8bit_fluorescent


 主題すら決められていない絵画展に赴いた私は、ある作品の前で不意に意識を掴み取られた。


 夜の一場面だろうか、それもかなり昔の。人工建造物の雰囲気と贅沢な自然樹木の姿から私はそう判断した。

 絵画の四角が切り取った風景は視点もスケールもさほど大きなものではなくむしろこじんまりとしている。ぼんやりと発光する照明器具が、数台の乗り物を照らしていた。たしかこれは自転車という名称だったはず。

 その照明器具だけが絵画の中で生きている。木々の葉は風に靡かず音を与えられていない。生きたはずの虫たちの声も同じだ。ただ照明器具だけが絶妙に間延びした不規則なパターンで点滅していた。


「イライザツヴァイ、この照明器具は何という名前?」


『蛍光灯という名称です』


「点滅パターンは? 元々こういうものなの?」


『初期状態では常に点灯しています。再現されているのは時間経過による劣化で機能を失いつつある状態であると思われます』


 機能を失いつつある状態。一体どのくらいそれが続いて、何故これほどまでに不規則な波長を以て私を惹き付けるのか。クローズドセンシングに異常は無い。起動したばかりの汎用ヒューマノイドでも私と同じ見方をするだろう。


 薄暗く演出された広い空間。壁面に点々と配置された作品たちはその座標から既に意味を隠し魅せる。この部屋にも数種類の“来館者”が数人。私と同じ分類も僅かばかり。簡易に気配を探る。単に近くに私をじっと見ているような誰かがいないかどうか、それだけ。

 私は制作者の補足説明を得られる簡素な装置に手を触れることを決めた。


『切れかけた電灯のパターンのみに8bit媒体で2.5exabyteを込めた』


 たったの一文。分かったのはでたらめに増幅したその情報量だ。しかしこの絵は完全没入型ですらない。絵画、画像、映像の境界を越えることはもはや趣向の世界に過ぎず造作もない。であれば、もしや、


「…だめか」


 絵画自体に引っ張るような取っ手は見当たらない。

 この絵画展では全ての作品において画家の名前が伏せられている。一介の解析屋として施設の網へ潜入を試みたものの、防壁に到達する前に黒い装束の人型オブジェクトが一対、門番よろしく待ち構えていた。明らかに侵入者を手招きしているのだ。身元を隠していたらしき攪乱用のボットが一機、粉々にされて同類への見せしめにされていた。一般公開の細やかな絵画展にしては情報領域にリソースを割き過ぎているとしか思えない。



「イライザツヴァイ、3分だけ私とこの絵を囲ってくれる? 静かに鑑賞したいのよ」


『承知しました。ネットワークを遮断します』


 誰かに干渉したいのよ。この絵画を残した誰かにね。


 程度の差はあれど芸術創作物には心を引きずり込まれる感覚が確かに生じ得る。対作品かその奥の作者を描くかは人によるが、そのやり取りは一瞬だ。視覚情報は雄弁に想いを語り私の核は言語を介さない交感を見事にやり遂げる。それでも私が3分間も確保したのは不安定なアナログ陶酔に身を投げたかったからに他ならない。




 田舎の自転車置き場で蛍光灯が切れかかっていた。

パチッ パチッ と点滅を繰り返し鼓動は高まる。チカチカと残像を生む凝縮は無限への崖に踏み込みかけ、また思い出したように点灯を叶える。短い呼吸をおいて、やはり思い出したように夜に浸食を許す。その度に部分的に錆びた自転車の群れと真新しい補助輪付き自転車1台が色味を取り返しては色褪せた。音の無い風に細い剣先を並べ垂れたような雑草が揺れ、こちらも不規則に光を攪拌する。

 照明器具の点滅は一定ではない不規則な周期だった。やがて消えゆく使命を前にただ闇を追い返していた。

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