言葉の先生


「なるほどねえ」


 調査、記録、収集。そんな言葉で纏められてしまいそうだけれど、その目指すところはとても価値のあることに思える。


「それで、お名前か」


 二つ並んだ文字列をぼんやりと眺める。いかにもコードネームだとかシリアルナンバーだとかを連想させる『X5』と、意味を添えているらしき『Another』。彼女は暫定で『X5 Another』と、そう名乗った。


「あ、思い付いた。でもちょっと欲張りかな。念のためもう一度確認させて」



 あなたはこのあと私のことを忘れてしまうのか → 『YES』


 私はこのあとあなたのことを忘れてしまうのか → 『YES』


 私とあなたは“偶然”会っただけか → 『恐らくYES』


 あなたはこれから多くの場所へ行き、多くの人と出会う予定か → 『YES』



「私の名前をあなたに付けてもいいかな」


 どういう意味でしょう? と彼女。


「あなたの名前なのだけど、私最近言葉遊びが好きな女の子とお友だちになってね。その子から教えてもらった“コツ”が役に立った。これを見て?」


 私はメモ紙に漢字を一つ書いた。


『糺』


「んーと確か……」


『糾』


「こっちもか」


 追加でもう一つ。この二つの漢字は書き換え字という位置付けにあったはず。


「これはね、『糺う』と書いて“あざなう”と読むの。『糺』だけなら“あざな”ね。糸を縒り合せるっていうやり方ががあってね」


 細い糸を何本か手繰り寄せてより太い一本を作ること。何の偶然かそれは螺旋を生み出す。あわせる、あつめる、しらべる。そんな意味がこの漢字には込められている。


「漢字の形はどちらが好き? ……ふむふむ、Uターンに釣り針に、交差にマトリクスか……面白い」


 彼女は少し悩んでから私が最初に書いた『糺』を選んだ。なんでも、彼女“たち”に似合っているからだと言う。良いことが聞けた。


「縒り合せるっていうのはこんな感じよ。こうやって指で……」


 彼女から私の小さな板のような端末はどう見えるのだろう。念のためそれで『糺』の漢字の意味を確認したり、糸を縒り合せているイメージを検索して画面を見せたりもした。若い子たちが喫茶店の丸テーブルを囲んで同じことをしているのは微笑ましいけれど、私と彼女がそれをするのもまた(特に彼女にとって)意味があるのかもしれない。


「ここまで、伝わった?」


 彼女はゆっくりと頷く。


「ありがとう。もう半分はね、こっちはちょっと無理やりなのだけど……」


 日本語の数字には何種類かの“音”が寄り添っている。『いち』『に』『さん』。隣には『ひ』『ふ』『み』。ここに“語呂合わせ”という幼馴染が遊びに来ると、数字たちは暗号の真似事をして奏者たちと戯れだす。

『4649』 → よろしく 

 『328』 → 三つ葉 

   『1122』 → 良い夫婦 ってね。         『7353 554 3152 471』


「ローマ数字はあなたの方が知っているのよね。『X』は数字の『10』だから、これには“とう”って音を充てるの。『5』は濁点を取って、“こ”にさせて。」


 言葉遊び道場には並び替えや読みの反転が門下生の帯を付けて待っている。私はメモ紙とペンをもう一度手に取って思い付きの全容を文字にした。


『X5』→『10 5』→『トウコ』→『凍子』

『Another』→『あなざ』→『あざな』→『糺』


「あなたの名前は、アザナ トウコ。凍子は私の名前なの。漢字もね。糺の意味は伝えた通り。名前の方の漢字表記は音しか合わせていないから、漢字は好きに決めてもらって構わないわ」


 彼女は名前の漢字も私のものを使うと言った。


 ほんの短い間だけお互いが言葉を止めた。


「先に告白するとね、例えば名前を100文字にして、私とあなたの記憶を保持できないかと考えていた。流石にちょっとずるいかなと思って。うーん、違うな、流れにそぐわないかなと思ったの。でもその名前なら問題ないでしょう?」


『YES』と彼女。


「あなたはあなたの名前の由来や意味を思い出すことはない。私はこの後もし何かの縁であなたにもう一度会っても、ちょっと珍しい私と同じ名前を持つあなたのことを疑問に思っても思い出すことはない。でも思い出せなくて悩むこともなく、それ以上追及することも多分ない」


 早くも私が掴み始めた彼女を取り巻く流れの一端への解釈は彼女自身の思う把握解釈とかなりの程度一致したらしい。共感に似た感覚に彼女は『嬉しい』と一言。



 文字や言葉を飛び石にした航海の対岸は何も魔境とは限らない。平凡な、ただの人間であることも多い。舵を切る術も石を見つけてあるいは作って跳ぶ術も、下手なら下手なりに愉しめば良い。ここまでは言葉遊びが好きな女の子からも言われておらず、また女の子自身も聞いてなどいない。どこかの幻想作家の殴り書きを真似た、悪趣味な紙の切れ端のご解釈だろう。「こんな感じで良いかね?」とね。



「X5 Anotherはペンネーム『糺 凍子』を得た。さあ、いってらっしゃい。お別れは笑顔でね」


『ありがとう』


 簡素に喫茶店を模した空間にも手を振って、私たちはそれぞれのところへ。

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