第4話 王都から来た男
思わぬ収入を得たレグルスは、それでかりんの砂糖漬けを買った。
安くはなかったが、かりんのシロップが体に良いと聞いて、迷わず手に入れた。
それに、砂糖には思い出がある。
数年前のこと。山を越えるという行商人の一団を護衛した時に、報酬の一部として受け取ったのが砂糖だった。そのまま舐めても甘くて美味いが、豆や果物を煮込むと更に美味いと聞き、その時は林檎を煮た。
少量だったが、トウマと二人で分け合って食べたあの味は、今も忘れられない。トウマは「砂糖って凄まじい甘さだな」と苦笑いしながら、いつまでもそれをあてにグラスを傾けていた。
―― コレを口にすれば、少しは元気になるかもしれない。
レグルスは微かな希望とともに、布袋へかりんの砂糖漬けをしまい、意気揚々と帰路についた。
レグルスが村の広場に差し掛かると、人垣ができていた。
集会でもしているのだろうか。
出来れば人ごみは避けたかったが、この広場を抜けるのがラデンカの丘へは近道だった。
レグルスは意を決し、袋を抱え直して人垣の端を歩いた。
視界の隅に村長の姿が映る。ソキ村の村長ーマルティンは、人望厚く逞しい男だった。普段は穏やかな人物なのだが、今は表情が険しい。何事かと目をやれば、村長と対峙する旅人風の男に目が留まった。
途端、レグルスの左手が無意識に動いて、右の二の腕を擦る。それは、不安を感じた時に現れるレグルスの癖だった。
旅人は、対峙する村長より長身ながらも、横幅はその半分程の細身の青年だった。ふわりとした白金の髪に、スッキリした面立ちが爽やかな印象を与え、すらっと長い手足は程よく鍛えられているらしく、貧弱さは微塵も感じさせない。表情も穏和で、口元には笑みが浮かんでいる。ただ、若草色を基調にした独特な服装や装飾、特に雄羊の角を細工して作られた帽子のような頭飾りが、異質な雰囲気を漂わせていた。
だが、レグルスが気になったのはそれだけではない。
彼が連れている獣も、また異質だった。
見た目は白い毛並みの犬なのだが、半分たれた両耳の間に、犬には決してないものを持っている。
角だ。
それを見れば、あれがただの犬でないことは一目瞭然だった。
「・・・
レグルスは、自分の口を
ヤカ村を襲った魔獣はもっと大きく、闘牛のような風貌だった。鋭い角を持ち、毛のない硬い皮膚がむき出しで、凶暴な面構えと性質で人々を襲い、群れをなして村を
今、目の前にいるのは一匹だけだ。
人間に飼われている魔獣が存在することはレグルスも知っていた。魔獣の全てが凶暴なわけではないことも理解している。それでも、あの夜を経験してしまった以上、魔獣への警戒心は拭えなかった。
それは村長や村人たちも同じなのだろう。村に滞在したいと申し出る旅人に対し、村長は頑な態度を崩さなかった。
「村に泊めることは出来ない」
「一晩だけでいいのでお願い出来ませんか?
この村で仲間と落ち合う約束なんですよ」
丁寧だが、緊張感のないしゃべり方だった。
レグルスの気は緩むんだが、しかし、旅人に対峙する村長は違った。
「魔獣を村に留まらせるわけにはいかない。出てってくれ」
「あ、この子なら大丈夫ですよ?
人懐っこいし、ボクがしっかり
旅人は人好きしそうな笑顔で返したが、村長の表情は変わらない。
「駄目だ。ひと月前、近隣の村が魔獣の群れに襲われた。酷い有り様だった。
・・・俺は村長として、危険なモンをこの村に置くわけにはいかん」
村長の言葉に、村人たちも賛同の声を上げる。すると、旅人は「キケンなんかじゃないんだけどなぁ」と苦笑しながら、従えた魔獣の頭を撫でた。
「そこをなんとかなりませんかね?
約束があるんですよ」
「駄目だ。そもそも、こんなモンを連れてるあんた自身、信用ならない」
「え、ボクも? 困ったなぁ、ボクこう見えて王都の人間なんですけど」
その言葉に村長の眉がピクリと動いた。
村人の間にも動揺が走る。
ソキ村はユースト王国の外れに位置していた。
王都リリアは、此処から南東へ遠く離れた場所に位置し、国王陛下の居城を中心に城壁に囲まれた城塞都市だという。
「それを証明できるのか」
強い口調で問う村長に、旅人は笑みを返した。
「これでどうでしょう」
軽い調子で言い、青年は左手の親指に
「王家の紋章?」
周囲の村人たちがどよめいた。
レグルスも息を呑む。
村長が「皆、静かにしてくれ!」と声をあげるが、村人たちのどよめきは収まらない。
旅人は先刻と変わらぬ笑顔のまま口を開いた。
「その指輪は、国王陛下から直々に
それを聞いて、村人たちのどよめきは益々収まることころを知らなくなった。
レグルスの胸中にも妙な緊張感が溢れ、左手が二の腕を擦りだす。
指輪と青年を見比べ、村長の眉間に作られた
「あんた、何者なんだ?」
村長の緊張感のこもった問いに対し、旅人は
「申し遅れました。
ボクはフェリド・ルー。マイラ王家に仕えるルー一族の者です。
マイラとユーストの同盟関係に伴い、一族を代表してボクが、ユースト王家に派遣されてます。
先日バートニアとの国境で起きた、
マイラ王国はユースト王国の隣国で、三国同盟の一国である。
また、魔獣使いと言えば戦で重宝される人種だが、レグルスはルーという一族のことを知らなかった。
マイラ王家からユースト王家へと派遣された、由緒正しき魔獣使いらしいが、それが本当だとすれば、ソキ村にとってこの上なく頼もしい存在だった。しかし。
「ちょっと待っててくれ」
村長は、数人の村の男衆を呼び集め、頭を寄せ合って討議し始めた。
・・・信用ならないのだ。
フェリドと名乗る旅人の軽い口調が、彼の印象を軽薄なものにしていた。
話の内容に驚きはしたものの、とても王家に仕える偉い人には見えない。
村人たちの間からも「詐欺じゃないのか」「なにか企んでいるのかも」という疑心に満ちた言葉が次々に囁かれた。
これには
そんな彼が、レグルスにとっては不思議で堪らなかった。
これほどの疑心暗鬼の視線を向けられれば、怒るか怖気づくかしそうなものだ。自分だったならば早々に逃げ出していただろう。
―― ・・・タフなのか、バカなのか・・・。
そう思い、レグルスはフェリドの姿に見入っていた。
緊張感のない彼の笑顔にいつの間にか警戒心も解けて、二の腕を擦っていた左手が下りる。と、その手にツンツン、と何かが触れた。
「・・・ッ!」
レグルスの手を
気付けば村人たちは、レグルスと
フェリドに気をとられていたレグルスは、魔獣の動向にまるで気付かなかった。周囲の人たちから取り残され、魔獣の標的にされたレグルスは、先刻フェリドが言っていた言葉を思い返した。
「しっかり躾けてますから」
―― やっぱり詐欺師かもしれない。
退屈を持て余したのだろうか。主の元を勝手に離れてきた魔獣は、レグルスの目前で座り、真っ直ぐにこちらを見上げてくる。それは無邪気な眼差しで、奇術を見つめる子供たちと同じ目だった。
時々、鼻先でレグルスの指先を
魔獣の不振な行動に困惑するばかりのレグルスだったが、その時ふと、フェリドの言葉が脳裏を掠めた。
彼はこの魔獣を「人懐っこい」と言っていた。
レグルスは
と、それは思いのほか、艶々して優しい手触りだった。よく手入れされているのだと分かる。魔獣はヘッヘッと淡い桃色の舌を出しながら瞼を閉じて大人しく撫でられていた。
―― かまって欲しかったのか・・・?
レグルスがほっと胸を撫で下ろした時、村長が討議を終え、フェリドの前に立った。紋章の入った指輪をフェリドへと返し、口を開いた村長の表情は、やはり険しかった。
「すまないが、やはり宿に泊めるわけにはいかない。俺たちの信用に足る人物か確証が持てないからだ。その上、魔獣まで連れている。・・・この村は無事だったが、襲われた村に親戚や知人がいた村人は大勢いるんだ。皆、大切な人を亡くした。そういう村人たちの感情にも配慮したい」
村長の下した決断に、フェリドは「そうですかぁ」と肩を落としたが、すぐに「仕方ない!」と笑って見せた。随分あっさり引き下がったフェリドに対し、村長も少し拍子抜けしたのか、一瞬息を詰める。しかし、厳つい面持ちは崩さぬまま、討議の合間に用意したのであろう包みを青年に手渡した。
「だが、村の外ならば目を瞑ろう。丘の向こうに森がある。雨露くらいは
渡された包みの中身を確認して、青年が「あ、美味しそ」と微笑む。察しはついていたが、包みの中身が食料であるということが周囲の村人たちにも知れた。
「ありがとございました。
リルー、行くよ!」
フェリドが声を掛けると、リルーと呼ばれた魔獣は、名残惜しむ様子も見せずにクルッとレグルスに背を向け、主の元へと駆け出した。レグルスだけが、ぽつんと取り残される。
そんなレグルスに向かい、フェリドは「ありがとね」と軽く手を振り、広場を後にして行った。
旅人と魔獣の後ろ姿を、村人たちが見送る。その眼差しは様々だ。
毒気を抜かれたもの、疑心を抱くもの。罪悪感に恐怖心。そして、憐れみと憎しみ。
見送るレグルスの視界の隅で、若い女がそっと地面にしゃがみ込む。
次の瞬間、女は勢いよく立ち上がって叫んだ。
「おとうとおかあを返せ!」
振り上げられた手から石が投げられる。
「あっ」
レグルスは思わず声をあげた。
投石がリルーの耳をかすめたのだ。
「ギャイン!」
リルーの鳴き声が空気を震わせた。
リルーはそのまま主の制止を振り切って走りだし、その姿はどんどん小さくなってゆく。フェリドは一度だけこちらを振り返ったが、リルーを追ってそのまま姿を消した。
石を投げた女は、若い男に抱き締められるように抑え込まれて泣き
「あれは半年前にヤカ村から嫁いできた娘だ」
「実家の両親に兄夫婦、小さな甥っ子まで殺されちまったってよ」
そうだ。ヤカ村の
それでも、レグルスはフェリドと言う青年と、あの魔獣―リルーに恨みをぶつけることは出来なかった。
旅をして生きていれば、過酷なものを目にする機会は多かった。
特に魔族との
魔族の
やり場のない怒りや憎しみを、魔獣とひとくくりにして責めることが出来れば簡単だろう。しかし、王国の軍には、実際フェリドのような
きっとリルーもそういう存在なのだろうと考えて、そっと指先に視線を落とした。
―― いや、そんなんじゃない。
そうじゃなくて・・・
そんな理屈よりも確かなのは、この指先に残るぬくもりかも知れない。
愛くるしかったリルー。
笑顔を向けてくれたフェリド。
女の
重かった足取りが、次第に駆け足へと変わってゆく。
―― 早く帰って、トウマの包帯を取り換えよう。
レグルスは、帰って自分のするべきことを、ひたすら頭に思い浮かべた。
―― トウマに煎じ薬を飲ませて、
口直しにかりんの砂糖漬けを用意しよう。
きっと元気になる。
それから温かいミルクでスープを作ろう。
そうだ、チーズも焼かないと。
食べやすいように肉は叩きにして、
それから、それから・・・。
レグルスは、重たく
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