第37話 激 闘




 結界が破られ、上昇気流が巻き起こる中、レグルスは瓦礫の中を進んでいた。

 村の様子は、散々なものだった。

 ほとんどの建物が倒壊し、道はなくなり、あちこちに火の手が上がっている。

 レグルスはひたすらに瓦礫がれきを超えながら、手にした短刀ナイフを握り締めた。


「なあ、あんた」

『アウトサイダー』


 ナイフに変化へんげした男に声をかけると、間髪かんぱつ入れずに返される。脳裏に直接響く彼の声を聞くたびに、脳みそがじんわり温められるような、しびれるような、不思議な感覚がレグルスを支配した。


「・・・え?」


 レグルスが聞き返せば、何故だろう、見えていないはずの男の表情が、眼裏まなうらに思い浮かぶ。男は皮肉っぽく唇をゆがめていた。


『呼び名だ。レマはそう呼ぶ』

「・・・わかった」


 不思議な感覚だった。

 アウトサイダーとレマも、こうして会話しているのだろうか。そんなことに思いを馳せると、レマとフェリドの安否が気遣われて、気が急いた。

 しかし、乗り越えても乗り越えても続く瓦礫がれきと前進を拒む風に、苛立いらだちが募る。


「クソっ・・・!」


 悪態を吐いたその時、


 バン!


 突如、風を切り裂くような音がして、レグルスの背中に衝撃が走った。

 

「・・・ッ」


 たまらずうめいてその場に両膝を付く。

 奇襲きしゅうを疑い背後を振り返ると、今度は後ろに引っ張られるような妙な力にバランスを崩した。無様に転がって動転するレグルスに『落ち着けっ』と、アウトサイダーが声を掛ける。


『慌てることねぇよ。これも、お前が竜血だってぇ証だ』


 困惑するレグルスとは違い、軽く言うアウトサイダーに、思考が追いつかない。

 固まるレグルスの脳裏に、アウトサイダーの軽快な笑い声が響く。


『翼だよ、つ・ば・さ! 生えてんだよ、背中から』

「・・・っ!?」


 レグルスは、弾かれたように背中を見やる。と、確かにそこにはドラゴンの翼が姿を現していた。

 呆気にとられたレグルスは、また翼が風にあおられると同時に横転する。と、肩甲骨を引っ張られる感触に、翼を得たという実感が湧いてきた。


「・・・これも、竜血の力・・・?」

『ああ。動かしてみろ』


 アウトサイダーに促され、その場に上体を起こし、翼を動かそうと試みる。しかし、生まれたばかりの翼は、すぐには言うことを聞かなかった。

 レグルスは二、三回、左腕を大きく広げる動作を繰り返し、それと同時に翼を広げるよう意識した。最初は覚束おぼつかなかった翼の動きが、五回、六回と続けるうちに力強いものへと変わっていく。

 感覚が掴めたところで、今度は右腕を大きく広げると、その動きに合わせて右の翼が広がった。その頃には、両翼に風を受けても、背中に痛みを感じることは無くなっていた。


『筋が良いじゃねぇか。よしっ、このまま行こうぜ』

「このまま?」

『ああ、走りながら羽ばたけ!』

「・・・っ!」


 アウトサイダーに言われ、レグルスが瓦礫の中を走り出す。

 最初は背中に重心を取られ歩みも覚束おぼつかなかったが、言われた通り足の動きに合わせて翼を動かしていると、次第にうまく風を捉え、速度が上がってきた。

 レグルスが風となるまでに、そう時間はかからなかった。






   ***




 時は、少しさかのぼる。

 崩壊した村の中心で、巨体を打ち付け合ってにらみ合うのは、火竜ファイヤードレイクのイグニスと、七つの頭に七本の角、七つの目を持つ怪物キリムだ。立ち上る砂煙に、どちらのものとも知れない体液が飛び散る。


 その激戦のすぐ側で、白鹿はくろくのアズールがトラウを蹴散けちらし、神鳥シームルグのヘルムートが上空から滑降かっこうして鉤爪かぎづめを繰り出す。二体の連携に、トラウたちは結束を破られ、てんでんバラバラに逃げ惑いながらも、反撃を繰り出していた。

 一匹のトラウが、背後からアズールに飛び掛かる。が、アズールはすぐさま身をひるがえし、鼻の頭の鋭い角でトラウを串刺しにした。

 ヘルムートは逃走する二匹のトラウを一気にぎ倒し、両足で鷲掴わしづかむと、高く舞い上がって回転し、地面に叩きつける。

 しかし、トラウたちも馬鹿ではなかった。次第にアズールとヘルムートの攻撃パターンを学習し始め、徒党ととうを組んですきをついてきた。

 

 二体が苦戦するその後方では、黒狼こくろうのダンテもまた戦っていた。アズールとヘルムートの手を逃れた手負いのトラウが三匹、レマを奪おうとにじり寄ってきていたのだ。

 ダンテは、力なく背中にいるレマを気遣いながら、トラウたちにきばき出し、うなり声を上げる。それにトラウがひるんだ途端、ダンテは身をひるがえし、炎を宿した尻尾で敵を打ち据えた。炎はトラウたちを焼き、三つの火達磨ひだるまが出来上がる。


 トラウたちの醜態を見た片翼かたよくのボヴァイアが乗り出そうとするが、それを制したのはフェリドだった。短剣を構え、ベラとボヴァイアの行く手をはばむ。


「行かせない」


 レマの治癒魔法を受けたフェリドだったが、傷の完治はしていない。そのうえ大型の幻獣を召喚し、体力の消耗しょうもういちじるしかった。しかも、得物はこの短剣一つ。いくら手負ておいと言っても、高等魔族と幻獣の双方を相手にするには、余りにも不利な状況だった。

 それでも、引くわけにはいかない。

 

 満身創痍まんしんそういでレマとダンテを背中にかばうフェリドの姿を見て、ベラがフンと鼻で笑った。それは、あざけり楽しむような笑みだった。


「ボヴァイア、相手をしてやれ」


 言うや否や、ボヴァイアがフェリドとの距離をつめる。

 繰り出された大きな拳を、フェリドは横に飛んでけながら短剣で払った。

 フェリドとボヴァイアの戦いに一瞥いちべつをくれると、ベラは先のなくなった己の手首に唇を寄せる。先刻、レマが自らの髪と共に切り落としたベラの手。その傷口をべろりと舐めて、ベラはダンテの背にいるレマへと視線を投げた。真っ直ぐな眼差しが、レマを背負うダンテまでもをからめとる。

 ベラとダンテの間には、すぐには縮められない距離がある。しかしダンテは、じりじりと後退こうたいした。

 ベラの気配に、ダンテは全身の毛が逆撫でられるような、嫌な感覚を抱いていた。

 きびすを返せば一瞬でられる。

 そう、ダンテの本能が告げていた。

 

 その間も、ボヴァイアの拳はフェリドに降り注いでいる。フェリドは、それらを短剣でかわすのが精一杯だった。そして、先に限界が来たのはフェリドではなく、短剣の方だった。

 真上から振り下ろされた拳を受けた途端、短剣の刃が粉々に砕け散る。

 破片が散乱する中、フェリドは咄嗟とっさに身を屈め、ボヴァイアの足の隙間をすり抜けた。が、ボヴァイアはそれを見逃さなかった。すぐさま上体を反転させ、フェリドの頭を鷲掴んだ。


「が・・・ッ!!」


 凄まじい力に、フェリドがうめいた次の瞬間、


「ぎゃあああああああああああああああああっ」


 ボヴァイアが絶叫ぜっきょうし、その手からフェリドを放した。

 地面に放り出されたフェリドが、痛みに耐えながらもんどり打つと、そこには、ボヴァイアの残されていた方の翼を掴んで引きちぎろうとするヘルムートの姿があった。

 抵抗するボヴァイアの頭部と右肩を、くちばしと右足で押さえ込み、左足の鉤爪かぎづめが翼の付け根を切り裂く。と、ボヴァイアの背中から血飛沫ちしぶきが上がった。

 その合間を縫うようにひづめの音が鳴り響き、フェリドの元へ駆け寄ってきたのは、角にトラウを串刺しにしたままのアズールだった。アズールはフェリドの目前まで来ると、かぶりを振ってトラウの亡骸を振り払い、ひづめいて、背中へ乗るようにと促す。


「アズール、ありがと」


 フェリドが立ち上がって鼻先を撫でてやると、アズールは軽く首を振りながら鼻を鳴らした。

 しかし、その時だった。


「ぎゃい・・・ッ」


 新たな悲鳴が上がり、フェリドが振り返る。

 そこには、ボヴァイアに足を掴まれ、今まさに地面に叩きつけられようとするヘルムートの姿があった。


「ヘルムート!!!」


 フェリドが叫ぶと同時に、ヘルムートの体が瓦礫の中に沈み、凄まじい衝撃と砂煙が舞い上がる。少しすると、その粉塵ふんじんの中に血の雨が降り注いだ。一瞬で止んだが、フェリドとアズールの全身を赤く染めるには充分なものだった。

 血の雨に、舞い上がっていた粉塵ふんじんが鳴りをひそめる。と、フェリドの目の前に現れたのは、ボヴァイアに頭を踏み潰され、絶命ぜつめいしたヘルムートの姿だった。


「・・・ヘルムート・・・」


 ビクン、ビクンと名残なごりのように痙攣けいれんしていたヘルムートの足が、動きを止める。

 フェリドが拳を握りしめた、その時。


「・・・ッ!?」

 

 風の動きが変わった。

 唐突とうとつに上昇気流が巻き起こり、粉塵ふんじん瓦礫がれきが舞い上がる。

 フェリドが天を仰いで目を凝らすと、村を囲うように張り巡らされていた結界が破れ、その裂け目から星が見えていた。が、それも束の間、結界の中に滞留たいりゅうしていた空気と砂が一気に出口を目指して吹き荒れる。

 アズールと身を寄せ合い暴風を耐えていたフェリドの胸中には、早鐘が鳴り響いていた。

 

 魔法の結界が破れた。


 それが意味するのは、他者に破られたか、そうでなければ、結界を施した術師本人の身に、何かあったと言うこと。

 そして、フェリドは知らなかった。これまでに、レマの緻密ちみつな結界を破れた者の存在を。


「・・・レマ・・・ッ」


 フェリドの世界から、音が消えた。

 自分の息遣いさえも感じられない中、フェリドはアズールの背中に飛び乗って叫んだ。自分が、何と指示をしたのかも分からない。しかしアズールは、上昇気流が吹き荒れる中を真っ直ぐに走り出した。

 その確かな足取りを、フェリドは信じて疑わなかった。

 この先に、レマがいる。


 アズールの足ならば束の間のはずの距離が、妙に長く感じる。

 脳裏には、最悪の事態ばかりが思い浮かんだ。

 胸が苦しくてたまらない。

 

 砂塵さじんけ、ダンテの姿が見えてくる。

 と、地面に伏せるダンテの鼻の先に、力なく倒れるレマの姿があった。


「・・・ッレマ!」


 フェリドはアズールから飛び降りると、レマに駆け寄り、ダンテの鼻先を押し除けてレマを抱き起こした。

 刹那、その体の冷たさにゾッとした。


「・・・レマ・・・?」


 静かに伏せられた長い睫毛まつげに、濃い影が差していた。

 レマの頬を撫でるフェリドの指の、震えが止まらない。

 フェリドは震える手を強く握りしめると、意を決してレマの鼓動を確認した。


「・・・生きてる・・・」


 口にして、フェリドは大きく息を吐き出した。

 強風が収まりつつある。 


「よかった・・・レマ・・・」


 震えていた手が、今はジンジンとしびれている。

 そのしびれを噛み締めるように、フェリドはレマの細い体を、強く抱きしめた。

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