第一章 冥界の日常

ケルベロス、買い出しから戻る 1

「おいっ、どうしてワシがこんなところにいるんだ! ワシが一体、どんな悪を成したと――」


 わめく囚人の声を、六つの視線が一瞥する。

 たったそれだけで、男は叫ぶことを止めた。まあ仕方あるまい。頭が三つもある冥界の番犬・ケルベロスに睨まれたのだ。生きているだけも幸運中の幸運。気紛れ一つで噛み砕かれもおかしくない。

 もっとも。

 今、ケルベロスが噛み付けないのは理由があった。


「はぁ……」


 三つの頭のうち、自由な一つが溜め息を零す。

 二つの頭が持っているのは、ビニール袋だった。

 スーパーの名前がプリントされた、地上ではよくあるビニール袋である。中に入っているのはカップラーメンを始め、非常食などが数点。冥界には場違いなことこの上ない。

 しかし冥界の公務員達は、またか、と次々にぼやいている。

 それにはケルベロスも同意だったし、彼らから来る同情の視線は有り難いものだ。

 そのまま一気に、冥界の中央にある神殿へと赴く。

 自分がいつも番をしている場所は、例外的に数名の公務員へ任せてある。オルフェウスみたいに侵入者がいないとも限らないし。

 いや、まともな来客があった時だってそうだ。主人を対応に出させるため、どうしても彼と親しい門番は置く必要がある。

 巨体でゆっくりと門を開けて、ケルベロスはハーデスの神殿へと入った。

 中は薄暗く、広いだけの空間となっている。天界に比べて、華々しさも何もあったものではない。この辺り、ハーデスの妻である女神は、リフォームしましょう、と計画しているとか何とか。

 ケルベロスとしては前途多難な計画だと思うが、確かにリフォームはいいかもしれない。ダイダロスとか呼べば、その手腕を発揮してくれるだろう。匠の技ってやつ。

 ともあれ。


「ハーデス様、入るッスよー?」


 神殿の最深部にある扉を、ケルベロスはノックする。

 向こうから聞こえた返事は、どことなく気だるげだった。しかしいつものことなので、ケルベロスはまったく気にしない。


「失礼しまーす」


 入った途端、聞こえるのは電子音。

 一台のテレビから流れる、ゲームのBGMだった。


「あ、ケルベロス君、ありがとう。お湯、沸かしといてもらえるかな……?」


「うッス」


 暗い表情の主人に頭を下げ、ケルベロスは台所へ向かう。

 地上で流行? しているらしい、オール電化の台所だった。人の姿ではない自分には扱い難いのだが、ハーデスが気に入っているようで存在が許可されている。

 一通りの準備を終えると、ケルベロスはハーデスの横に座った。


「あれ、64ッスか。またレトロなのやってるっすね」


「うん……爆ボン2を久しぶりにやろうと思ってね。ほら、ラスボスさ。すごく強いから。久々に倒してみようかな、って」


「モ〇ハンはやらないんスか? 冬に新作出て、やったあああぁぁぁぁあああ、とか珍しく喜んでたじゃないッスか」


「……うん、まあ、ね」


 いつも通り暗い表情で、ハーデスはポツポツと語っていた。

 でも本当、冬に新作ゲームが出る時の彼のテンションは異常である。特に複数人数でのプレイが可能なゲーム。

 理由は単純。

 冬は唯一、ハーデスが妻と過ごせる季節である。

 妻の名はペルセポネ。嫁入りする前はコレと名乗っていたが、今では好んで前者を使っているとか。甘いお菓子をご馳走してくれる、ケルベロスにとって二人目の主人である。


「ほら、どうせならさ、セポネが来た時にやりたいから……」


「あれ、でもペルセポネ様、HR上限解放したらしいッスよ? ヘルメス様とタナトス様から聞いたッス」


「な、何だって……!? 我が禁止級伝説の厳選をしている間に――さすがセポネ! 我の嫁!」


「ああ、今度ポケ〇ンっすか。GSルールで大会あるんでしたっけ」


 ゼウスとポセイドンがテンプレしか使わない、と嘆いていたような。

 でもあの二人、ゲームの方でも浮気が激しかった気がする。メガ何とか最強、とか言って、次の日にはアンチへ移行したとか聞いた。

 好きなモンスターを使うハーデスとは、兄妹の相性がよくないんだろうか?


「ってかハーデス様、そろそろ天界に行ったらどうッスか? ご兄弟にも会ってないんでしょう?」


「だって……あいつら、いつも我のことを三男三男、って馬鹿にしてくるし。我、長男だよ?」


「いや、だったら――」


 長男らしく、威厳を振り撒いてはいかがだろうか。

 よし、とケルベロスは決心する。こっちには顔が三つもあるのだ。――無理やり連れて行こうと思えば、連れて行ける。


「ハーデス様、善は急げッスよ! さっそく天界に行きましょう!」


「え……い、いやだよ。セポネと会えるかどうか分かんないし、みんな嫌そうな顔するし……」


「駄目ッス! 行くと行ったら行くんスよ!」


 甘噛みの範囲で、ハーデスを引き摺ろうとするケルベロス。

 もちろん主人は、素直に従う筈がなく。


「いーやーだー! 我は引き籠りライフを満喫するの! セポネが来ないと外に出ないから!」


「だから駄目ッス! ペルセポネ様にチクるッスよ!?」


「それも嫌だー!!」


 神殿に響く、ハーデスの絶叫。

 このようにして今日も、ハーデス様の引き籠り生活は続くのであった。

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