第38話 邂 逅




「ボヴァイア、もうい」


 命令に従い、ボヴァイアは、両腕に抱き込んでいたベラの体をそっと離した。

 結界が破れて暴風が巻き起こった瞬間、ボヴァイアは即座に主人の元へと駆け付け、その盾になった。

 ベラから身を引いたボヴァイアの肩が、フラフラと揺れている。

 おぼつかない足取りで主人の傍らに膝をついたボヴァイアの頭を、ベラが優しく撫でる。と、その労いの手が離れた途端、ボヴァイアの体がぐらりと傾き、倒れた。

 ボヴァイアが一回、大きく息を吸う。スゥーっと音を立てながらゆっくり息を吐き切ると、その体はそれきり動かなくなった。

 ベラは、それを静かに見下ろしていた。両翼を奪われたボヴァイアの背中を。

 息を引き取った今も、傷口からは血液が流れ出ている。尋常でない量の出血が、瞬く間に血溜まりを作り、ベラの足を温めていた。

 

 ベラが幼い日に召喚した幻獣が、ボヴァイアだった。

 奇抜きばつで美しい容姿を持ち、賢さを兼ね備え、機転が効き、そして何より、ベラへの忠誠心にあふれていた。

 そんなボヴァイアが死んだ。

 主人の盾となって死んだその最期は、まさにボヴァイアらしい死に様と言えよう。

 ベラの胸中は、煮湯が沸騰する寸前のような、静けさと衝動が混在していた。


 視線を上げれば、星明かりの下に、あの癒し手を抱き抱える魔獣使いの姿があった。その傍らにいるのは二頭の幻獣。双方共に、鋭い視線をこちらへ向けている。

 

「いじらしいことよ」


 そう呟いたベラの背後で、轟音が鳴り響き、空気が震えた。

 刹那、悲鳴と雄叫びが天地を切り裂く。

 ベラの口角が上がる。

 巨大な幻獣二体による戦いが決着したのだった。






 フェリドの鼓膜を裂くような、イグニスの悲鳴。

 咄嗟とっさに顔を上げたフェリドの目に映ったのは、振り下ろされたキリムの尻尾に打ちのめされ、血飛沫ちしぶきを上げながら地面に沈められるイグニスの姿だった。

 イグニスの返り血を浴びたキリムが、七つの頭を振り乱して雄叫びを上げる。

 フェリドはその声に、頭を殴られたような衝撃を受けた。


 イグニスは、年若いファイアー・ドレイクだった。ドレイクらしくやんちゃな反面、甘えん坊な気質のイグニスは、初めての召喚の時からフェリドに友好的だった。

 大型の幻獣を召喚するには、大量の魔力と血液が必要になる。その為、回数は多くなかったが、実戦に駆り出す前に人界じんかいに慣らそうと、何度か召喚した。回を重ねるごと、イグニスはフェリドに懐いていった。体こそ成獣のドレイクだが、その甘える様子は、子犬のような愛らしさがあった。

 そのイグニスの初陣ういじんが、今宵こよいであった。


「・・・イグニス・・・っ」


 イグニスの胸と腹には、キリムの角に貫かれたのであろう傷が七つ、あんぐりと口を開けている。その傷口から、鼓動に合わせて血が溢れ出していた。


「イグニス・・・イグニス、ごめん」


 そう呟いたフェリドは、レマを抱えた腕に折れた短刀を突き立てる。


「・・・戻れ・・・」 


 その言葉で、イグニスの体が光の粒子へと変化し、さらさらと風になびいて、フェリドの血溜まりの中に消えて行った。


 もう、命は助からないだろう。

 それでも、最期は幻獣界で静かにかせてやりたい。


 この絶対絶命の状況で、死にゆく友に、フェリドが出来る唯一のことだった。


 フェリドは、キリムを従えるベラの姿を見て、小さく息をついた。  

 

 「ここまで、なのかな」


 フェリド自身、とうに限界がきていた。

 最早もはや、新たな幻獣は召喚できない。・・・否、できたとしても、もう、呼び出しはしないだろう。

 ギリアン、ヘルムート、イグニス。三体もの幻獣を犠牲にした。

 残るダンテとアズールも、体力の消耗が激しい。

 敵のキリムとて、イグニスとの戦闘で深傷ふかでを負った。しかし、遥かな体格差と、勝利の余韻にいきりたっている様を見れば、負け戦となることは容易よういに想像できた。

 それに、得体の知れないのはベラだ。

 キリム召喚の後、その場から一歩も動こうとしないところを見るに、彼女の体も、相当に疲弊しているのだろう。しかし、ベラからは、未だ異様な威圧感が放たれていた。恐らく、まだ奥の手を隠しているに違いない。

 確実に仕留める機会を伺っているのだ。


 レマを抱えるフェリドの腕に、力が入る。

 なんとかレマだけでも助ける術はないか。


( ー どうすれば良い・・・どうすれば・・・)


 その時だった。

 レマの指先が微かに動き、その瞼がうっすら開く。


「フェリ・・・ド」


 思考の渦に飲まれていたフェリドは、レマのかすれた声に現実へと引き戻された。


「レマ・・・!」


 答えを導き出せないまま、フェリドは腕の中のレマに視線を落とした。その眼差しは、もしかするとすがるようなものだったのかも知れない。

 フェリドの瞳を見つめ、レマが口を開いた。


「死ぬのは・・・怖くない」


 その呟くような声に、フェリドがはっとする。


「また・・・残される、ことに・・・比べたら・・・」


 そう言って目を伏せるレマの頬を、フェリドは「うん、そうだったね」と頷きながら、指先で撫でた。それに応えるように、レマの視線が再び上がる。


「・・・一緒に・・・いてくれるんだろう?」

「うん。・・・言ったでしょ。最期まで、離さないって」


 フェリドの言葉に、レマが静かに笑う。

 

 答えは出た。


「ダンテ、アズール」


 フェリドが声をかければ、近くに控えていた幻獣たちが、甘えるように身を寄せてくる。ダンテは小さく鼻を鳴らしながら、アズールはかぶりを振って、フェリドとレマに鼻面を押し付けてきた。


「ごめん。・・・お前たちも、ボクらに、ついて来てくれる?」


 フェリドが問えば、ダンテは大きな舌でべろりとフェリドの顔を舐め、アズールは小さくいななく。ダンテとアズールの眼がきらりと光るのを見てとって、フェリドは「ありがと」と、二頭の鼻の頭を撫で付けた。

 

 互いの愛情を交わす時間は束の間だった。

 意を決した二頭は、主人の手を振り払うようにして駆け出した。

 ダンテとアズールが向かう先にいるのは、ベラだ。しかし、そのまま本懐ほんかいげることなど許されるはずもなく、案の定、キリムが、ダンテとアズールの前におどり出た。

 ダンテとキリムがにらみ合って咆哮ほうこうする。そのすきをつくように突進し続けたアズールは、キリムの七つある頭の一つに、鋭い角を突き刺した。眉間みけんが割れ、鮮血が飛び散る。その血が十四ある眼のいくつかに入り、キリムが暴れ出した。


 その期に乗じて、レマを抱えたフェリドが走り出す。

 と、すぐさまベラも動いた。その足は地面を飛ぶように蹴って、容易たやすく二人との距離を詰める。

 

 刹那。


「いくよ」


 レマにささやくと同時に、フェリドが突如とつじょ、振り返った。

 ベラと対峙たいじする体制になった瞬間、フェリドに抱えられたレマが腕を伸ばす。指先から閃光せんこうのような炎が放たれた。高速の炎が、ベラの顔面を狙って駆け抜ける。

 しかし、ベラは眼前擦れ擦れのところで身をひるがえし、これを避けた。そのまま足を止めることなく距離を詰めていく。

 瞬く間にベラとの距離は縮まり、手を伸ばせば届きそうな距離で、今度はフェリドが左腕を大きく振り上げる。腕の傷口から飛ばした血液で足止めをしようとの思惑は、ベラの左目を潰すにとどまった。

 

 これで、勝機はベラのものとなった。

 片目があれば充分とばかりに、その目が笑っている。

 フェリドが苦し紛れに繰り出した拳を難なく受け流したベラは、そのままの勢いで回し蹴りを繰り出す。咄嗟とっさにレマをかばったフェリドは、背中に強烈な一撃を受けた。


「がッ‼︎」


 抱きかかえたレマ諸共もろとも、地面に転がったフェリドの背を、ベラが片足で踏み付ける。 


「虫ケラがッ」


 ベラが高く叫んで、フェリドの髪を鷲掴みにすると、次いでレマから引き離されたその体は後方へと投げ飛ばされ、激しく瓦礫がれきに叩きつけられた。

 レマの眼前に、ベラが迫る。


( ー 嗚呼ああ、ここまでか)


 終わりを悟ったレマは、舌を噛もうと口を開いた。

 

 次の瞬間。


「伏せてッ!」


 聞き覚えのある声だった。

 言葉の意味を理解するより先に、レマの体が動く。

 地面に伏したと同時に視界の隅に映ったのは、宙を駆けるドラゴンの翼だった。その下から繰り出された強烈な蹴りを喰らい、ベラの体が吹っ飛ぶ。


 伏せたままのレマの前に、人間ともドラゴンとも知れない、うろこ鉤爪かぎづめを持った足が着地する。上体を起こし、ゆっくりと視線を上げると、翼を有した背中の上で、赤い髪が揺れていた。 


「・・・レグルス・・・?」


 それは、竜血りゅうけつに目覚めたレグルスだった。



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竜血の子 ~蒼い鳥のうたう歌~ 来ノ宮 志貴 @siki0210087

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