第28話 竜血の咆哮






 −− そろそろ、か。


 項垂うなだれた少年の様子を見て、ベラは胸中ほくそ笑んだ。

 種族を問わず、自分の手によって心打ちのめされた者の姿を見るとゾクゾクする。そうして屈辱くつじょく悲嘆ひたんに暮れた相手を痛ぶるのが、ベラの快感だった。


 −− さて、どう料理してくれよう。


 まずはこの炎使いの長剣で、その鼻面はなづらを叩いてやろうかと、舌舐めずりしながら、太いつかを持ち直して、一歩前に出る。

 高いヒールがカツンと小気味良い音を鳴らした。


「さあ、い声を聴かせておくれっ」


 ふくがった期待に、ベラの言葉尻が上擦うわずる。

 そして、刃こぼれした長剣の切先が少年の鼻先をとらえようとした、その時。

 少年の赤毛の隙間すきまから、闇に溶け込んだような金色の眼光がギラリとのぞいた。






『ガァああああああああああああああああああああああああああっ‼︎』






 いかづちのような咆哮ほうこうがベラの耳をつんざいた。


「なにっ!?」


 ベラは、咄嗟とっさに耳をかばって長剣を取り落とす。

 大気がふるえ、大地が揺れる。

 ベラの背後では、ヒルデがうずくまり、魔獣たちは耳を倒して伏せていた。


何事なにごとじゃっ!?」


 不意を突かれ取り乱したベラだったが、その咆哮ほうこうが目前の少年のものだと分かると、今度は口を閉ざさるをえなかった。


 −− なんじゃ、この気迫きはくは・・・‼︎


 ベラの首筋を冷たい汗がつたう。

 それは、久しく感じたことのない脅威きょういだった。

 これに似た恐怖を抱いたのは遥か昔、幼い頃に魔王様の居城で、囚われの

ドラゴン断末魔だんまつまを聞いた時以来か。

 

 否、そうではない。

 

 −− ・・・あるではないか、ほんの数年前に・・・。


 ベラは、蘇った記憶の断片だんぺん脳裏のうりに拾い上げる。

 そして、鳥肌立った両腕を掻き抱きながら「ははっ」とかわいた笑いをらした。




「・・・竜血りゅうけつ・・・っ」




 ベラはその言葉を呟いて身震いした。

 

 あれから、まだ10年も経っていない。

 ギガベスタの総力をもって、やっと滅亡へと追いやったバルトミリオン帝国。

 あの日、死力を尽くして対決したのが『竜血りゅうけつ』だった。

 

 竜血りゅうけつの強さは破格はかくだった。

 ベラにとっては苦い記憶となったいくさだった。相手を痛ぶるどころか、こちらが弄ばれているようで、あの戦いで何人もの高等魔族が命を落とした。ベラが命拾いしたのは、ただ、運が良かっただけのこと。

 

 竜血りゅうけつの恐ろしさは、いまだ夢に見るほどだ。

 その、竜血りゅうけつが今、ベラの目の前にいる。


「ま、さか・・・生き残っておったとは・・・」


 ベラの呟きと共に、竜血りゅうけつ咆哮ほうこうむ。

 

 目前の少年の姿は、かつての大戦の折に見た、あの竜血りゅうけつの姿へと変貌へんぼうしていた。

 肌にはうろこが生え、手足の先には鉤爪かぎづめが伸び、唇からきばのぞく。眼は黒金にギラついてするどく、頭には二本の角が生え、背中には角張った翼が現れていた。

 それは正にドラゴンそのもので、かろうじて人の形を保っているかのようだった。


 その竜血りゅうけつの眼差しが、ベラを射抜く。

 緊張からか、「クッ」と、ベラののどが鳴ったのを聞いて、竜血りゅうけつがニヤリと笑った。

 

 途端、ベラの肌が総毛立った。

 


 



   ***




「キャァあああああああああああああああああッ」


 ベラの悲鳴が耳に快い。

 竜血りゅうけつが、手の甲で軽く頬を叩いただけにもかかわらず、女の脆い体は豪快に地を跳ねて吹っ飛んで行った。何処までも転がって行きそうなソレは、牛型魔獣の巨体に当たって止まった。

 それを見て、妹が何か叫びながらベラへ駆け寄ろうとする。

 

 目障めざわりだ。


 竜血は小蝿でも払いのけるくらいのつもりでヒルデを後ろ手に叩いたのだが、それだけで、彼女の首が簡単に飛んだ。


 血飛沫ちしぶきが舞い上がる。


 失神する魔獣に体を預けたままだったベラが、妹の血を浴びて、再び悲鳴を上げた。


「ヒッ・・・ヒルデッ‼︎ ヒルデッ‼︎ ・・・あぁぁぁ・・ああああああああああああっ‼︎‼︎」 


 あの高飛車な女が地面にうずくまってわめく姿は、竜血りゅうけつに爽快感と優越感を与えた。

 竜血は天上に響く程の声で笑い、ベラに言い放った。


「いい気味だぜ‼︎ しいたげるってのはこうでなくちゃなぁ‼︎」


 その言葉にベラの顔が引きる。

 

 竜血りゅうけつはますます優越感と開放感とに、気分がたかぶるのを感じた。

 それに呼応こおうして、ほほうろこがザラリと開く。

 この感覚は少し嫌だな、と指先でうろこで付けると、竜血は自らのかたわらで小さくなって震える白いものに目を留めた。

 

 リルーだ。


「ああ、こいつか」


 リルーは苦痛を超える恐怖から失禁していた。必死に呼吸する口の隙間からは白い泡が吹き出してきている。


「汚ねぇなぁ」


 竜血は悪態あくたいきながら、リルーへと鉤爪かぎづめを伸ばした。


「きゃいん」


 リルーが小さく声を上げる。と、その首に巻き付けられていた針金のような首輪が切れて、地面に落ちた。

 それでも、自分に何が起こったのか分からないリルーは、小さくうずくまって震えるばかりだ。


「・・・ったく」


 竜血りゅうけつは小さく息を吐くと、勢いのままにリルーへと手を伸ばそうとした。が、ふと考え直して手を止める。次いで、そろそろと手を動かしてゆき、ガラス細工でもあつかうかのように、指先でゆっくりゆっくりとリルーの首根っこを掴むと、そのまま腕の上に乗せるようにして抱き上げた。

 

「おい、リルー」


 竜血りゅうけつが声をかける。

 と、リルーの耳が聞き覚えのある声にピクリと反応した。

 リルーがそろそろと視線を上げてみれば、やはり見覚えのない顔がそこにある。しかし、鼻腔びくうに感じる匂いは、あのレグルスだった。

 混乱するリルーを目前に、竜血りゅうけつあきらめたように溜息ためいきいた。


「傷つけやしねぇよ。お前はフェリドのもんだからな」


 「アイツのことは好きなんだ」とつぶやくように言いながらリルーをゆっくり地面に下ろすと、「ほら、行け」と尻を優しく叩いて、人家の方へと追いやった。

 リルーは二、三度、竜血りゅうけつの顔を見やったが、やがてゆっくりと、町の方へと駆けて行った。

 



 リルーを無言で見送った竜血りゅうけつだったが、不意に襲ってきた衝動しょうどうに、ガンっ、と拳をす。拳を当てられた銀杏いちょうの大木は、ミシミシ音を立てながら倒れた。


 竜血りゅうけつを突き動かす欲求。

 それは破壊衝動はかいしょうどうだった。


 竜血りゅうけつは、自らの胸をこぶしでドン、ドン、と叩きながら、ベラに目をやった。


「・・・この感じ、お前を殺っちまえばおさまるかも知れねぇなぁ・・・」


 竜血の目元と口元がニタリ、と歪んだ。

 その視線の先にいるのは、勿論ベラだ。

 ベラは「ヒッ」と小さく息を呑んだが、すぐさま身を翻し、狼型の魔獣の背に飛び乗る。


「殺せッ‼︎」


 ベラが手を振って命じると、魔法陣から這い出て来ていた数多あまたの牛型魔獣たちが、一斉いっせい竜血りゅうけつに向かって突進した。 


「その程度で、俺をれると思うなよ‼︎」


 竜血の翼が夜天やてんを引き裂くように、大きく開かれる。

 と、一陣の風が吹いた。

 途端、竜血は自ら魔獣との間合いを詰めて、先頭の一頭の鼻面を殴り飛ばした。魔獣の巨体が吹っ飛び、後方の数頭が巻き込まれる。

 しかし、それがなんだと言わんばかりに、数において圧倒的に優位なのは魔獣たちの方だった。

 魔獣たちはいななきながら、雪崩のように竜血へと襲いかかってゆく。


 だが、竜血も負けてはいなかった。その大きさに反し、機敏きびんに動く翼は竜血を風にした。瞬時に身をひるがえし、その圧倒的な力で、次々に魔獣を叩きのめしてゆく。魔獣の巨体が吹っ飛ばされ、倒れるたびに、雑木林ぞうきばやしの木々がうめくような音を立ててぎ倒された。


 魔獣の叫び声と、竜血の咆哮ほうこうとが空気を揺るがし、さながら、地獄のような惨状さんじょうが、ついさっきまで雑木林ぞうきばやしだった戦場に広がっていた。

 

 やがて、魔獣のしかばねばかりが、倒木の上に積み重なってゆき、5分も経たないうちに、牛型の魔獣たちは数匹を残し、たった一人の手によって殲滅せんめつされた。


 それ以外は、主人をかばって取り囲む5匹の狼型魔獣と、ベラのみだった。






「お・・・のれ・・・、っ・・・おのれぇ‼︎」


 ベラの全身がわなわなと震える。


「よくも、よくもこのようなはずかしめを・・・!」


 圧倒的な力を見せつける、竜血。

 それに対する恐怖は変わらない。

 しかし、大事な妹と魔獣たちを奪われ、ベラの怒りは頂点に達していた。

 何より、このようなはずかしめを受けて黙っていられるほど、ベラはおとなしくも、弱くもなかった。

 このまま、やられてばかりではいられない。

 



 この屈辱くつじょく、払拭してくれようぞ!


 

  

 ベラは、数頭の牛型魔獣に竜血の相手をさせている内に、ヒルデの頭のない亡骸へと駆け寄った。その前で膝を付くと、躊躇ちゅうちょなく、その薄い胸に鉤爪かぎづめを突き立てて、心臓をえぐり出す。

 そうして妹のモノを両手に大事に包み込むと、愛おしげに頬擦りをした。

 

 ギガベスタでは、心の臓に、その人の魂と力が宿ると考えられていた。

 家族や愛する人が亡くなると、心臓を肉体から引き離し、その魂と力を自らの身体に取り込む、つまり、喰らうという風習があった。

 それ以外にも、力が全てのギガベスタでは、倒した相手の心臓をも喰らう。それは、相手を凌駕し、その力をねじ伏せた証とする行為であった。


 ひとしきりヒルデの心臓を愛でたベラは、血に濡れた自分の髪を掻き上げると、ペロリと心臓の表面を舌先で舐め、そして勢い良く喰らった。


 末の妹に引き続き、こうも早く、ヒルデの心臓まで喰らうことになろうとは、夢にも思わなかった。


 中等魔族に生まれた妹たちが、高等魔族の自分より短命であろうことは、ベラ自身、良く心得ていた。

 しかし、自分が付いていながら、あまつさえ人間に殺されることになろうとは・・・‼︎


「・・・許さぬ・・・ッ」


 ベラの瞳がギラリと光る。

 てのひらについたヒルデの血を魔獣たちに舐めさせると、ベラは落ちていたトウマの長剣を手に取った。


 目の前の竜血が、最後の一頭に止め刺して、ベラを振り返る。

 ベラは長剣を肩に担ぐと、髪を掻き上げた。


「・・・この剣で切り刻んでやろうぞ・・・ッ」


 その言葉に、竜血は拳を鳴らしながら笑った。


「・・・上等だ・・・、なぶり殺してやるよ・・・‼︎」


 二人の視線がかち合い、決戦の火蓋ひぶたが切って落とされた。


 

 


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