第38話 邂 逅
「ボヴァイア、もう
命令に従い、ボヴァイアは、両腕に抱き込んでいたベラの体をそっと離した。
結界が破れて暴風が巻き起こった瞬間、ボヴァイアは即座に主人の元へと駆け付け、その盾になった。
ベラから身を引いたボヴァイアの肩が、フラフラと揺れている。
おぼつかない足取りで主人の傍らに膝をついたボヴァイアの頭を、ベラが優しく撫でる。と、その労いの手が離れた途端、ボヴァイアの体がぐらりと傾き、倒れた。
ボヴァイアが一回、大きく息を吸う。スゥーっと音を立てながらゆっくり息を吐き切ると、その体はそれきり動かなくなった。
ベラは、それを静かに見下ろしていた。両翼を奪われたボヴァイアの背中を。
息を引き取った今も、傷口からは血液が流れ出ている。尋常でない量の出血が、瞬く間に血溜まりを作り、ベラの足を温めていた。
ベラが幼い日に召喚した幻獣が、ボヴァイアだった。
そんなボヴァイアが死んだ。
主人の盾となって死んだその最期は、まさにボヴァイアらしい死に様と言えよう。
ベラの胸中は、煮湯が沸騰する寸前のような、静けさと衝動が混在していた。
視線を上げれば、星明かりの下に、あの癒し手を抱き抱える魔獣使いの姿があった。その傍らにいるのは二頭の幻獣。双方共に、鋭い視線をこちらへ向けている。
「いじらしいことよ」
そう呟いたベラの背後で、轟音が鳴り響き、空気が震えた。
刹那、悲鳴と雄叫びが天地を切り裂く。
ベラの口角が上がる。
巨大な幻獣二体による戦いが決着したのだった。
フェリドの鼓膜を裂くような、イグニスの悲鳴。
イグニスの返り血を浴びたキリムが、七つの頭を振り乱して雄叫びを上げる。
フェリドはその声に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
イグニスは、年若い
大型の幻獣を召喚するには、大量の魔力と血液が必要になる。その為、回数は多くなかったが、実戦に駆り出す前に
そのイグニスの
「・・・イグニス・・・っ」
イグニスの胸と腹には、キリムの角に貫かれたのであろう傷が七つ、あんぐりと口を開けている。その傷口から、鼓動に合わせて血が溢れ出していた。
「イグニス・・・イグニス、ごめん」
そう呟いたフェリドは、レマを抱えた腕に折れた短刀を突き立てる。
「・・・戻れ・・・」
その言葉で、イグニスの体が光の粒子へと変化し、さらさらと風になびいて、フェリドの血溜まりの中に消えて行った。
もう、命は助からないだろう。
それでも、最期は幻獣界で静かに
この絶対絶命の状況で、死にゆく友に、フェリドが出来る唯一のことだった。
フェリドは、キリムを従えるベラの姿を見て、小さく息をついた。
「ここまで、なのかな」
フェリド自身、とうに限界がきていた。
ギリアン、ヘルムート、イグニス。三体もの幻獣を犠牲にした。
残るダンテとアズールも、体力の消耗が激しい。
敵のキリムとて、イグニスとの戦闘で
それに、得体の知れないのはベラだ。
キリム召喚の後、その場から一歩も動こうとしないところを見るに、彼女の体も、相当に疲弊しているのだろう。しかし、ベラからは、未だ異様な威圧感が放たれていた。恐らく、まだ奥の手を隠しているに違いない。
確実に仕留める機会を伺っているのだ。
レマを抱えるフェリドの腕に、力が入る。
なんとかレマだけでも助ける術はないか。
( ー どうすれば良い・・・どうすれば・・・)
その時だった。
レマの指先が微かに動き、その瞼がうっすら開く。
「フェリ・・・ド」
思考の渦に飲まれていたフェリドは、レマの
「レマ・・・!」
答えを導き出せないまま、フェリドは腕の中のレマに視線を落とした。その眼差しは、もしかすると
フェリドの瞳を見つめ、レマが口を開いた。
「死ぬのは・・・怖くない」
その呟くような声に、フェリドがはっとする。
「また・・・残される、ことに・・・比べたら・・・」
そう言って目を伏せるレマの頬を、フェリドは「うん、そうだったね」と頷きながら、指先で撫でた。それに応えるように、レマの視線が再び上がる。
「・・・一緒に・・・いてくれるんだろう?」
「うん。・・・言ったでしょ。最期まで、離さないって」
フェリドの言葉に、レマが静かに笑う。
答えは出た。
「ダンテ、アズール」
フェリドが声をかければ、近くに控えていた幻獣たちが、甘えるように身を寄せてくる。ダンテは小さく鼻を鳴らしながら、アズールは
「ごめん。・・・お前たちも、ボクらに、ついて来てくれる?」
フェリドが問えば、ダンテは大きな舌でべろりとフェリドの顔を舐め、アズールは小さく
互いの愛情を交わす時間は束の間だった。
意を決した二頭は、主人の手を振り払うようにして駆け出した。
ダンテとアズールが向かう先にいるのは、ベラだ。しかし、そのまま
ダンテとキリムが
その期に乗じて、レマを抱えたフェリドが走り出す。
と、すぐさまベラも動いた。その足は地面を飛ぶように蹴って、
刹那。
「いくよ」
レマに
ベラと
しかし、ベラは眼前擦れ擦れのところで身を
瞬く間にベラとの距離は縮まり、手を伸ばせば届きそうな距離で、今度はフェリドが左腕を大きく振り上げる。腕の傷口から飛ばした血液で足止めをしようとの思惑は、ベラの左目を潰すにとどまった。
これで、勝機はベラのものとなった。
片目があれば充分とばかりに、その目が笑っている。
フェリドが苦し紛れに繰り出した拳を難なく受け流したベラは、そのままの勢いで回し蹴りを繰り出す。
「がッ‼︎」
抱きかかえたレマ
「虫ケラがッ」
ベラが高く叫んで、フェリドの髪を鷲掴みにすると、次いでレマから引き離されたその体は後方へと投げ飛ばされ、激しく
レマの眼前に、ベラが迫る。
( ー
終わりを悟ったレマは、舌を噛もうと口を開いた。
次の瞬間。
「伏せてッ!」
聞き覚えのある声だった。
言葉の意味を理解するより先に、レマの体が動く。
地面に伏したと同時に視界の隅に映ったのは、宙を駆ける
伏せたままのレマの前に、人間とも
「・・・レグルス・・・?」
それは、
竜血の子 ~蒼い鳥のうたう歌~ 来ノ宮 志貴 @siki0210087
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