第二章

第9話 宿る遺志







 この森を抜ければソキ村に出てしまう。

 その前に片を付けなければならない。


 ―― 手負ておい相手に手間取った。


 レマはれた髪をかきあげると、小さく精霊の名をうたった。

 途端、周囲に蛍のような淡い光が浮かび上がり、彼と彼の行く手を照らし出す。

 レマの全身は先刻までの雨に濡れ、身にまとった紅のマントが黒ずんで見えた。精霊の光に包み込まれ、長い髪は蒼い光沢を放ち、顔をおおった仮面が白く浮かび上る。仮面からのぞくのは口元のみで、表情はほとんど読み取れない。しかし、あらわになった細いあごから首筋にかけては、透けるような白だった。

 精霊の灯りは、衣服に着いた返り血さえも照らし出していた。

 グローブも血に濡れ、ブーツは泥まみれだ。

 激しい雨の後で足元はひどくぬかるんでいた。夜風は冷たく、濡れた身体を冷やす。呼吸が乱れ、古傷が痛んだ。それでも、追跡の手を緩めるわけにはいかなかった。

 ようやく事件の黒幕に近づいたのだから。








 夕刻のことだ。

 その日はカーラという小さな町で宿をとり、翌朝ソキ村に発つつもりだった。

 早めの夕餉ゆうげを終えて部屋に戻り、右目をおおう硬質な眼帯を外すと、ようやく肩の荷が下りた。ふうっと息を吐くと、物陰に隠れていた二匹の小竜がひょっこり顔を出し、空中を駆けて来てレマに寄り添う。

 ひそかに連れ歩いている小さな召喚獣の姉妹、ナイとキイだ。

 粗末な寝台の上に空の器が二つ転がっている。二匹も食事を済ませたようだ。大事な預かりものであるナイとキイの元気な様子に安堵したレマは首元を緩めて寝台ベッドに腰を下ろした。

 しかし、平穏な時間は続かなかった。

 一発の銃声が空を駆ける。

 レマは機敏きびんに反応し、すぐさま眼帯を手にして右顔面を隠すと、部屋の窓から外の様子をうかがった。すると、続けて何発もの銃声がうなり、二階から見下ろす村の通りには、恐怖と緊張感とが折り重なって膨らんだ。


「魔獣が出た!」

「西の畑だ!」


 悲鳴と怒号が飛び交い、村の男たちがかまや猟銃を持って西へ走る姿が見えた。

 レマは風の精霊の名をうたい、窓から飛び降りた。風がレマの体を包み込む。疾風しっぷうとなったレマは、小竜たちと共に夕焼け空へと宙を舞い、やがてさわぎの渦中かちゅうを眼下にとらえた。

 そこには、十頭ほどの魔獣と、武器を手にした村の男たちとが対峙たいじしていた。


 ―― どうやって結界を越えた・・・?


 レマは魔獣に鋭い視線を向けた。

 まだ日の高いうちのこと。この地へ辿り着いたレマは、町の周囲に魔獣除けの小さな結界を張り巡らせていた。気休め程度のものだったが、簡単に侵入できるものでもない。第一、結界が破られれば気配で察知できるはずなのだ。

 戸惑いつつ、再び詠唱えいしょうしようと口を開いた時。

 奇妙な音が聞こえてきた。

 声だ。

 獣がき交わすような声が、銃声の合間に聴こえてくる。

 声を頼りに視線を走らせたレマの目にまったのは、群れの後方だった。

 一匹の魔獣に身を寄り添わせ、華奢きゃしゃな女が立っていた。

 その場に似つかわしくない薄手の衣をまとった女の口が動くたび、獣のような声が発せられる。


 ―― 魔族まぞくの・・・魔獣使まじゅうつかいか。


 もしや、あれがヤカ村を襲った犯人か。

 レマは、き交わしながら魔獣をあやつる女の足元に、淡く光るものを見つけた。


 ―― 魔法陣。


 魔獣の群れは魔法陣によってこの地に転移されたのだ。

 レマは地の精霊の名をうたうと同時に腰のレイピアを手にし、思い切り魔法陣に向かって投げつけた。

 女の頬をかすめた刃は、魔法陣の中央に突き刺さった。そこから大地がひび割れ土が盛り上がり、爆音と共に魔法陣が崩壊する。

 急襲きゅうしゅうにより退路たいろを絶たれた女は驚愕きょうがくと怒りをあらわにして視線を走らせ、上空にレマを見つけると、睨みつけ威嚇いかく咆哮ほうこうを上げた。女は言葉をあやつすべを持たない様子だった。


 ―― あの女、中等魔族ちゅうとうまぞくか。


 魔族は、現在人間が確認しているだけで高等・中等・下等の三種が存在している。高等魔族の数は限りなく少なく、圧倒的数を占めるのは中等・下等魔族だった。

 三種の違いは外見では判別しにくい。

 高等魔族は高い知性や魔力・戦闘力を持ち、その力に比例するかのように見目麗みめうるわしいという。中等魔族はそれに準ずる力を持っていながら、言葉を操る術を持っていなかった。下等魔族は、同じに言葉を持たない上に、非力な存在である。

 中等・下等魔族の上顎の形状が、緻密ちみつな発音に向かないのであろうという仮説はあった。しかし同じ種族でありながら、何故、高等魔族は言葉を巧みに操ることができるのかは不明なままだ。また、その力も未知数である。

 今ここに現れたのが高等魔族であったなら、レマひとりでは太刀打ちできなかったかも知れない。


 ―― 不幸中の幸いか。


 相手が中等魔族ならば、自分一人でも相手にできると踏んだレマは、村人と魔獣が対峙する間へと降り立った。


「皆さん、下がってください」


 村の男たちが戸惑いながらもその場から退くのを視界の隅に確認すると、レマは火の精霊の名をうたい、両手に炎を宿す。

 長引けば不利だ。

 一気にけりをつけようと火炎を繰り出したその上空で、黒く厚い雨雲がうなり始めていた。










 群れの半数以上を始末したところで雨が激しさを増した。火炎はこれ以上操れない。

 レマは接近戦に持ち込んだ。女に手傷を負わせたことで、相手は逃走へ転じた。女はすぐさま残りの二頭にレマの足止めをさせ、自分は付き従えていた一頭の背に乗り山中に逃げ込んだ。

 新たな精霊の力を得て二頭の魔獣を片付けている間に女を見失ってしまったレマは、大雨の中ナイとキイに微かな匂いを追わせた。レマ自身、精霊にうたいながら手がかりを得て、か細い糸を手繰たぐるように痕跡を辿る。

 

 一晩かけて山を越えた。

 ソキ村手前の森に差し掛かった頃、ようやく雨が止んだ。

 疲労困憊ひろうこんぱいだったが、足を止めることは出来ない。

 レマが顔に張り付く濡れた髪を掻き上げたその時、先を行っていたキイがレマのもとへと舞い戻ってきて甲高く鳴いた。

 レマは足早にキイの後に続き木々の間をぬい、草を掻き分けて進んだ。と、獣道に出た。その先でナイが忙しなく地面の匂いを嗅いでいる。

 レマがそこで見つけたのは足跡だった。

 獣の足跡に寄り添って、小さな人の足跡が転々と続いている。


「よくやった。少しお休み。」


 レマは小竜の姉妹を肩にとまらせた。ナイもキイもぐったりと首を垂れ疲れた様子を見せている。

 これ以上は自らの体力も危うい。

 ここらで片を付けたい。


 ―― コレに頼りたくはないんだが・・・、仕方がない。


 レマが苦虫を噛み潰したような顔をすると、右側の耳元で揺れる小さなピアスが、まるであざ笑うかのようにきらりと光った。

 頭を振り、前髪を払って仮面を被り直すと、レマは風の精霊にうたう。途端、少し湿った風がレマの足元で渦巻き、その体を浮き上がらせた。そのまま風に乗り、風の速さで足跡を辿った。

 辿りついた先には、大きな洞穴が口を開けていた。










 銃声が鳴った。

 巨体がズシリと洞窟の中に倒れ込む。

 目の前で魔獣の巨体が痙攣けいれんし、やがて事切れた。

 その目前に立ち、静かにうたいだしたレマの手には、銃が握られていた。

 歌声に呼応するように、洞穴の側面に生えていた苔や雫が一斉に淡い光を放ち始める。視界が明るくなると、レマはまだ温かい魔獣の死骸を乗り越え、苔と雫に照らし出された洞窟内を進んだ。

 最奥は天井が低くなっており、そこに女がうずくまっていた。

 だけをぎらぎらさせて、威嚇いかくのうなり声をあげている。

 その様は獣のようだったが、反面、恐怖に怯えて震える姿は、人間の女と左程変わらない。

 レマは手の中のモノを握り締めた。

 その時。

 


(―― 躊躇ためらうな。)



 脳裏に、男の低い声が囁いた。チリチリと眉間に痛みが走る。

 それに気を取られた、ほんの一瞬の隙だった。

 女が奇声をあげながら、レマに飛びかかる。

 瞬間、洞窟内に銃声が響き渡った。

 光の銃弾が女の眉間を貫く。華奢な体が頭から吹っ飛び、を描いて洞窟の壁に叩きつけられた。沈黙した女の体を血が染めてゆく。

 洞窟に静寂が戻り、レマの息遣いだけが空気を揺らした。

 光の銃弾は、片手に構えられるほどの小さな銃が放ったとは思えぬ程の威力だった。ただし小さいといっても、男としては小柄なレマの手には、大きく余る。

 それはいわゆる《魔法武器》と呼ばれるもので、大砲や銃に魔力を込めて弾として発射するものだった。しかし、これらは重たく大ぶりなモノが一般的で、片手で扱える代物は珍しい。しかも、レマの手にするソレは不気味な形状をしていた。太い銃身はまるで生きているかのように微かに脈打ち、全体を植物の蔦のような、はたまた体中に張り巡らされた血管のような、奇妙な管が無数に覆っている。

 レマは深く息を吐いて、手にした銃に目を落とした。レマの指は、引き金には触れていなかった。


「また、助けられた。」


 レマは刹那の記憶を思い起こして唇を噛んだ。

 

 女が襲い掛かってきた瞬間、勝手に腕が動いた。否、動かされた。

 女の爪が襲い来る瞬間、レマの指が引き金を捉えるよりも早く、弾が発射されて女の眉間を貫いた。

 それは全て、の意思だった。


 ―― ・・・これが、あの人の遺志いしか・・・。


「・・・忌々いまいましい。」


 ぼそりと口にした瞬間、手にしていた銃身が淡く光りだした。呼吸するかのように明滅めいめつしている。次いで銃身そのものが光に合わせて鼓動し始めたかと思うと、ひとつ鼓動するたびに小さく変形してゆき、やがてレマの手の内にあったはずの銃は、小さなピアスへと変貌を遂げていた。

 それを右耳にさして、レマはきびすを返した。

 振り返りはしなかった。

 レマが去ったと同時に、洞窟の苔や雫が光ることをやめる。

 冷たく暗い洞窟の中に、女のむくろだけが残された。





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