第29話 限 界






 竜血は、ベラが手にした長剣を見てフンと鼻を鳴らした。


「それはトウマのもんだ」


 竜血のひたいに青筋が浮き立つ。

 相手の苛立ちを目の当たりにして、ベラの首筋を冷や汗が伝うが、ベラは余裕を見せようと鼻で笑って見せた。


「これは戦利品じゃ」

「返してもらうぜ」

「・・・させぬ」


 竜血が拳を握り締める。それを見て、ベラの前に陣形を組んでいた狼型の魔獣−ルーヴ五匹が飛びかかった。

 先頭の一頭が高く飛び上がって頭上を狙い、他の四頭が四方から同時に攻撃を仕掛けてくる。竜血は即座に身を屈めると、左足を軸にして回し蹴りを繰り出し、四頭のルーヴを弾き飛ばすと、上から来た一頭を右腕で防いだ。ルーヴは竜血の腕に牙を立てたが、腕に生えたうろこよろいの役割をして牙を通さない。牙を弾き返されたルーヴは即座に後方へ飛んで体勢を立て直すと、隙を与えまいとまたすぐに攻撃に出た。

 正面から突進してきて首元を狙ってくるルーヴを、竜血が下からあごを蹴り上げ、その口を鷲掴みにして宙吊りにする。そのまま反対の手で殴り飛ばそうとした時、手首に何かが巻き付いて竜血の動きを止めた。


「なんだ!?」


 竜血の手首に絡みついていたのは、髪の束だった。


「使えるのは手足だけではないのでなぁ」


 それは、ベラの髪だった。

 ベラの毛束が幾本ものむちのようにしなって竜血に飛びかかり、宙吊りにされたルーヴもろとも竜血の体を拘束こうそくしてゆく。


「これで終わらせてやろうぞ!」


 身動き取れなくなった竜血に、先刻竜血に蹴り飛ばされた手負いのルーヴ一頭にまたがったベラが、剣を構えて突進してくる。間合いは一瞬にして詰められた。

 それはベラの優位に見えた。

 しかし、竜血は歯をのぞかせて余裕の笑みを浮かべた。


「死ね!」


 ベラが叫ぶと同時に長剣が竜血の鼻先を捉える。

 瞬間、竜血が大きく口を開いた。その喉奥のどおくに炎がのぞく。

 

「なっ!!!」


 ベラは瞬時に反応したが間に合わなかった。

 至近距離で竜血の口から火球が放たれる。まさに竜の吐く炎と同じその攻撃を避けようと長剣を手放し上体をらしたベラだったが、その髪と左半顔が焼かれた。

 炎に巻き込まれたルーヴが全身を焼かれながらもがき苦しみ、背中のベラを振り落とす。


「あああぁあああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎」


 もんどり打って地面に転がり落ち、断末魔の叫びを上げるベラ。

 それを見て笑いながら、竜血は高らかに言い放った。


奇遇きぐうだよなぁ。俺も、使えるのは手足だけじゃねぇんだ!」


 両腕に力を入れれば、竜血を拘束していたベラの髪がハラハラと地面に落ちてゆく。巻き添えで縛り上げられていたルーヴは、強く圧迫され既に事切れていた。その重たい体がずしりと地に落ちた。

 その遥か向こうで、ベラが未だもがき苦しんでいた。

 周囲には三匹の手負いのムーヴと、おびただしい数の魔獣の死体が転がるばかりで、もはやベラに勝機はない。


 竜血は口角を上げたまま、足元に転がされたトウマの長剣を拾い上げた。


「・・・やったぜ、トウマ・・・」


 長剣のつかを撫でながら、竜血は小さく呟いた。

 


 

 


 レグルスの人格と入れ替わった今、自分が何者なのか、竜血には感じ取れていた。


 竜血じぶんは、レグルスの中に眠る本能だ。

 潜在意識が人格を得たに過ぎない。

 

 しかし、いや、それ故に、少年レグルスにとってかけがえのない兄だったトウマは、竜血にとっても唯一無二の存在だった。

 

 理由は定かでないが、『竜血』として人格を得た今、その胸中にふくれ上がるものは、燃えあがらんばかりの怒りだった。

 

 トウマを死へ追いやったベラへの怒り。

 弱い本体レグルスへの怒り。

 そして、肝心な時に出て来れず、トウマをみすみす死なせた竜血じぶんへの怒り。

 

 その凄まじい感情が、全てを破壊し尽くしてしまいたいと言う衝動しょうどうとなって竜血の体内を駆け巡っていた。それは、例えベラをいつくばらせた今でも、おさまるどころかふくらむ一方だ。


「・・・やっぱり、殺しておくか・・・」


 竜血は、このどうしようもない衝動しょうどうおさえるには、やはり復讐ふくしゅうげるしかない、と考えた。

 長剣の柄を握り直し、ベラへと足を向ける。


 瀕死のルーヴが一頭、ベラに向かって鼻を鳴らす。と、ベラは竜血の接近に気付き、みにくただれた半顔を手でおさえながら、フラフラと立ち上がった。


「やっ・・・めろ、来るな!」


 ベラの掠れて上擦うわずった声が、竜血の耳朶じだを撫でる。その心地の悪さに、頬のうろこがざらざらとわめいた。

 

 不愉快だった。

 

 竜血じぶんに傷ひとつ付けられない腰抜け相手に、本体レグルスもトウマもなぶりものにされていたのかと思うと、腹立たしくて仕方がない。

 

 その苛立ちに呼応こおうするように、心臓の鼓動が強くなってゆく。

 次第に激しさは増して行き、ドクン、ドクン、と打ち鳴らされる度、心臓が胸板を突き破らんほどだった。

 一歩踏み出すごとに息が上がる。

 やがて、鼓動と共に激痛が体をさいなめてきた。


 ・・・なんだ・・・これ・・・っ。


 ベラは既に目の前だった。

 手を伸ばせば殺せそうな距離なのに、それなのに、気付いた時には激しい胸の痛みにさいなまれ、声も出ない状態になっていた。




 それは、身体の限界だった。


 竜血の強大きょうだいな力に、少年の惰弱だじゃくな肉体では耐えられず、極限に達していたのだ。


 不意に胸の奥から熱いものが競り上がってきて嘔吐した竜血の両手を汚したのは、鮮血せんけつだった。

 途端、意識が強引に引き戻されるのを感じる。

 レグルスが目覚めようとしているのだ。


「・・・ッ」


 こんな時にぃ・・・っ‼︎


 「畜生がッ‼︎」と悪態あくたいいても、それは心の中ばかりのこと。実際に声にはならない。竜血の意識は、あらがすべもなく、深い闇の中へと消えていった。






   ***




「ッ・・・がはぁ‼︎」


 レグルスはすさまじい痛みで目を覚ました。

 は焼かれたような痛みに悲鳴をあげ、口からは鮮血があふれ出る。更に全身はズタズタに引き裂かれたのではないかと言う激痛にさいなまれ、息をするのがやっとだった。


 ・・・一体、何があった・・・!?


 考えようとするも、全身を襲う凄絶そうぜつな苦痛のせいで、地面にくずおれて七転八倒するしかなかった。

 もがく最中、頭の角がカラリと乾いた音を立てて地面に落ちた。頬や腕を覆っていた鱗もパラパラと花弁はなびらのように散って、少年のさらな肌がさらけ出される。鉤爪は丸くなり、背中の翼は見る間に小さくなって肩甲骨へと取り込まれて鳴りをひそめ、レグルスは元の無防備な姿を露呈ろていしたのだった。

 


 ベラは、そんな少年の様子を、呆然と見下ろしていた。

 しばらく、焼かれた半顔や髪を無意識に手で撫で付けていたが、そのうちに、ふと我に返り、小さく呟いた。


「・・・こんな・・・」


 竜血との戦いの最中に失われてしまった自らの美貌びぼうと、目前で弱々しくもだえ苦しむ少年。そして、酷く傷付けられた矜持プライド


「・・・こんな・・・矮小わいしょうやからに・・・ッ」


 先刻までの強大な力を見せつけてきた竜血と同じ人物とは思えないほどの、薄弱はくじゃくとした少年の様に、ベラは激昂げきこうした。

 自分がしいたげられていたのは、竜血といえど、まだその力に充分に目覚めてもいない軟弱な小童こわっぱだったか!と思うと、先刻まで受けた数々のはずかしめにはらわらが煮え繰り返り、それに見合う報復をせねば気が済まないという、ベラ生来の加虐心に火がついた。


 レグルスは既に、苦しみに転げ回る程の力もなく、虫の息でそこに倒れ伏している。


「人間の体というのは哀れじゃのう。折角、竜血として生まれ落ちようと、小童こわっぱ惰弱だじゃくな体では、能力を活かすことも出来ずにもだえることしか出来ぬ」


 ベラは、戦闘の末に荒れた地面を裸足で踏み締めると、レグルスのかたわらに落ちている長剣を拾い上げ、フフンと鼻で笑った。

 足先で相手の肩を蹴り飛ばすと、少年の体はいとも容易くひっくり返る。仰向けにされたまま、弱々しい視線を向けるそのまなこに力がないのを見て、ベラは気力を取り戻していった。

 心が躍る。

 ベラはレグルスの目前で、長剣の切先をひらひらと振ってみせた。


其方そなたにとっては形見の品であろう? 大事な大事な、兄の剣」


 言いながら、ベラは長剣を持ち上げ、月明かりに照らして繁々と見やる。酷い刃こぼれのある刀身とうしんが、月の光を受けて微かに輝いた。


「美しいのう。月明かりは好きじゃ。陽光と違うて品がある」


 惚れ惚れと刀身とうしんに指先を滑らせると、足元でレグルスがぐっとうめいた。ベラは、そんな少年の反応に満足して微笑んだ。


「虫の息でも、耳は聞こえているようじゃのう」


 そうでなくては、いたぶり甲斐がない。

 もっともっと、嬲物なぶりものにしてやりたい。

 しかし、ベラ自身、満身創痍だ。

 そろそろ終わりにせねばなるまい。


「致し方あるまいなぁ・・・トドメを刺してやろう」


 それまで両の手で遊ばせていた長剣を、強く握り直す。


「死ねッ‼︎」 


 ベラは、少年の心臓を刺しつらぬこうと剣を高くかかげた。

 

 瞬間、一陣の風が吹いた。


「ナニ!?」


 突風にあおられ、ベラが体勢を崩す。

 と、その刹那、少年が姿を消した。


「なに!?」


 ベラの声が憤怒ふんぬに震える。

 と、背後に風を感じ、ベラは弾かれたように振り返った。


 そこには、月影にあおく輝く美しい髪がなびいていた。

 髪が引き立てるのは、透けるような白い肌をさらす美しい面立ち。しかし、その右半分は硬質な仮面に覆われていた。バーガンディーの衣装をまとった美丈夫が、海よりも澄んだあおの眼差しでベラを射抜いている。

 その左腕に抱かれ、息も絶え絶えのレグルスが口を開いた。


「・・・レ、マ・・・」


 次の瞬間、レマの右手に構えられていた魔銃が生き物のように大きく膨れ上がり、銃口は激しい光を宿した。





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