第27話 悲 憤




 轟々ごうごうと、音が鳴っていた。

 これは耳鳴りか。

 否、風が吹いているのだ。レグルスの中に。嵐のような音を立てて。

 激しい感情は爆風ばくふうとなって体内を渦巻いていた。

 血液はマグマとなって駆け巡り、毛穴から噴き出さんばかりに荒れ狂う。


 静かだった夜は一変した。

 この女の所為せいで・・・!!




 瞬間、レグルスが動いた。

 隣にいるメイウィルの腰から短剣たんけんを奪うと、一瞬にして女との間合まあいをめる。そのまま女の喉元のどもとさばくつもりでやいばり出した。しかし、それはかなわなかった。

 短剣たんけんの切先が女の首筋に触れるかいなかの瞬間に、魔獣がレグルスと女の間に割って入り、そのきば短剣たんけんはじいたのだ。レグルスの右腕に重たい衝撃しょうげきが走る。

 しかし、レグルスは動きを止めなかった。右腕をかばいながら飛び退くと、目で追うより早く、地面に転がされた短剣たんけんの元へ走る。魔獣が一頭すぐさま追い掛けてきたが、レグルスは短剣たんけんにあと少しで触れるかどうかという距離で急に向きを変え、左足で地面をり、魔獣に目潰しをらわせた。


「ギャインっ‼︎」


 魔獣が甲高かんだかい声をあげてその場に立ち止まったすきに、レグルスは短剣たんけんには見向きもせず、先ほど女にり捨てられたサーヤの亡骸なきがらを両腕にすくい上げる。と、メイウィルとエルヴィンの元へ駆け戻った。






 その一連の動作が、まるでつかの出来事のようだった。


「サーヤを」


 レグルスにサーヤの亡骸なきがらを差し出され、メイウィルは一瞬いっしゅん躊躇ちゅうちょしながらも、その腕に優しく受け取った。サーヤの亡骸なきがら逡巡しゅんじゅんしたのではない。目の前のレグルスの容姿に戸惑ったのだ。

 

 今まで大人しそうに見えていた少年が、魔族と魔獣相手にあんな動きをするなんて。

 その上、今、目前にいる少年は、メイウィルの見慣れた姿ではなかった。

 元来の少年の瞳は、この辺では珍しい赤だった。それに見慣れるのにも時が必要だったのに、今、彼の目は、黒ずんだ金色へと変色している。その上、頬から首筋、両腕にまで、爬虫類のうろこのような模様が浮かび上がり、それがほのかに発光しているように見えたのだ。


 その容姿は、自分たちと同じ人間というよりは、魔族に近いもののように思えた。


「エルヴィン」


 そんなレグルスに声を掛けられ、エルヴィンの肩がビクリと飛び上がる。


「武器を貸して」


 相手の反応には頓着とんちゃくせず、淡々と言うレグルスに対し、エルヴィンは「あ、ああ」と躊躇ためらいながらも、腰に帯びていた短剣たんけんを手渡す。


「離れて」


 レグルスのその言葉に、メイウィルとエルヴィンは視線を合わせると、その場を走り去った。






 レグルスは、女から視線を逸らさず、二人が遠退いていくのを背中に感じていた。

 そんな時、自分の両腕に、うろこ模様もようが浮かび上がっていることに気付く。


 力を感じる。


 このうろこから、力がみなぎるようだった。

 そして、この苦い既視感きしかんには覚えがあった。トウマが死んだと知って、意識を失った時だ。あの時、レマやフェリドを相手に大暴れしたのが、断片的な記憶の欠片かけらとなってレグルスの脳裏のうりに残っている。それと同時に、その時の体感を、体が覚えていることに気付いた。


 この力は何だ。

 自分は何なのだ。


 謎は深まるばかりだが、今はそんなことなど関係ない。

 ただ、目の前の女と魔獣をほふること。

 それだけに集中すればいい。

 幸い、今の自分の体には、それが出来るかも知れない力が満ちている。


 これは好機チャンスだ!


 レグルスは短剣たんけんかまえると、魔獣の後ろに隠れている女に向かって走り出した。


 女が息を飲むと同時に、魔獣がうなり声を上げてこちらへと立ち向かってくる。レグルスは短剣たんけん逆手さかてに持ち替えると高く飛び上がり、こちらへ向かって大きく開けられた魔獣の口中こうちゅうに切先を突き刺した。


「ギャヒヒヒィ」


 魔獣が悲痛な声をあげてその場に倒れてもがき苦しむ。と、レグルスはすぐにやいばを返して、真横にいる女に斬りつけた。

 

「あああああっ‼︎」


 女の叫び声と同時に、その左腕が肩から切り離されてゴロンと地面に転がる。ぼたぼたぼたっと、傷口から勢いよく血が流れ落ちた。

 女はうめきながら銀杏並木いちょうなみきの後方、淡い光を放つ光源こうげんの方へと逃げ込んで行く。

 

 レグルスが追い掛け、銀杏並木いちょうなみきの裏まで来ると、淡く光っていたものの正体が分かった。魔法陣まほうじんだ。

 女が魔法陣まほうじん中心円ちゅうしんえんへと倒れ込んだまさにその時、一際ひときわ強い光が放たれ、人影が浮かび上がってくる。


小童こわっぱめが」


 敵意に満ちた声音と共に魔法陣から現れ、腕を切られた血まみれの女をき寄せたのは、また女だった。腰まである豊かな黒髪に、夜の闇の中でも際立つ白い肌、薄紫色のまなこたたえた美貌びぼうの女。

 それが高等魔族こうとうまぞくであることは、レグルスにも本能的に分かった。


 高等魔族の女は、魔法陣の外へと出ると、左手に持っていた鎖をクイっと引っ張る。その鎖の先は魔法陣の中心から底へと繋がっていた。

 彼女が一歩、二歩と歩みを進める度にズルズルと鎖が引きずられる。やがて、その鎖の先に繋げられたものが魔法陣から姿を現して、レグルスは息を呑んだ。


 リルーだった。


 針金のようなものでグルグル巻きにして作られた首輪が、高等魔族の女の持つ鎖にしっかりと繋がれている。

 リルーがもがけばもがくほど、針金が首に喰い込むらしく、その首元の白い毛が赤く染まっていた。


「リルー!!」

「ほう。小童こわっぱ、この子を知っておるか」


 思わず叫んだレグルスに対し、高等魔族はきょうが乗ったと言った様子で口を開いた。


「痛めつけておるわけではない。これはしつけじゃ。新しい飼い主にはよう慣れる為の。いやしい人間の魔獣使いに使役しえきされておったが、見目みめが可愛らしゅうて気に入った。この子だけは生かしておいて、わたくしのモノにしてやろうと思うてのう。あの小賢しい魔獣使いめ、小蝿こばえのようにうろちょろしてわずらわしかったが、この子は良い土産みやげであった。そうじゃそうじゃ、新しい名前も考えてやらねばのう」


 その言葉の端々はしばしから、レグルスの気を逆撫でてもてあそんでいるのが感じ取れる。

 しゃくに触る内容だ。

 フェリドに何かあったのかと、胃の腑の辺りがずっしりと重たくなる。


 高等魔族が喋っている間にも、背後の魔法陣からは、次々と魔獣たちがい出してきていた。狼の姿をした魔獣が数頭出て来た後、今度は三本角を持つ牛のような容姿の魔獣が出て来たのを見て、レグルスは戦慄せんりつした。


 それは間違いなく、ヤカ村を数で蹂躙じゅうりんした、あの魔獣だった。


「お前・・・っ」


 ヤカ村を襲撃しゅうげきした犯人が目の前にいる・・・。


 途端、レグルスの中に風が吹いた。

 先刻よりも更に強い風だ。

 頭の中には警鐘けいしょうが鳴り響いている。


 唇を噛み締め、目をギラつかせるレグルスを、高等魔族は鼻で笑った。


わたくしに対してお前とは。小童こわっぱ風情ふぜいが生意気な。よし、小童こわっぱ。そなたにはわたくしの名前を特別に教えてやろう。我が名はベラじゃ。ベラ様と呼べ。・・・さて、小童こわっぱ


 ベラと名乗った高等魔族は、右腕に抱き寄せていた手負ておいの女に自らの外套マントを着せて下がらせると、その腰に帯びていた長剣ちょうけんを抜いてレグルスに見せた。


「この剣に見覚えはあるか?」


 ベラのかかげた剣を見て、レグルスの中で吹き荒れていた風が止まった。

 胸中に、キーンと耳鳴りがするほどの静寂が広がる。


 女の持っていた長剣ちょうけん

 それは、亡くなったトウマの物だった。


「・・・な・・ぜ・・・」


 レグルスの反応に、ベラは満足そうな笑みを浮かべる。


「これはヤカという村で、無謀むぼうにも、我ら姉妹に挑んできた人間が持っていたモノじゃ。たった一人でなぁ。

 あの小賢しい炎使いめ、わたくしの指と可愛い妹の髪を焼きおった。その借りは返さなければなるまい? 

 その場で八つ裂きにしてやったのだが、あの虫けら、すきをついて逃げおったのじゃ。気絶していた小童こわっぱを連れてのう。

 そなた、その時の炎使いに似ておるが、・・・あの時の足手纏あしでまといではあるまいなぁ?」


 鋭かったレグルスの眼光に影が差す。

 沈黙するレグルスの様子が、恐怖と屈辱くつじょくを噛み締めているように見えたのだろう。女は気分が良さそうにクスクスと笑った。

 標的をおとしめて楽しむのが、ベラの趣向らしい。

 

 そこへ、後ろに下がっていた手負ておいの妹がフラフラとやって来て、何やらベラの耳元に囁いた。


「ふふふ、そうか。やはりこの小童こわっぱ、あの時の足手纏あしでまといか!

 ヒルデは何でもう覚えておるのう。賢い子じゃ、よしよし」


 ベラは一人悦ひとりえつったらしく、ヒルデと呼んだ妹の短い髪と喉元を両手でくしゃくしゃとでてやる。

 ヒルデは、猫のようにグルグルとのどを鳴らした。

 同じ姉妹でも、妹の方は言語を持たない中等魔族なのだろう。その中等魔族と高等魔族がどう意思疎通を図っているのか、人間には計り知れない。




 しかし、レグルスには、そんな事はどうでも良かった。


 冷たく凪いでいたレグルスの心に、ドロドロとした闇が渦巻く。

 全身に怒りが浸透し、腹の奥底から静かに沸いていた。

 

 だが、それとは別に、重たく苦い感情がレグルスの胸に迫り上がってきた。

 気力を奪おうとするそれは、塊根かいこんの念だった。


 死ぬ前の、トウマの動向が明かされた。

 それも、トウマを死に追いやった、当の本人の口から。


 そして、改めて思い知らされた己の無力さ。

 

 あの惨劇さんげきの夜、トウマはレグルスを庇いながらコイツらに対峙したのだ。

 そんな時に、無様に気絶していた自分は、足手纏あしでまとい以外の何物でもない。 

 トウマ一人だったならば、命を落とさずとも済んだかも知れない。

 その事実がレグルスを激しくさいなめる。

 レグルスの胸はなまくらな刃にえぐられたように重苦しく痛んだ。

 目の前にかたきがいるのに、自虐じぎゃくの想いが反骨心はんこつしんを奪い取って行く。


 ダメだ、このままじゃダメだ!


 レグルスは胸中きょうちゅう、弱い自分を叱咜しったした。

 しかし、気力は瞬く間にえてゆき、足がわなわなと震え出しそうになるのを必死に堪えた。

 その時。




 ーー この腑抜ふぬ野郎やろうがぁ。




 レグルスの脳裏に、誰かがささやいた。


 それは自分の声だった。

 しかし、間違いなく他人からの諫言かんげんだ。


 レグルスが戸惑いから軽い眩暈めまいを覚えた途端、その誰かが、脳内で叫んだ。




 ーー オレがやってやる!

    テメェは引っ込んでやがれっ‼︎




 脳味噌のうみそを直接殴られたような衝撃しょうげきに、レグルスの理性が、潜在意識せんざいいしきの暗闇に引き込まれた。





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