オデュッセウスに胃薬を! 2

 オデュッセウスといえば、事務員である。

 いや冗談抜きで、彼は何かと雑用に駆り出されることが多い。基本的には軍師なのだが、交渉事などでは必ずと言っていいほど白羽の矢が立つ。


 一応、腕っ節がないわけではない。ホメロス作の叙事詩オデュッセウスでは、数々の冒険を繰り広げた行動力のある人物だ。……その目的である故郷への帰還には、紆余曲折あって十年かかったわけだが。


 ある意味、ハーデスと同じく恵まれない環境――もとい、縁の下の力持ちである。死後は他の同僚と同じく、冥界の楽園・エリュシオンで生活していた筈だ。


「珍しいね、オデュッセウス君が我のところに来るなんて。どうしたの?」


「お久しぶりですハーデス様。ええ、これにはですね、オリュンポス山よりも高く、エーゲ海よりも深い事情が御座いまして……」


「面倒くさそうな臭いしかしないけど、分かった、聞くよ。――でもその代わり」


「? なんでしょう?」


「このゲーム、どうにかしてくれないかな? 軍師なら出来るよね」


「えっ」


 コントローラーを渡されたオデュッセウス。状況を飲み込めず、自分の手元とテレビ画面を交互に見つめる。

 しかし、持ち前の頭脳で理解は早い。二つ返事で頷き、ハーデスの横に腰を降ろす。


 テレビを前にしているその構図こそシュールだが、思案を巡らせる様は稀代の軍師に相応しい。ひょっとしたらどうにかなっちゃうんじゃないか、という空気が室内に流れていく。

 が、


「は、腹が――っ!」


「ええっ!? なんで!?」


「すみません……生前の苦労があって、私はちょっとしたストレスでも腹痛が起きてしまうのです。みんな私のことが便利だからって、あっちに行けこっちに行けって……」


「大変だねえ」


 オデュッセウスはコントローラーを手放し、覚束ない足取りで部屋の外へ。

 ハーデスの方はしばし画面を見つめた後、観念してゲーム機の電源を切った。やはりクリアに望みを託していたようで、零れる溜め息はこれ以上なく重い。


「……やっぱりアレだね、良いことがあった後には、悪いことが起こるもんだね」


「それじゃあ人生に何の楽しみも見出せないッスね……」


「け、ケルベロスが珍しく正論言ったよ!」


「俺はだいたい正論言ってるっすよ!」


 えー、と主人は尚も不満なよう。

 しばらくするとオデュッセウスが帰ってきて、ハーデスは佇まいを直す。同類が来ているお陰で、少しは冥界王として自覚が出ているんだろうか?


 まあ今自覚があったとしても、数時間後には元通りだろう。珍しく外に出たのだって。例外中の例外だったわけだし。


「で、オデュッセウス。今日はどうして来たのさ?」


「いえ、一つお願い事がありまして。……数日前に私の元同僚が言ったんです。トロイア戦争の参加者で飲み会やらねえ? と」


「――先の展開が読めた気がするけど、続けていいよ」


「ではでは。――トロイア戦争というと、叙事詩イリアスで行われた大戦、参加者はギリシャの名立たる英雄達です。もちろん数も多いわけでして……」


「全員呼びに行くから、ちょっと手伝って欲しい、と?」


「はい……」


 申し訳なさそうに、うつ向き気味にオデュッセウスは答える。

 当然ながらハーデスは即答しない。それどころか、眉間に皺を寄せて心底嫌がっている。とどのつまり、ペルセポネが煽ればゴーサインが出るパターン。


 まあハーデス、オデュッセウスともに同情するべきではあるんだろう。イリアスの参戦者なんて、一筋縄ではいない人物ばかりだ。


 幸い、所在についてはエリュシオンで統一されている。冥界の楽園自体が広いため時間はかかるだろうが、場所さえ分かっていれば行動するのは簡単だ。


「旦那様、助けてあげましょうよー。オデュッセウスさんは、旦那様しか頼る人がいないんですよ?」


「う、うう、分かったよ……」


 このように。

 冥界の王から、引き籠りという属性が徐々に消滅していくのだった。――一時的に。

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