第36話 突 破




 体が軽い。力がみなぎってくる。

 まるで翼を得たように、レグルスは坂を駆け下りた。

 レグルスの速さに追いつけず、メイウィルとエルヴィンは遥か後方を走っていた。


 竜血の力が、少しづつ、自分のものになろうとしている。

 その実感が、レグルスの胸を奮い立たせていた。


 ラデンカの丘から村外れの牛飼いの家まで一気に駆け下りたレグルスは、息切れ一つしていなかった。

 そんな彼の目の前に、反り立つ壁のように立ちはだかったのは、巨大なドーム型の結界だった。激しい戦闘によって巻き起こされた莫大な砂塵を閉じ込めている。それが、レマの施した結界であることはすぐに分かった。


 恐る恐る、緻密ちみつに編み込まれた結界に指先を近づける。反発を覚悟していたのだが、淡い光の糸で幾重にも編み込まれた結界は、意外にも、その手を跳ね除けることはしなかった。手鞠のような表面は、さらさらとている。優しい手触りだったが、それは確かに、内側と外界との接触を断絶していた。


 どうやったら、この強固な結界を越えることが出来るだろう。


 結界に触れたまま思案していると、背後に息を切らしたメイウィルとエルヴィンがやってきた。


「結界か?」


 そう問うエルヴィンに、レグルスが黙って頷く。


細密さいみつな結界だ。・・・これが、俺たちを守ってくれていたんだな・・・」


 メイウィルが、息を整えながら結界に触れて呟いた。


「何処かに、中に入れそうな隙間はないだろうか?」

「探そう」


 レグルスは、メイウィル、エルヴィンと頷き合い、ばらばらになって結界の周囲を探り始めた。


 こうして結界を見ていると、素人目にも、レマがどれほど優れた魔法使いなのかが分かる気がした。結界というもの自体、見るのは初めてだったが、これほど緻密ちみつで強固なものかと感心させられる。しかし、今はそれがあだとなり、村の中に入ることが出来ないでいた。

 結界の中では、相変わらず激しい戦いが繰り広げられているようで、砂塵さじんが唸りを上げている。

 それを見て、次第に焦燥感が募ってきた。


「くそっ」


 レグルスが思わず結界に拳を叩きつけた、その時。


「・・・クゥーン・・・」


 激しい衝突音の合間に、微かに声が聞こえた。

 レグルスは、ハッとして結界に耳を押し当てた。


「・・・クゥーン・・・クゥーン・・・」


 確かに聞こえた。子犬が、母親を恋しがって鼻を鳴らすような声。


「・・・まさか・・・、リルー?」


 聞き覚えのあるその鳴き声に、レグルスは結界を叩いて叫んだ。


「リルー! 中にいるのか? 此処だ、リルー!!」


 必死に叫ぶレグルスの声を聞いて、メイウィルとエルヴィンも駆け付けてくる。と、それとほぼ同時に、結界内の砂煙に影が差した。「クゥーン、クゥーン」と鼻を鳴らす声も、確実に近づいて来ている。


「リルー!」


 レグルスが一際大きな声を上げると、次の瞬間、目前の結界にダン!と手を突く形で、リルーが姿を現した。


「なっ!」


 リルーの姿に安堵したのも束の間。三人は、リルーが口にくわえたものを見て仰天した。

 それは、男の生首だった。

 リルーに黒い髪をくわえられた生首が、ぷらぷらと弧を描いて揺れている。そして、そのおもてがこちらに向いた刹那。


「おい!」


 生首が力強く声を掛けてきた。


「うわぁ!」


 エルヴィンが驚愕して尻餅をつき、メイウィルは目を見開いたままその場に凍り付く。レグルスも衝撃の余り一瞬仰け反ったが、生首の顔に見覚えがあって、再び結界に張り付いた。


「・・・あんた、レマの・・・!?」


 それは、小屋に現れたあの黒づくめの男だった。

 レグルスは、リルーにぶら下げられた男に視線を合わせる為に這いつくばる。

 と、男は「おお、わりぃな」と苦笑いして、結界を挟んでレグルスと対峙した。


「良く生きてたな、ガキ」


 男が、自分を棚に上げて言い放つ。

 何故その状態で生きていられるのか。思うところは多々あったが、レグルスは小さく「あんたも」と返すに留まった。男はと言えば、まさに手も足も出ない状態で苦笑混じりに口を開いた。


「油断してな、敵に頭を吹っ飛ばされたんだ。普段ならこのくらい平気なんだがよ、その時、を傷つけられちまってな、自力で再生出来ねぇんだわ。当然、動くことも出来ねぇしで、途方に暮れてたところを、コイツに助けられたってわけ」


 男が視線でリルーを指し示す。と、リルーは自分のことだと理解してブンブン尻尾を振り始め、その振動で男の首もカクカクと空を舞った。


「ちょ、おいっ、落ち着け! 尻尾を振るな!」


 リルーに翻弄される男の姿は滑稽でしかなかったが、今はそれどころではない。

 レグルスは、男の揺れが収まってきたのを見計らって問いかけた。


「レマは? フェリドも一緒?」

「ああ。今、戦ってるのはフェリドと幻獣たちだ。レマはもう動けねぇ」

「中に入りたい。何か、方法はない?」

「あるぜ」


 レグルスの問いに、男はいとも容易く答えた。


「レマの力が弱ってる今なら、俺の刃で結界を切り開ける。だが、それには糸口が必要だ」

「どうすればいい?」

「結界のほころびを探せ。ピアスひとつ通れるくらいのわずかな隙間でいい」

「分かった」


 レグルスはすっくと立ち上がり「メイウィル、エルヴィン、手伝って」ときっぱりと言い放った。ことの様子を見守っていた二人は、レグルスの迷いない眼差しを受け、黙って頷く。


「結界の中の砂塵や煙が漏れ出している部分を探そう」

「おう!」


 メイウィルが具体的な提案をし、エルヴィンがそれに力強く答える。

 広大な範囲に及ぶ結界のほころびを見つけ出す。それは途方のない作業だ。川に落とした一粒の小石を見つけるに等しい。

 それでも、三人は奮い立っていた。右にレグルス、左にメイウィル、エルヴィンに分かれて走り出す。結界の中のリルーは、男の首をぶら下げたままレグルスの後を追い掛けた。

 

 そうして五分、目を皿のようにして結界を睨み続け、エルヴィンが叫んだ。


「あったぞ! レグルス!」


 その声に、レグルスが弾かれたように走り出し、それを追ってリルーもきびすを返す。

 エルヴィンと、先に駆け付けていたメイウィルが、足元を指し示す。そこには確かに、細かい結界の網目に、小さなほころびが存在した。そのわずかな隙間から、戦いの衝撃に合わせて煙が漏れ出していた。


「これで大丈夫か?」


 問うエルヴィンに、リルーの口からぶら下げられた男が「充分!」と応じる。


「わんころ、降ろしてくれ」


 男が言うと、リルーは返事の代わりか、その場でくるりと回り、結界の前に男の首をコロンと転がした。

 瞬間、男は黒く細い帯へと変化へんげし、繊細な鎖に赤い石の繋がれたピアスへと形を成す。それを、レグルスが結界の隙間から人差し指を押し込み、爪の先で引っ掻いて外に掻き出した。

 

 小さなピアスをレグルスが掌に乗せると、それを待っていたと言わんばかりにピアスは短刀ナイフへと姿を変えた。

 レグルスはそれを両手に構え直すと、結界の小さなほころびに切先を押し込み、勢いよく振り上げて結界をさばいた。

 大きく開いた穴から、結界の中で渦巻いていた砂塵さじんがドッと漏れ出してくる。

 その衝撃が、中で繰り広げられている闘いの激しさを物語っていた。


 砂塵さじんの勢いが収まると、リルーが煙の中から姿を現し、レグルスに飛び付いた。


『おい、時間がねぇ。上を見ろ』


 レグルスがリルーを強く抱きしめてやっていると、不意に、脳裏に直接、男の声が流れ込んできた。レグルスは言われるがままに上を見た。

 

 レグルスに切り裂かれた結界の裂け目が、どんどん広がっている。先刻までの強固な姿は一変し、結界は天幕のようにひらひらとなびいて、爆風に弄ばれていた。


『もうすぐ結界が霧散むさんする。あの丘じゃ危険だ。村人を森の奥まで避難させろ』

「分かった」


 レグルスは男から受けた指示を、素早くメイウィルとエルヴィンに伝える。


「二人は、村人たちの避難誘導に向かってくれ。俺は村へ行く」

「レグルス!」

「一人じゃ危険だ!」


 声を上げるメイウィルとエルヴィンに、レグルスは小さくかぶりを振る。

 「一人じゃないさ」と、短刀ナイフを握り締め、次いで、抱き締めていたリルーの耳元を撫でてやりながら「お前はメイウィルたちと行きな」と言い聞かせた。リルーが小さく鼻を鳴らす。

 

「良い子。・・・リルーを頼む!」


 レグルスはそれだけ言い置くと、男が変化へんげしている短刀ナイフひとつを共にして、砂塵さじんの中に身を投じて行った。


「レグルス!」


 引き留めようと声を上げたエルヴィンの肩を、メイウィルが抑える。


「エルヴィン、俺たちはレグルスに任された仕事をしよう」


 冷静なメイウィルに、砂塵さじん彼方かなたを見ていたエルヴィンも「分かった」と頷いてきびすを返す。そうして「おいで、リルー」と声を掛けると、二人と一匹はラデンカの丘へと一目散に駆け上がって行ったのだった。



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