第2話 亜空の丘の住人
東洋の小さなの列島の南、山々に囲まれた盆地……
なぜかこの地を囲む山にはトンネルがなかった。
交通手段は峠をやっと超える細い道路だけ。
霜霧山盆地と呼ばれる盆地にはいつも重苦しい霧がたちこめていた。
この地だけ特別の何かがあるのか。
盆地の真ん中にヘソのように出っ張った《亜空の丘》という丘がある。
丘の真ん中には見事なソバ畑。
それをはさむように南に神社、北に小さな古民家があった。
南にある神社は《亜空神社》という。
由緒のある神社だが、詳しい歴史が受け継がれず、謎に包まれていた。
今はさびれくたびれ、その存在さえ人々は忘れかけている。
北の古民家に住んでいるのは《クマさん》と《ミツさん》の老夫婦。
クマさんは元トンネル職人。
名人と呼ばれたトンネル職人だったが、不運に振り回された。
今ではよぼよぼの愚痴老人。
自らのおぼつかない身体にいつもイラついていた。
“ブーン、ブン”
「ああーーん、もううるさいハエどい!」
“びしっ!びしっ!”
クマさんは頭のまわりにハエがまとわりつくので、いつもはえたたきで追い払っていた。
しかしこのハエ、クマさんには現実なのだが、他の人には見えない。
気短な性格も加わって、他人からは変人扱いされている。
「こん!どんたこがー!」
“びしっ!びしっ!”
ハエを追いながらクマさんは玄関を出て、神社の参道の入り口にヨタヨタとやってきた。
「ミツー!ミツはおらんとかー!
また畑かー」
ミツさんの生き甲斐はソバ作り。
体の弱いクマさんにかまいもせず、ミツさんはいつも自分の世界にいる。
亜空の丘のソバはミツさんが丹精込めて育てたもの。
畑から収穫して、粉をひき、こねて切る。
強烈な粘りを持つ亜空の丘の手打ちソバはミツさんしか打てない。
ダシは独特のイワシダシ。
ミツさんのソバを口にしたものは、誰もが新感覚の味に驚く。
ミツさんは常にうまいソバの品種改良をしていく。
そしてついに、うまさを越えた特別なチカラを持ったソバを作り出す。
しかしその事実はミツさんしか知らない。
「おーい!みつー!」
「よお、クマさん、相変わらずイライラしとるなあ。
ウチの神社まで声が聞こえとるぞ」
やってきたのは亜空神社の《色羽歩平(いろはほへい)》だった。
古過ぎる神社で、やる気のない神主をやっている
「おう、歩平どん!
あそこ見てみい」
クマさんは霜霧山盆地の南にあるタンコブ山を指差した。
「タンコブ山か……どうした?」
「何か見えるやろ」
「そういえば、ほのかに光っとるな」
「ゲンドロウがあそこに行っとるはずなんどい」
クマさんとミツさんの間に生まれた子どもは《ゲンドロウ》といった。
「なあ、歩平どん。ワタイが拾った不思議な木の実を見せた事があったやろ?」
「ああ、実の真ん中にでっぱりがあって、クネクネ動くやつ。
まるで、チンチ……」
言いかけた時、クマさんがハエたたきで小突いて止めた。
「あの実はワタイの命を救った実なんどい!」
「ああ、確か、クマさんがこの盆地のトンネル工事でやらかした事故のやつやったな」
「こら!やらかしたって言うな!」
「わりい、わりい、でも、あの事故があったから、あんたとミツさんはめぐり会えたんやろ?」
「めぐり会えたなんてきれいなもんじゃないどい!」
「そうかあ?」
「あの爆発で床が抜けて粉塵で何も見えんかった。
必死に這い上がったワタイの背中にアイツがくっ付いとった」
「あの実が粉塵の暗闇からクマさんらを外に導いたんだったな」
「そうどい。粉塵の暗闇の中で導いてくれたんどい」
「《導きの実》やな」
「そうなんどい。ワタイにとってはな」
「その導きの実がどうかしたんか?」
「そうなんどい。こないだ導きの実から、すーっと光が出たんどい!」
「光?」
「そう、その光はタンコブ山のほうを指しておった。
導きの実が再び教えてくれたんどい!」
「何を?」
「何を教えたいのかわからん」
「それでゲンドロウを見に行かせたんじゃな」
「こあ!」
「わっ!びっくりした。ミツさんか」
いつの間にか、歩平とクマさんの横にミツさんが立っていた。
「ミツ、どこにおったんどい」
「もうすぐゲンドロウが帰って来るねい。
車の音が聞こえたからやってきたんよ」
「ふん、耳の遠いオマイに聞こえる訳ないどい。なあ、歩平どん」
ミツさんはクマさんの言葉を無視して、タンコブ山の方を見て指を指した。
“……ブル……ブルルル……”
「おっ!クマさん、車が来たぞ!ありゃゲンドロウの車じゃないか」
歩平も指差した。
タンコブ山に続く道から土煙があがっている。
土煙はしだいに大きくなり、パスパスと不具合な音をたててワンボックスカーがやってきた。
“ブルルルル,プスン”
やっとたどり着いて、安心したようにエンジンが切れた。
“……ギシッ”
ドアをこじ開けてずんぐり男が出てきた。
作業服のあっちこっちが破けて泥や草のクズがこびり付いている。
「ふう、なんとか着いたか」
「よお、ゲンドロウ!」
「あれ、歩平おじさん、いたのか」
「なんだ?その顔は」
ゲンドロウの顔はぶつぶつと赤く腫れていた。
「ゲンドロウ、どうだった?」
クマさんは報告を聞きたくてたまらない。
ゲンドロウは顔のぶつぶつを撫でながらにやけている。
「父ちゃん、あのな」
“どたどたどた……”
「こあ!ゲンちゃん、その顔どげんしたと?」
ミツさんがクマさんをはねのけて駆け寄った。
「だいじょうぶだよ、母ちゃん」
「ゲンドロウ!タンコブ山に何かあったとか?」
クマさんはしつっこく尋ねた。
「ああ、父ちゃん、大ありだよ」
ゲンドロウは眉をひくひくさせながら、車の後に回ってハッチバックの取っ手に手をかけた。
「驚くなよー!」
ひと呼吸おいてハッチバックを開ける。
“ギーッ!”
「ヘイ!着いたよ!」
トランクには人の気配がある。
“ぐいっ、ごそっ”
赤いトレッキングシューズを掃いた長い足が出て来た。
「うん?誰かおるとか?」
「ハーイ!」
“ぱあああ”
あたりの空気が華やかに明るく広がった。
中から現れたのはちょっとこの辺では見かけない顔立ちの女性だった。
背が高く、肉付きのいい、ボリュームたっぷりの体型をしている。
そしてゲンドロウと同じように汚れた服で、顔も手足もブツブツと赤く腫れていた。
さらに目がトロンとして、足下がフラフラしている。
「あんたは……」
クマさんは口をあんぐり。
「わあ、空が近いわあ」
乱れた長く深い緑の髪の毛をかきあげながらその場でくるりと一回りした。
「ぐるーっと山に囲まれているのねえ、ここ」
そしてようやく固まっているクマさん達に気がついた。
「ハーイ!みなさん」
「あんた外人さんか?」
真っ先に口を開いたのが歩平だった。
「ハイミー!よろしく」
「いらっしゃーい!
この辺で……いや、日本で見かけないタイプじゃなー!」
歩平の目はめまぐるしく動き、瞬時に品定めする。
「おっぱいがぶるん、ケツがどーん、足がしゅーん!目方もどっしーん!」
女好きの歩平が彼女を効果音だけで表現した。
「父ちゃん、導きの実の光をたどったら、この人にぶちあたったんだよ」
「ワタシ、《ミドル》よ。
よろしくー!」
ミドルは手を差し出した。
「ミ、ミドルちゃんか!」
クマさんは照れる。
ミドルの手は歩平がにぎって握手。
「よろしくねーミドルちゃん
そのダイナミックバディ!
アンタはただもんじゃないな!」
歩平はよだれをたらして興奮している。
「ゲンドロウ!何があった!」
ふたりの異様な様子からして、まともな出会いでないのは推察できた。
ミドルはゲンドロウと歩平に支えられながら歩き、縁側に腰掛けた。
「あれは《運》だ!
運としか言えない!」
ゲンドロウはキズをさすりながら興奮している。
「父ちゃん!」
「な、なんどい」
「ミドルちゃんも導きの実を持っていたんだよ」
「ホントか!」
「うん!彼女も導きの実に導かれてタンコブ山まで来ていたんだ!」
「そうかあ!
導きの実がふたりを引きつけたか!」
「なあなあ、父ちゃんの持っていた実は出っ張りがあったろ!」
「そうそう、チンチンみたいな……」
とうとう、歩平が口走った。
クマさんが睨む。
「ところがミドルちゃんの持っていた実はへっこんでいたんだよ」
「ドッキングやな!いやらしい!」
「言うと思ったよ!エロじじい!」
ゲンドロウが歩平を軽く蹴る。
「導きの実の光に導かれてオレ達はタンコブ山で出会ったんだ!」
ミドルも足を組んでうなづいた。
「予想もしない劇的な出会いだったよ」
「それにしても、なんでタンコブ山なんだ」
歩平は首をかしげる。
「おじさん、知ってるか?
タンコブ山のてっぺんって温泉があるんだぞ!」
「ほいほい」
「温泉? バカな。
あそこはただの野っ原どい、昔っから。
なあ、歩平どん」
クマさんが代わりに反論した。
「ほいほい」
「あるもんはしょうがねえだろ!」
ゲンドロウは声を荒げる。
「そこにミドルちゃんがいて、父ちゃんの出っ張りの実とミドルちゃんのへっこみの実がひとつになったんだ!」
「そ、そうか!
やっぱり、あの光には意味があったんどいな!」
「それからが大変だったんだよ」
「どうした!」
「オレ達はそこでハチの大群と数匹のサルに襲われたんだ」
「はあ?タンコブ山にサルがいたかなあ。
なあ、歩平どん」
「ほいほい」
「いるもんはしょうがねえだろ!」
ゲンドロウはまた声を荒げた。
「聞いた事がないどいなあ」
「とにかくいたんだよ!まあ、話を聞け!」
「ほいほい」
「こら、おじさん!
いいかげんミドルちゃんから離れろ」
ゲンドロウは歩平をミドルから引きはがした。
「ミドルちゃんは温泉で酒飲んで、湯当たりして、ふらふらだった。
そこをハチの大群とサルが襲ったんだよ!」
「そりゃ、大変どい」
「だからオレが彼女をおんぶしてやっとのことでそこから逃げてきたんだよ!」
ゲンドロウはコブシをにぎる。
「そう、ゲンちゃんはワタシの命の恩人なの」
「へえ、ゲンドロウがなあ」
歩平は日頃のゲンドロウの不甲斐なさを知っているので信じられない様子。
「そりゃ大変じゃったどいなあ」
クマさんも息子の不器用さを知っているので、同じ気持ちだった。
「ところでミドルさんだっけ、どっから来たんどい」
「ワタシ?うーん」
ミドルはうつろな目でしばらく考える。
「地球の裏側かな
世界中を旅してきたから……」
ミドルは宙に目をやって、人差し指をぐるぐる回した。
「ところでゲンドロウ、導きの実はどうした!」
「それがなあ、父ちゃん
オスとメスの実がくっ付いた瞬間、そこら中がぱあっとまぶしく光ったんだ。
それで気がついたら、なくなっていた」
「うーん、なくなったか……
元々不思議な実じゃからな」
「ちょっと横になりたい。
全身が……」
「ミドルちゃん、どうした!」
「光を浴びてから……全身にチカラが入らないの……」
ミドルは声を出すのも辛そうだった。
「ゲンドロウ、しっかり面倒みてやれ!」
ミドルはしばらく体調が戻らなかった。
それが旅の疲れなのか、消えた導きの実と関係あるのかはわからなかった。
ミドルは体調が戻るまで数ヶ月、クマさんとミツさんの家で過ごした。
この家は小さな古民家で、どっしりとした骨組みの梁と柱が黒光りしてむき出しになっている。
土壁と床の調和。い草の畳の手触り。
そして開放的な土間には釜戸と物置きと大きな作業台。
縁側から外を見ると重い空に霜霧山が連なり、庭の先には白い花をつけたソバ畑。
上品な花に似合わない癖の強い臭いが漂っている。
そのギャップにミドルは笑った。
「おーい!」
ソバ畑の向こうの亜空神社から歩平が手を振っている。
笑顔で手を振り返すミドル。
時間が止まったような和の原風景が遠い地から来たミドルの心を癒した。
「ここに住みたいわ……」
純朴なゲンドロウは寛容なミドルを献身的に介抱した。
ごく自然にふたりは愛するようになった。
ミドルとゲンドロウのふたりの出会いは、《運つながり》となって、すったもんだの物語に発展していく。
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