第3話 ラデンカの丘







 ソキ村の南にある小高い丘には、ラデンカと呼ばれる大木が枝葉を伸ばしていた。

 その近くにある古い小屋に人が住むようになったのは、ひと月程前からのこと。

 住人は、無口な少年と、怪我を負って寝たきりになった青年の二人だった。

 同じ頃、近隣のヤカ村が魔獣の群れに襲われる惨事が起きた。

 二人は、その数少ない生存者だった。 







 少年ーレグルスは、寝台ベッドに横たわる青年に毛皮を掛け直しながら言った。


「トウマ、村に行ってくる」


 寝台のトウマは固く瞼を閉ざし、昏々こんこんと眠り続けている。答えが返ってこないことは分かっていた。それでも、毎日ことあるごとに話しかけた。

 レグルスは後ろ髪をひかれる思いで小屋を出た。

 後ろ手に扉を閉め、ふと上げた赤い眼に、赤い花びらが映り込む。

 晴れ渡った空を背景に、盛んに赤い花を咲かせるラデンカが、レグルスを見下ろしていた。

 木漏れ日と鮮やかな花の色が目に染みる。


『ラデンカの木には精霊が宿っている』


 この木に、そういう言い伝えがあるのだと聞いたのは、この村に来て二、三日目のことだった。

 ヤカ村が魔獣におそわれ壊滅かいめつしたのに対し、近隣のソキ村は微塵みじん被害ひがいを受けなかった。二つの村の運命をへだてたのはラデンカの木の存在だったに違いないと、ソキの村人たちは口にした。ラデンカの精霊が花を咲かせてソキ村を救ったのだと、誰もが信じて疑わなかった。

 それは、不思議な偶然が重なった故だろう。

 この木は、何年も花をつけていなかった。しかし、今年に限って赤いつぼみふくらみ、ヤカ村での惨劇ひげきが起こる前日に開花したのだという。

 そんな話を聞けば、目に見えぬ精霊の存在を信じたいと思うのが人間の弱さだろう。

 レグルスもその一人だったが、少年には、精霊の恩恵おんけいを受けているのではないかと思わせる事柄ことがらがひとつ起きていた。

 悪夢を、見なくなったのだ。

 幼い頃から、夢に見るのは悪夢ばかりだった。しかも決まって同じ内容だ。

 黒い霧に追いかけられ、不気味な手に捕まる。

 そんな夢を何度も何度も見続けた。

 何か意味があるのだろうかと悩んだ時期もあったが、成長するにつれ、「夢とは自身の意図するところではない、どうすることもできないものなのだ」と、割り切って考えるようになり、迷いを断ち切った。

 しかし、このラデンカの丘で寝起きするようになってから一か月、あの悪夢を見ていない。偶然かも知れないが、こんなに長い間、悪夢にさいなまれない夜を送るのは、少年にとって初めてのことだった。

 そんなことがあり、レグルスが精霊の存在を少なからず意識し始めていた昨夜、初めて、あの悪夢とは違う夢を見た。

 それは色鮮やかな夢だった。目覚めてから、夢とはこれ程に美しいものであったかと想いを巡らせた半面、その内容に深い溜息が出た。

 どうやら自分の夢の世界は、悲しみでしか成り立っていないらしい。

 レグルスは、ラデンカの根元にそっと膝をつき、昨夜初めて目の当たりにした美しい夢の情景じょうけいと残酷な中身を思って、なめらかなみきに指先を滑らせた。







 辺りはラデンカの花吹雪におおわれていた。

 せ返るような花の香りの中、大木の根元に立っているのはトウマだ。

 トウマは赤い花びらの雨の中、美しい女性と対峙たいじしていた。

 透けるような白い肌に、ラデンカの花と同じ鮮烈な色の瞳を持つ女性。

 トウマは彼女を「ラデンカ」と呼んだ。

 「そうか、これがラデンカの精霊か」と意識しつつも、レグルスにはトウマの方が気がかりでならなかった。

 美しい精霊に相反して、トウマは酷く血に汚れていた。

 傷まみれになって足を引きずる姿を見れば、目の前にいるのが、のトウマなのだということが一目瞭然だった。

 レグルスはすぐにもトウマに駆け寄りたかった。しかし、それは叶わない。夢の中の自分には実態がなかったのだ。

 衝動しょうどうに突き動かされる身体がないもどかしさに、舞い落ちてトウマの頬を撫でる花びらにすら嫉妬を覚えた。

 トウマは脇腹の大きな傷をかばいながら、一歩一歩、精霊へと歩み寄る。その度に傷口から血があふれ出した。

 精霊の目前まで迫ったところで、トウマの口から鮮血が噴き出す。その血は精霊をすり抜けてラデンカの木の幹を赤く染めた。くずおれて膝をついたトウマの右手が、ラデンカの幹にすがり付く。


「ラデンカ・・・ラデン・・・カ・・・」


 血のりが咽喉のどまったのか、上手く話せないトウマに、精霊がそっと手を差し伸べ、血まみれた頬を包み込む。精霊を見つめるトウマの眼差しは、その痛ましい姿からは想像出来ない程に強かった。

 トウマは血を吐きながら口を開いた。


「・・・ラデンカ・・・。

 ・・・どうか・・・どうか、・・・レグルスを・・・守って・・く・・れ・・・」


 自らの血に塗れた青年は、それでも最愛の弟を案じていた。

 血のりにせ返りながらも決死に嘆願たんがんし続けるその姿に、ラデンカの精霊は黙して頷いた。

 次の瞬間、それまで人の形を成していた精霊が真っ赤な花びらへと変化へんげし、風の中に霧散むさんしてゆく。

 風は轟々ごうごううなり、みきは呼応するように揺れた。

 トウマはそれを見届けると、安心したように笑って、ラデンカの木に背を預け、くずおれるように座り込んだ。

 ラデンカの花びらがさらさらと落ちて、幹を背に動かなくなったトウマを包み込むように埋め尽くしていった。







 嫌な夢だと思った。


 ―― ・・・守ってほしいのは俺じゃない、トウマだ・・・。


 レグルスは深く息を吐き、ラデンカを見上げた。

 そして、夢の台詞せりふになぞらえて言葉を紡ぐ。


「ラデンカよ、

 どうか、トウマを守ってくれ。

 助けてくれ。 ・・・頼む」


 けれど、精霊が頷いてくれることはなかった。




  ***




 ラデンカの丘を下れば集落だ。

 ソキは大きな村だった。若者も多く、ヤカの村が襲われた翌日には、青年団が武器を持って救済に向かったほどだった。だが、既に手遅れであったことは、レグルス自身がよく知っていた。


 村はずれの牛飼いの家を過ぎて小道に入り、村のメーン通りにでる。レグルスはいくつか店をやり過ごして、角の薬屋の扉を叩いた。すると、軽快な返事と共に大柄な女将、マヤが顔を出した。


「レグルス、よく来たね! 兄ちゃんの具合はどう? 何か食べてる?」


 マヤの矢継ぎ早な問いに、レグルスは軽く首を振る。


「そりゃよくないね。ちょっと待ってて!」


 マヤが店の中へ引っ込むと、入れ替わりで長身の店主、バジールが顔を見せた。


「よう。兄貴の様子は?」


 レグルスが首を振ると、それを皮切りにバジールはトウマの様子をつぶさに聞いてきた。レグルスは問われるままにトウマの様子を応えると、最後にうさぎの肉をバジールへと差し出した。トウマの飲み薬と塗り薬、布に包帯、それに滋養のあるミルクに代えてもらうのだ。

 この乱世に旅芸人だけを生業なりわいに生きていけるはずもなく、旅の最中に磨いた狩りの腕が役立っていた。

 バジールがうさぎの肉を受け取ると、店の奥からマヤが現れた。その手に大きな布袋を抱えて戸口に立つと、バジールがその中に薬を入れて袋の口を閉じる。


「お前さんの怪我はどうだい? 診てやろうか」


 レグルスは黙って首を横に振った。


「そうかい? お前さんだって大層な傷こさえたんだ。油断はしなさんな」


 バジールの口調は厳しいが、その表情は柔和にゅうわだった。

 マヤが夫の言葉にこくこく頷いて「そうだよレグルス、遠慮しちゃいけないよ?」と笑い、布袋を手渡してくる。

 両手に受け取ったその袋は、ずっしりと重たかった。


「今日はね、中にチーズも入ってるから。兄ちゃんに食わしてやりな!」


 どっしりとしたマヤは大きな胸を張って笑った。

 この薬屋夫婦は親切で気前が良く、普段からレグルスとトウマに野菜や加工品など分け与えてくれた。

 

 ―― チーズならトウマも食べられるかもしれない。


 そう思いながら袋の中を確認すれば、清潔な布や包帯、薬の瓶やミルクの瓶を覆い尽くすようにジャガイモが沢山つまっていた。

 このジャガイモをすり潰してミルクと煮込んでスープにし、上にとろとろにしたチーズをのせてみよう。そう思い立ってレグルスの口元に薄っすらと笑みが浮かんだその時、店の奥から大きな声が響いた。


「レグルス!」


 店の中から飛び出してきたのは、薬屋夫婦の一人娘サーヤだった。

 彼女はレグルスに駆け寄ると、気後れする相手のことなどお構いなしに、ぐいっと顔を近づけてくる。


「いらっしゃいレグルス! 今笑ってたわね! いつもの仏頂面より、そのほうが素敵よ?」


 笑ったと言っても、ほんの少し口の端が上がっただけのことだった。

 それなのに天真爛漫なサーヤは目敏く見つけ、レグルスのものとは比べものにならない華やかな笑みを向ける。

 レグルスは、その笑顔を息を飲んで見つめ返すことしかできなかった。

 奥手で、感情表現が苦手なレグルスは、表情が硬く口下手で、人に好かれるたちではない。

 レグルスとトウマが逃げ延びてきた最初こそ、ソキ村の人たちも憐れな少年に親切に言葉を掛けていたが、彼が余りに感情乏しく素っ気ないので、気味悪がって疎遠になってしまった。

 今では、この薬屋家族と村長だけが、親身になって世話を焼いてくれていた。


「あ・・・、」


 サーヤに圧倒され、レグルスの声がかすれた。まるで咽喉のどまくが張ってしまったかのように声が出ない。

 旅に生き、旅芸人として生計せいけいを立ててはきたが、それだけで食いつないでいけるわけもなく、狩りの腕を磨き、けもの魔獣まじゅうを狩って腹を満たした。また、トウマに修練を受けた剣術や武術で用心棒のような仕事を請け負い、報酬を受け取ったりもした。奇術きじゅつや笛も習ったが、レグルスは人前に出ることが苦手で、旅芸人としてはさなかった。多くの人に見られていると思うだけで気後れする始末だ。トウマも、そんなレグルスを無理に人前に出すことはしなかった。

 その為、旅芸人として注目を集めるのはトウマだけで、レグルスは芸のサポートをしていたに過ぎない。


 人と関わることが極端に苦手なレグルスにとって、サーヤとのやりとりは恥ずかしくて居心地が悪かった。

 荷物を抱えた少年の腕に力が入る。レグルスはサーヤから一歩離れて頭を下げた。


「ありがとう・・・ございました」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 逃げるように走り出した少年の背に、バジールの「お前の塗り薬も入れといたから、ちゃんと塗れよ!」という声がかけられる。レグルスはさっと手を挙げて応えると、そのまま薬屋家族が見えなくなるまで走り続けた。







 今までトウマと二人きり、流れ流れて生きてきた。

 一所ひとところにこれほど長く暮らすのは初めての経験だ。

 レグルスは自分の無様な姿を思い返し、唇を噛んだ。


 ―― ・・・なんて情けないんだろう。


 これがトウマだったなら、すぐさま人好きする笑顔で村人たちの心を捉えていたに違いない。

 自分はトウマがいなければ何もできない。

 トウマが寝たきりになってみて、そのことがつくづく身に染みた。

 こんなことではいけないと思う。自分がもっと強くならなくてはいけないと。

 だが、それと同時に、以前のようにトウマが元気になってくれれば何の問題もないのだと、甘えた考えも頭をもたげてくる。

 それだけに、トウマの現状を思うと、胸が締め付けられずにはいられなかった。

 

 トウマは聡明で快活な青年だった。

 それがあの日から一変、寝台の上で力なく眠り、時々微笑むだけの、儚げな姿しか見られなくなってしまった。口を開くこともほとんどなく、食欲もない。もう何日も、トウマの声を聞いていない。

 心配で堪らなかった。

 通りを歩きながら、レグルスはひたすらトウマのことを思った。

 トウマは手先が器用で、得意なのはカードを使った奇術だけではない。道端に転がっている小石でも、たちまち奇術の主役にしてみせた。

 しかも、そのわざを惜しみなくレグルスに教えてくれた。この乱れた貧しい世の中で、少しでもレグルスの身の助けになるようにと、様々なことを厳しく仕込んでくれた。

 それが思い出になりつつある。


 ―― いや、思い出になんてさせない。

 

 レグルスは足元にあった小石を拾い上げ、手の中で転がしてみた。

 トウマの仕草一つ一つを思い出しながら、小石を消したり、また増やしたり。教えられた通りのことを、手の中でひたすら繰り返す。


 ―― 今までトウマが守ってくれた。

    今度は俺がトウマを守る。


 布袋を背負い直し、レグルスは夢中になって手を動かした。




  ***




 どれくらいたったのだろう。

 少し、影の位置が変わっている。

 いつの間にか、足も止まっていた。

 小屋へ帰る道すがら、手慰み程度に始めたはずの奇術に、気付けば没頭してしまっていた。

 早くトウマの元へ戻らなくては。

 急な不安に駆られ顔を上げた途端、レグルスはギョッとして目を見張った。

 自分の周囲に、子供たちが集まっていたのだ。

 レグルスの戸惑いを感じ取ったかのように、手にしていた小石が地面へと転がり落ちる。

 すると一人の子供がその小石を拾い上げ、レグルスへ真っ直ぐと差し出しながら口を開いた。


「ねえ、もう一回やって!」

「・・・」


 子供の眼差しは揺るぎなく真っ直ぐだ。

 レグルスは少し気後れしながらも、そっと小石を手にとった。

 背負った荷物を置いてしゃがみ込み、子供の小さな手に小石を握らせる。

 そうして一息吐くと、一拍置いて子供の拳を指先でポンと叩いた。

 途端、子供の表情が驚愕に満ちた。子供は恐る恐ると、その小さな手を広げてみせる。目前にさらされたてのひらから、握りしめていたはずの小石が忽然こつぜんと消え去ってしまったのだ。

 自分の手を太陽にまでかざしてまじまじと見つめる子供と、向かい合うレグルス。

 少しして、周囲に集まる子供の一人が、レグルスを指差して大声を上げた。


「にいちゃんのほっぺ、ふくらんでる!」


 子供たちの視線が一斉にレグルスへと集中する。

 すると、レグルスの口の中から消えたはずの小石が吐き出された。子供たちは歓声をあげた。


「ねえ、もっとやって!」

「もう一回! もう一回見せて!」


 レグルスはせがまれるままに何度も何度も、同じ奇術を繰り返した。

 子供たちは目を輝かせ「もう一回!」「もっとスゴいの!」と、飽きもせずに催促する。

 子供の無邪気な要求を断る術を知らないレグルスは、こういう時トウマはどのようにしてケリをつけていたか、思いを巡らせた。

 トウマが華麗なフィニッシュを決めた瞬間を幾つも思い出し、これだというものを心に決めたその時、見物人の輪に大人が混ざり始めた。

 途端、その視線に委縮してレグルスの手が止まる。と、それをフィニッシュと勘違いした観客らはすかさず声を上げた。


「いやぁ、愉快だ!」

「たいしたもんだなぁ!」


 立ち尽くすレグルスに、称賛の言葉と惜しみない拍手が送られた。

 呆けたレグルスとは対照的に、皆、一様に笑顔だ。

 大人たちは次々にレグルスの元へ歩み寄ると、その手に硬貨を握らせてくる。

 商売をするつもりなどなかったレグルスは、相手の顔を見返して茫然としていた。

 驚愕に支配されて、しばらく体が動かなかった。

 しかし、手のなかにある硬貨の感触は確かなもので。「面白かったよ」「また見せてね」と次々に掛けられる言葉が、戸惑いを小さな自信へと変えてくれる。


 ―― そうだ、自分は旅芸人なのだ。

    これが在るべき姿なのだ。


 レグルスは村人たちに精いっぱいの笑顔を向けて、頭を下げた。

 引きつって無様な顔をしているかもしれない。

 それでもいい。

 格好悪くてもいい。

 旅芸人として、お客に少しでも誠意が伝わりますようにと、心から願った。






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