第6話 亜空石
亜空神社の本殿の雑木林。
“ザ、ザ、ザ”
「ゲンドロウ、待ってくれや。
ふう、ふう、ここに来るのは久しぶりじゃなあ」
歩平もゲンドロウの後から付いてきた。
「よいしょっと……」
シュロ所に着いてゲンドロウは驚いた。
「な、なんだこれは!」
“どおおおおおおおお……!”
そこには大きな石が出現していた。
「こないだはなかったぞ!こんなの」
巨大な石は直径三、四メートルほどの球体で上部に角のような突起がふたつ出ている。
「これは《亜空石》じゃな」
「知ってんのか!
おじさん」
「見た覚えはないんじゃが、大昔に大きな石があったという古文書を処分した覚えがある」
「こらあ!処分するなよ!そんな大事なものは」
「歩平どん、これはそんなたいそうなもんじゃないどい」
石の裏からクマさんの声がする。
「父ちゃんか?」
「ゲンドロウ!
今日は朝からシュロ所が何かザワザワいっとてな。
来てみたら、この通りどい」
クマさんは石の後ろから回ってやって来た。
「父ちゃん、どこから来たんだ?この石は」
「どこからも何もないどい。
シュロの木がこの石の上に生えとっただけどい」
言われてみれば、シュロの木や土が石の周りに剝がれたように倒れている。
「そうかクマさん、亜空石が下から盛り上がってきたんじゃな」
「この石はワタイに挑戦してきたんどい!」
クマさんは石にロープをかけようとしていた。
「父ちゃん、神聖な亜空石に何をやってんだよ」
「まあ、見ちょれ。
この石とワタイとは因縁があるんどい!」
クマさんは手際よく石にロープを幾重も網状にかけていく。
“くるっすい、くるっすい……”
見る見るうちに亜空石は網の袋にはいったボールのような状態になった。
クマさんは網の目を登って石の上に立った。
「ふひゃひゃひゃ……!」
クマさんはまるで登頂でもしたかのように両手を上げる。
頭には丸の中に『ク』と書いた鉢巻き。
年期のはいった半てんに地下足袋。
腰にはカナヅチやノミをいくつも刺したベルトをしている。
「おお、“石割りのクマさん”だあ。
久しぶりに見るなあ、その姿」
歩平が懐かしそうに叫んだ。
「じっじん、かっこいい!」
「忍者みたい!」
「大丈夫?クマ父ちゃん」
ゲンドロウの後ろでいつの間にかミドルとユーラとオーラがいた。
「ユラオラ!今学校から帰ったのか?
ミドルちゃんも」
「うん!ただいまゲンちゃん」
「ミツ母ちゃん、こっちこっち」
ミドルがミツさんを呼んだ。
「こあ、父ちゃんが馬鹿なマネしよるねい。
家でおとなしくハエを叩いとったらいいとにねい」
「母ちゃんも来たんか。
みんな勢揃いだな。
父ちゃん、危ないから早く降りろよ。
みんな心配してるぞ!」
「がんばれ!じっじん!」
「がんばれ!じっじん!」
「こら!応援するんじゃない!」
ゲンドロウがユーラとオーラをたしなめる。
思い込んだらまっしぐらのクマさんは石の上で金槌とノミを突き上げて叫んだ。
「みんな聞けい!
これは亜空石なんかじゃないどい!」
「じゃあ、何だよ!」
「これは昔、ワタイの人生を狂わした《不運の石》どい!」
「不運の石?」
「そうどい!この石のおかげでワタイの人生は狂った!」
「父ちゃんの人生を狂わせたって?
この石が?」
「ワタイは昔、トンネル職人じゃった!」
「トンネル職人?」
「呼ばれればどこへでも出向いてトンネルを掘っていたんどい!」
「初めて聞いたよ」
「名人名人と、もてはやされていたんどい!
あの頃、ワタイは人生バラ色絶好調じゃった!」
「ホントかよ、
知ってるか?おじさん」
「本当じゃ、ゲンドロウ」
「飛ぶ鳥を落とす勢いのそんな折り、瓦山(かわらやま)山脈ルートというトンネル計画があってな」
「ああ、それを言うか、クマさん」
「国をあげての大事業で、瓦山にトンネルを掘り始めたんどい」
歩平はしかめっ面をしている。
「だけんどトンネルの途中でどうしても割れない石があった。
そこでワタイが呼ばれたんどい」
「父ちゃんは割れたのか?」
「ああ、みごとにな」
クマさんは懐かしく空を見る。
「みんな喜んでなあ、 お祭り騒ぎどい
ワタイは英雄だった。その時までは……」
「なんだよ!」
「せっかくうまくいきかけた時、こいつが壊したんどい」
クマさんは立っている石を憎々しげに踏んづけた。
「えっ!石が壊したって?」
「こいつが山脈から転がってきて……」
クマさんは声を震わせる。
「この岩の転がる衝撃でトンネルが塞がってしもうてな。
そもそもの、トンネルを通す計画もなくなった」
「それじゃ、ますます、この石じゃねえだろって!」
「クマさん、ゲンドロウの言う通りじゃ、その石じゃないじゃろ
オマエさんの勘違いなんじゃ」
「どうでもいいわい!
ワタイが悔しいのはトンネルが中止になった原因が全部ワタイのせいにされた問題どい!」
「なんだ父ちゃん、話がおかしくなってるぞ!」
「あの事件依頼、ワタイは体も動かんようになるし、どん底どい」
「そら、残念だけどな」
「石割り名人として名を馳せたワタイをこの石が台無しにしたんどい。
そして今度、元気になったワタイの邪魔をしようと現れたんどい」
クマさんの脳裏に石に襲われて破壊されていくトンネル工事現場がよぎる。
「そんな馬鹿な!
父ちゃんの妄想だろ!」
「うんにゃ!間違いないどい!
その証拠がこの角どい!」
クマさんは左右に突き出た突起をコンコンたたく。
確かに特徴的な形をしていた。
「ワタイに挑戦してきたこの石をワタイは割る!」
ひと通り、持論を展開したクマさんは手足の関節を回し始めた。
「よせよ!父ちゃん。
とうとう頭いっちまったかあ!
それが亜空石だったらバチが当たるぞ!」
ゲンドロウの忠告をよそにクマさんはしゃがんで石をなぞり始めた。
「歩平ちゃん、クマ父ちゃん何やってるの」
クマさんの行動を黙って見ていたミドルが歩平に尋ねた。
「あれか?あれは石のスジを読んどるんじゃよ。
名人と呼ばれたクマさんは石のスジを読んで割るという技を持っとるんじゃ」
「おじさん、盛り上げの解説はいらないんだよ!」
「よし!読めた」
そう叫ぶとクマさんは特製の大きなノミをとりだして、そっと石にあてた。
「父ちゃん、止めろって!」。
「無理じゃ。クマさんは完全に思い込んでる
ゲンドロウ、クマさんの好きなようにやらせろ」
「ええー?おじさん!
おじさんはあれが亜空石だって、言ったじゃねえか」
「亜空石じゃよ。
亜空石は絶対割れないはずなんじゃ。
亜空石は神の石じゃから人間には割れん!
だからクマさんの気の済むようにやらせろ」
「そうだな、ましては父ちゃんのようなじいさんではな。
へへへ、機械でも無理だろ」
歩平の話を聞いて、ゲンドロウも安心する。
「がんばれ!じっじん」
「がんばれ!じっじん」
ユーラとオーラは無邪気に応援する。
クマさんは石のてっぺん部分に当てたノミをまず軽く叩く。
“コン”
そして強めに
“カーン、カーン“
「おお、クマさんが昔を思い出しているんじゃろ。
目が輝いとるわ」
歩平が余裕で眺めている。
「オレは父ちゃんの情けない姿しか知らないからな。
酒ばっかし飲んでたし……
オレなんか父ちゃんが可哀想になってきたよ」
“カキーン カキーン“
クマさんは無心にノミを打ち込んでいる。
さびれた亜空神社に空しく響いた。
“……カキーン……カキーン……”
「父ちゃん、もう気が済んだろ。
降りてこいや」
“コキーン……コキーン……”
石を割る音が変わった。
「みんな下がっとれ
もうすぐ割れるど」
“くい、すとん”
クマさんは得意げに石から降りてくる。
「はいはいやっと終わったんだな」
ゲンドロウはやっと安堵した。
クマさんは胸の高さの網の目のひとつに最後のノミを当てる。
「見ろ!あとひとたたきで割れるど!」
「おい!ユラオラこっちにおいで!」
ミドルはふたりをしっかり抱き寄せる。
「クマ父ちゃん、やるかも……」
ミドルがつぶやく。
“ざざーっ”
シュロの木の葉が風に揺れた。
クマさんはにやりとして石をにらむ。
「くおおおおおお!」
そして、ここと決めた所に思いっきりノミを打ち込んだ。
“カーーーン!“
クサビは高い音をたてて石にくいこんだ。
“……”
“ピシッ ピシッ ピシッ”
観念したように石に亀裂がはいっていく。
最初は縦に、そして横にも。
「ほらほら 割れて行く。
ワタイの腕もまだ落ちとらんかったなあ。
ふひゃひゃひゃ」
「やったー!じっじん!」
「ワオっ!どんどん割れていくわ!」
クマさんはしっかり石のスジを読んでいた。
十字にはいった亀裂はさらに細かく割れて行く。
「ひょひょひょー これぞ碁盤割りどい」
“グワラグワラグワラグワラグワラ……!!!”
数メートルもあった石が一気にくずれ去った。
それとともに巻き上がる粉塵。
“モワモワモワー”
あたりが霞んで何も見えなくなる。
「みごとやなあ!クマさん、
あれだけ大きかった石がこんなに細かく割れるなんてなー!」
歩平はすっかりクマさんを応援する側に回っていた。
「ふひゃひゃひゃ、 ちょっとワタイも予想外やったな
こんだけ細かく割れるとは」
クマさんは金槌をくるくるまわす。
「じっじん、やったー!」
ユーラとオーラも踊っている。
「ゲンドロウ、安心しろ。
これは亜空石じゃなかったんじゃ。
なにしろ、クマさんに割れたんやからな」
「おじさんの理屈もわかんねえよ。
でも、割んなくていいだろ!
この石にどんな恨みがあったんだよ父ちゃん」
ゲンドロウはクマさんの無鉄砲さにあきれている。
「ゴホッ、ゴホッ
しかしすんごい粉塵だな。
ユラオラ、近づくんじゃないぞ。
ありゃ!何じゃこりゃ、あれじゃないか」
粉塵がだいぶおさまってきた。
「何か立ってるぞ!」
“ずうううううううううううううん!”
「ゲンドロウ、これは鳥居じゃ」
「これが鳥居か?」
ガレキの上に異様な雰囲気の鳥居が立っていた。
ゲンドロウは歩平をにらむ。
「歩平おじさん!
亜空石じゃないって言ったよな。
なんで鳥居が出てくるんだよ!」
「ほおお、石の中に鳥居があったとはなあ
あのでっぱりは鳥居の角だったか……」
「ちょっとゲンちゃん、この鳥居 変わった形しているのね」
ミドルが気がついた。
「ほんとだ、変だな」
亜空神社の鳥居は柱に横たわる二番目の貫木が大きな輪っかになっていた。
「おああああ、これは、もしやもしや」
歩平が青ざめている。
「どうした?歩平どん」
「思い出した!クマさん、これは『亜空の門』と呼ばれとった鳥居じゃよ」
「亜空の門!」
「それで?」
「この亜空神社にある伝説なんじゃが……
この世界と別の世界の出入り口があったそうじゃ」
「へえええ」
「出入り口には門があってな。
亜空の門とよばれておったそうじゃ」
「大昔にそういう門があったという古文書を処分した覚えがある」
「また処分したんか!このバカ神主!」
ゲンドロウは門を触ったり、くぐったりして確かめる。
「ゲンちゃん、ほらお地蔵さんがあるよ」
崩れたガレキの中からユーラとオーラが何かを拾って持っている。
「ちょっ ちょっと待て!
こりゃ地蔵尊じゃないか!」
それは田舎道によくある粗雑な石の地蔵だった。
「なんでこんな石の中にはいっているんだろうな」
ゲンドロウはユーラとオーラから地蔵尊を受け取ってミドルにも見せる。
「どういう訳か 石の中に閉じ込められたみたいね」
「おい歩平どん 知ってるか?これ」
クマさんは地蔵尊の頭をコンコンと金槌で小突く。
「よせよ!クマさん。あっ、ちょっと欠けたじゃねえか」
歩平が取り上げる。
「ホージーまだあるよ」
ユーラとオーラが無邪気に見せる。
「まだあんのか!
他にもあるか、探してみよう」
ゲンドロウも探し始めた。
地蔵尊はごろごろ出てきた。
全部で四体。
「こんなに出てくるとはなあ……」
歩平は神妙な顔をして地蔵尊を眺めている。
ゲンドロウは
「歩平おじさん、これってやばいよなあ」
「ああ、やばい、やばいぞー」
「だろ?
父ちゃん、やらかしたな」
歩平はにやりとして
「こりゃ値打ちもんかもしれんぞ!ゲンドロウ」
「こらっ!そうじゃなくて、オレは運がやばいって言ってんだ!」
「へへへ、冗談じゃよ ゲンドロウ」
歩平は地蔵尊を丁寧に台車に乗せた。
「一応、蚤の市に出してみるか」
歩平のうかつな判断が新たな運をつないだ。
のちにこの地蔵尊が霜霧山をゆるがす大事件をもたらす。
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