でしょ」


「よく勉強してるじゃないか。私も灰は見たことがあるが雪は見たことが無いなあ」


「…何が言いたいの」


「ヒトの付ける名前。言霊の添える彼方。素敵だと思うんだ。あの時並べてもらった名前には植物の名ではないものも、まだ存在しない植物のものもあったようだけれど」


 まだ私が白衣に腕を通す前、やはり白衣の、青白い肌をしたその人は私に不思議な話をしてくれた。私は少しでも自分を上に見せようとして、その人の前では何かに怒っているような自分になってしまった。その人は不思議な人だった。深い植物の知識はまるで底が見えない。それなのにここではないどこかを見据えようと、そこに手を伸ばそうとしているかのようで、気付けば跡形もなく消えてしまいそうな、儚い人だった。「イズミ」と、そう名乗っていた。



* * * *


 火花の名に込められたのは、何だったのだろう。彼らは、何かを致死海流から“守っている”のではないのか? その視点を肯定する材料は確かに見つけられた。資金が、人脈が、技術規模足りなかった。手遅れとなった事態がやがてその証拠さえも屑鉄にした。


 数千メートルの深海に超高度強化装甲を纏った巨大機械が沈んで行く。あらゆるものを迎える海の手はそれを拒まないが、どこからか低く唸るような音が聞こえ続けた。暗く深い世界へ、重さ故に速く、それでも緩やかに。間もなく海底の沈殿物が大きく舞い上がり、それは着地した。

 折りたたんでいた極太の機械腕を二本とも軋ませ伸ばすと、先端に大きく取った回転刃に活力が送り込まれる。短く咆哮をした兵器は手先の感覚を確認し終えて、群生する火花に向かって前進を始めた。角張った魚類のような恰好をした別の大型機械、除草剤の散布兵器がゆっくりとその後を追う。今の深海に二機を迎える“生物”は存在しない。新定義植物たちは昔のそれと同じように待ち続ける。悠然と流れ続ける致死海流を横目に彼らは進んだ。小さな火花の植生地を使って刃と薬の威力は実証され尽くした。仮に致死海流を受けようと兵器たちは数時間活動を続けられる。巻き上げられた死の跡が再び横たわることを繰り返し、導かれる結論は目の前に迫って行く。


 兵器たちの横から一機の小型潜水艦が現れた。個人所有のできる汎用型であり、機能的にはこの場に留まっているのがやっとの状態だ。潜水艦は迷うことなく刃腕を構えた機械の前に陣取った。とは言え潜水艦は精々5メートル。巨大機械は二体とも30メートル――火花の大型個体を優に超えるスケールに迫る。

 狭い操縦席には一人の植物研究者がいた。伐採能力を持った殺戮機械には高度なAIが搭載されている。その冷徹さにおいて、従順さにおいて。ヒトの範囲では賢いその植物研究者にもそれは分かっていた。自分が何をしようとしているかも、それが何にも成り得ないことも分かっていた。けれど、握った操縦桿を思い切り倒した。移動ターゲットを捉えて分類し終えた兵器が双刃を小さく振り上げたのが分かった。


――科学と魔法、私の方はちょっと引っかかる言い方だったけれど、その両方に祈ってくれたから。


 その世界に“割り込んだ”時間の中に、同じ名前を持った二人の存在が降り立った。


 海底の音速はあまりにも速く生々しく火花たちの悲鳴を伝える。その直前に、誰にも聞こえぬ短い絶叫があった。

 しかしその時間は巻き戻る。


――正しき者を導くために。二つの叫び声を“存在しなかったもの”とするために。

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