第35話 幻獣たちの血の宴




 天上高く立ち上った黒煙こくえんが、星々のきらめきを掻き消している。

 濛々もうもうと立ち込めた砂塵さじんを震わせて、ダンテの咆哮ほうこうが響き渡った。それに続いて、白鹿はくろくのアズールがいななき、神鳥シームルグのヘルムートが翼を広げ、竜人ズメウのギリアンが牙を剥き出す。


 アズールは、青光りする白い毛皮を持った巨大な鹿だった。目付きは鋭く、頭には四対の立派な角を持っている。鼻の頭にも一本、角が生えていたが、それは刃のような鋭さだった。あごには長いひげ、足先のひづめは鋭く、尻尾はドラゴンのような形で太く長かった。

 ヘルムートは、一見巨大な体躯たいくの鷲のようだが、犬のような容貌に孔雀の華麗な尻尾を持ち、両翼の先には獅子の爪が備わっている。くちばしは鋭く、猛禽類の目が相対する魔獣を見据えていた。

 ギリアンは、ドラゴンにしては極めて小型だった。背中に生える翼や面立ちは確かにドラゴンだが、姿形は人間に近い。二本の足で立ち、両の手に剣を構えている。全身を覆う鱗は虹色の光沢を持ち、ギリアンの美しさを際立たせていた。


 対するベラ側の魔獣は八体。それはトラウと呼ばれる魔獣で、岩のような皮膚と筋肉質な体を持ち、がっしりとした足先に生えたひづめが地面をえぐっていた。性質は極めて凶暴で、野太い三本の指に棍棒こんぼうを掴んで振り回し、口からは黄ばんだ歯が覗いている。妙に赤い舌が忙しなく動き、飢えた獣のように絶えずよだれを垂らしている。そして、ギラついた眼とつぶれた鼻のついた大きな頭は三つあった。同じく三つある首には、鋭い棘の付いた太い首輪がめられ、鎖で繋がれている。


「行けっ、トラウども!」


 ベラが命じると、鈍い音がしてトラウを繋いでいた鎖が砕けた。

 放たれた八体のトラウは、一斉に幻獣たちへと襲いかかった。


 魔獣と幻獣たちとがぶつかり合う。

 衝撃が爆風となって、フェリドとレマの体を打った。

 大柄な魔獣、幻獣たちの乱闘に砂塵さじんは増し、地面はひび割れ、空気が震える。

 凄まじい振動だったが、レマが村の周囲に張り巡らせた結界が功を奏し、村外への影響は極めて少なかった。


「ダンテ!」


 そんな中、フェリドが叫び、ダンテを前線から下がらせる。ダンテは対峙たいじしていたトラウを蹴散けちらすと、すぐさまきびすを返し、炎をたなびかせながらフェリドへと駆け寄って来た。

 フェリドは、ダンテがすり寄せてきた体に頬を寄せ、腕に抱いていたレマに微笑む。


「レマは、ダンテといて」


 そう言って、ダンテの背にレマの体を押し上げようとする。しかし、そんなフェリドの胸元を、レマの弱々しい手が掴んで制止した。


「・・・待って・・・」

 

 レマは自分の服のそででフェリドの顔や額の血を拭いだした。次いで、指でフェリドの髪を梳き、頭の傷に触れる。

 

「・・・っ!」


 痛みが走り、咄嗟とっさに声を詰まらせたフェリドだったが、すぐにその意図を察してレマの手首を掴んだ。


「レマ、ダメだよ」


 思った通り、レマの指先には治癒魔法の淡い光が宿っていた。


「このくらい、やらせてくれ」


 かすれ声で言うレマに、フェリドがかぶりを振る。


「今のレマには負担が大き過ぎる」


 しかし、レマも譲らなかった。フェリドに掴まれた腕を振り解こうするが、今のか弱いレマでは、なんの抵抗にもならない。しかし、その必死さが強い眼差しに宿っている。


「・・・私は、もう戦えないだろう・・・」


 苦渋の色をにじませた声音が、レマの口からしぼり出される。


「・・・少しでも、フェリドの力になりたい・・・。

 ・・・頼むから、やらせてくれ・・・」

「・・・レマ・・・」


 こうなっては、もうレマは後に引かない。彼との付き合いの中でそれを熟知じゅくちしていたフェリドは、大人しく頭を差し出すことにした。

 レマは弱々しい笑みを浮かべ、フェリドの血まみれた髪の中に指をもぐり込ませる。

 ジクジクと痛んでいた傷口に、優しい温もりがじんわりと染み入ってきて、フェリドはその心地良さに瞼を閉じた。次いで、レマの唇がフェリドの額に触れる。と、傷のせいで引き起こされていた鈍い頭痛も、スッと小雪が溶けるように癒されていった。全身に血が巡るように、暖かさが広がってゆく。フェリドは大きく息を吐いた。


 そんな二人の様子を、射るように見据えていたのはベラだ。

 夜陰やいん砂塵さじん、獣たちの乱闘、視線を遮るものは数多あまたある。にも関わらず、そのぎらついた眼差しは、真っ直ぐにフェリドとレマを見据えていた。

 しかし、その欲念よくねん殺気さっきあふれる視線を、不意にさえぎるものが現れた。

 ダンテだ。

 主人に向けられた視線を感じ取ったダンテはスッと身をひるがえし、その巨体でフェリドとレマを、欲望の眼差しから覆い隠す。そして、敵の視線を真っ向から受け止めた。

 そんなダンテの首元を、治療を受けるフェリドの手が撫で付けている。フェリドも、ベラの放つ殺気には気付いていた。レマに向けられた執着にも。

 ダンテの威嚇いかくも、これ以上は保たない。他の幻獣たちも、疲労の色が濃い。


「もう行くよ」

 

 フェリドが、やんわりと治療の手を引き離すと、今度はレマも黙って頷いた。レマの顔は蒼白し、唇からも色がなくなっている。フェリドは出来るだけ優しくレマの体を抱き上げると、ダンテの背に預けた。

 その時だ。

 

「ギャァあああああああああああああああああああッ!!!」


 凄まじい叫び声が上がった。

 弾かれたように振り返ったフェリドの目に飛び込んで来たのは、九体のトラウに喰らいつかれたギリアンの姿だった。


(-- 魔獣が増えてる!?)


 ベラが召喚したトラウは八体だったはずだ。その後、新たな召喚はなかったはず。それなのに、何故。

 しかし、フェリドはすぐに、九体のトラウたちの違和感に気付いた。トラウの三つあった頭が一つになっている。その上、体は小さく細くなり、機敏さが増していた。


(-- 分裂したんだ・・・!!)


 それを証明するかのように、目前で、ヘルムートの爪で切り落とされた三つ首のトラウの首が、切り口から瞬く間に体を生やしてゆく。頭さえあれば再生出来るようだ。その再生能力は凄まじく、気付いた時には八体だったトラウは二十四体になっていた。

 この数では、アズールもヘルムートも、ギリアンの援護には回れない。

 このままではギリアンが喰い殺される。

 フェリドはすぐさま剣を抜いて駆け出そうとしたが、手にした剣が折れているのを見てハッとした。先刻の戦いで折れてしまったのだ。

 フェリドは剣を投げ捨て、短剣を取り出した。

 その間にも、九体のトラウはギリアンに群がり、その肉を喰い千切って喰らっている。ギリアンの悲痛な叫び声が鼓膜を揺らす。

 フェリドは勢いよく左腕を刃で掻っ捌いた。ぼたぼたと溢れ出た血液が血溜まりを作る。


「ギリアンっ! 戻れぇえええ!!」


 瞬間、ギリアンの体が光の粒子となり、フェリドの足元でボコボコと泡立った血溜まりの中へと消えてゆく。

 なんとか、ギリアンの息のあるうちに幻獣界へと戻すことができた。おそらく、命は取り留めただろうが、あの傷では、もう二度と召喚することは出来ないかも知れない。フェリドがぎりっと奥歯を喰い縛る。

 ギリアンに群がっていた九体のトラウは、束の間あたふたと動揺の色を見せたが、すぐさまそのにごった眼球が、フェリドを捉えた。そろって奇声きせいを上げると、血の混じったよだれを振り乱しながらこちらへと群がってくる。


(-- 間に合わないっ!)


 短剣を構えたフェリドにトラウたちが一斉に飛び掛かかった。

 刹那、フェリドの眼前に炎の壁が立ち上がる。九体のトラウが一気に火達磨ひだるまになって吹っ飛んだ。


 「ッ・・・レマ!?」


 それが精霊イフリートの力だと気付いたフェリドが振り返った瞬間、ダンテの背にいるレマが吐血とけつした。瞬間、精霊イフリートの炎も消滅する。

 脂汗あぶらあせにじませ、ダンテの毛皮に顔を突っ伏し、胸を抱えて痛みに耐えるレマ。フェリドはすぐさま駆け寄ろうとしたが、それを制したのは当のレマだった。突き出された震える手。その手がフェリドを拒んでいる。

 一瞬、眉根を寄せたフェリドは、それでも毅然きぜんきびすを返した。


「ダンテ、レマを頼んだよ」


 小さく言い置いたフェリドの背に、ダンテが鼻を鳴らして答える。そうして、主人の意図を汲み取って、戦いの渦中から距離を取ろうと、小走りで駆け出した。

 すると、それを見ていたベラが声を上げた。


「逃さぬ!」


 ベラが腕を上げると、その腕をボヴァイアが鉤爪で引き裂く。ベラの足元に瞬く間に血溜まりが出来上り、ぼこぼこと泡立った。


「来い、キリム!」


 血の水面みなもを波打たせ、中から新たな幻獣がい出して来る。

 キリムと呼ばれたそれは、ドラゴンにしてはいびつな、巨大な蜥蜴とかげのような容姿をしていたが、七つの頭に七本の角、七つの目を持っていた。波打つ鱗は鉄のような光沢をしている。

 しかし、それとほぼ同時に、フェリドも新たな幻獣を召喚した。


「我が血をしるべきたれ、イグニス!」


 現れたのは、燃え立つような真っ赤な鱗を持ったファイヤー・ドレイクだった。


「レマは渡さない」


 フェリドとベラが睨み合う。

 アズールとヘルムートがトラウと血で血を洗う激戦を繰り広げる中、新たにイグニスとキリムの戦いが幕を上げた。



 


 

 

 

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