兄に勝る弟などいないっ! 1

「伯父貴!」


「伯父上!」


 ハーデスの目前に来るなり、二人は同じタイミングでテーブルを叩いた。見事な息の合わせっぷりである。

 もちろん、本人たちの間には協力関係なんてない。兄弟なのにいがみあってばかりいる、ハーデスにとっては困った甥たちなのである。


 片方は随分と体格のよい美丈夫だった。名は軍神アレス。戦いにおける狂気など、戦争のマイナス面を象徴する存在である。彼にとって地上で戦死者が出ることは喜びであり、冥界にとってお得意様の神だった。


 アレスの横に立っているのは、彼に比べるとやや体格の細い青年である。

 穏やかで真面目そうな顔をした男だった。眼鏡をかけているところが、余計に争いごとから距離を置いているような雰囲気を与えている。


 こちらはヘパイストス。アレスの兄に該当する鍛冶の神。見掛けによらず戦闘もこなせる神で、有名なトロイア戦争でも川の神を屈服させた実力者だ。


「ああもう……どうしたの?」


 ハーデスにとって、やはり甥や姪は可愛いもの。子供がいないこともあって、普段であれば真摯な態度で迎えてやりたいところだった。

 しかし、この二人が並んでいるとくれば事情は異なる。

 アレスは、ヘパイストスの妻アプロディテの不倫相手なのだ。


「伯父上、この男になんとか言ってやってください。懲りもせずに、妻のことを追いかけ回しているのです」


「はっ、こいつの言うことに耳を貸す必要はねえぜ、伯父貴。アプロディテと釣り合うのは俺ぐらいなもんさ。軍神であるこの俺がな」


「う、うーん」


 やっぱり、面倒な話題だった。

 困ったハーデスはペルセポネを一瞥いちべつするが、彼女は我関せずでクロノスと雑談している。……父と仲が良いのは結構だが、夫の危機にも手をかしてほしい。


「ふん、軍神だと? バカなことを言うんじゃない。お前はアテナにまったく歯が立たないうえ、それを理由に父上へ泣きついたそうじゃないか。情けないにも程がある」


「ああ? 兄貴みてえな堅物に言われたかねえぜ。アンタだって、そのアテナと不倫未遂したじゃねえかよ?」


「……そ、それについては反省している。妹にもあとで謝ったさ」


 寝耳に水といったところか、意気消沈するヘパイストス。確かに彼も、他人の不倫をとやかく言えるものではない。

 しかしまあ、未遂で済んだのだから罪は軽いだろう。紆余曲折あって出来た子供も、アテナはきちんと育て上げているし。


「だいたいアレス、君の言い分は的外れだ。軍神であるから釣り合うというのなら、僕はなんだ? 君と戦って勝利した僕は」


「うっ」


 カウンターとばかりに、ヘパイストスは自分の成果を主張する。

 実はアレス、軍神という肩書きがありながら、ヘパイストスに敗北しているのである。まあ彼も武器を作る神様なわけで、戦いとまったく無関係ではないのだが。


「ああもう、その辺りにしなよ」


 これ以上の言い合いを聞かないようにするため、ハーデスは嘆息混じりに呟いた。

 甥たちは納得していないものの、一先ず言葉の矛を収める。……さて、問題はここからだ。冥界の主として調停の経験はあるが、どう上手く収めるか。


「うーん、アレスはどうしてもアプロディテから手を引きたくないの?」


「あたりめえだろ伯父貴。あんないい女が他にいるかってんだ。伯父貴も分かるだろ?」


「そりゃあ美の女神だし、もの凄い美人――痛い痛い痛いっ!」


 テーブルの下にある足を、強烈に踏みつける誰か。言うまでもなくペルセポネである。ああ見えて、夫の不貞には監視の目を開かせているようだ。


「……ヘパイストスは、見逃す気はないんだよね?」


「もちろんです。確かに彼女は貞操観念がユルいですが、アレスについては一線を超えていますからね。肉体関係までは許容できません」


「なるほど、確かにね」


 同調を見せたためか、アレスは焦りを表に出す。

 ……しかしまあ、彼も懲りない男だ。以前ヘパイストスに浮気を見抜かれ、神々の前で見世物にされたというのに。


 地上世界に例えて言うなら、有名芸能人が不倫現場を押さえられ、週刊誌に掲載されるようなものだ。ハーデスやペルセポネは現場を目にしていないが、不倫現場を押さえられたのは事実らしいし。


「伯父上、アレスに一言お願いします。どう考えても、彼に非があるのは事実です」


「おいおい兄貴、アンタの嫁さんは夫婦生活に納得いかねえから浮気したんだぜ? その事実を認めろよ」


「貴様のような脳筋と本気になるほど、彼女は甘くないぞ」


「ああ!? 文句あんのか兄貴!?」


「あるとも。なんならこの場で実力行使と行こうか?」


「はっ、望むところよ!」


 激しく火花を散らす二人。ハーデスは面倒臭そうに溜め息を零し、宴会の参加者たちは二神の対立にまったく興味を向けていない。それぞれがそれぞれのことに夢中だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る