第33話 恐怖は、擦り替えられて




 村内の惨状とは打って変わり、静けさに包まれていたラデンカの丘には、御神木ごしんぼくのラデンカを頼りにした村人たちが避難してきていた。


 しかし、そのラデンカの周辺は、少し前から状況が一変し、大混乱となっていた。


 それは、意識を失った少年レグルスが、夜天から現れたことによって始まった。

 精霊の風にいだかれ、村の中心から運ばれてきた、意識のない少年は、避難していた人々の目にさらされながら、ラデンカの根元にふわりと降りたち、その太い根っこの間に横たわった。


 そんな、一見すれば神秘的な光景は、村の人々の目に、不気味で、不可解で、畏怖いふの対象としてしか映らなかった。


 それまで、ラデンカの木を囲うようにして座っていた女性、子供、老人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 村人たちがざわめきたち、レグルスに好奇の目を向ける中、一人の中年男が声を上げた。


「このガキは、化け物だ!」


 瞬間、場の空気が凍った。

 不安と恐怖に包まれた静寂の中、中年男は手に持ったくわを強く握り締め、わめくように続けた。


「俺は見た! 魔獣と一緒に村で暴れるコイツの姿を!」


 それを聞いた年若い男が、中年男に同調して声を上げる。


「俺も見た! コイツは危険だ!」

「化け物だ! あの時コイツは、とても人間とは思えない姿をしていたんだ!」


 中年男の言葉を皮切りに、避難誘導に従事した村の男たちが、次々と声を上げ出した。


「女子供は近寄るな! いつ目覚めて暴れ出すか分からないぞ!」


 悲鳴と、子供たちの叫び泣く声が空気を震わせる。

 女たちは怯える子供や老人たちを抱え、少しでも遠くへ逃げようと、丘の向こうへと散り散りになって逃げ出した。


「おい! 誰か縄を持って来い!」


 男たちはレグルスを取り囲み、無抵抗なその体を瞬く間に縛り上げる。


 そんな中、見晴らしの良い場所に立って、眼下の村の様子をうかがっていた村長のマルティンと、息子のメイウィル、エルヴィン、数人の青年が渦中に駆けつけた。

 自分たちの上空を飛び去ったレグルスの姿を追いかけてきた彼らだったが、真っ先に目に飛び込んできたのは、避難所の大混乱だった。

 殺伐さつばつとした空気の中、メイウィルとエルヴィンは息を呑み、マルティンは眉をひそめる。


「みんな! 落ち着け!」


 マルティンが声を張り上げ、村人たちを制止しようとするが、興奮する男たちの耳には入らない。

 メイウィルとエルヴィンは、逃げ惑う人々やラデンカの根元に群がる男たちの間をぬってレグルスへと駆け寄った。


「やめてくれ! どうしてこんなことを!」

「レグルス! 大丈夫か!?」


 エルヴィンが男たちに立ち塞がり、メイウィルが縛り上げられたレグルスを抱き起こす。見た目はボロボロだったが、レグルス自身には傷ひとつない。あれだけの戦闘を繰り広げて何故無傷なのかと不思議に思いながらも、メイウィルはすぐさま、レグルスの呼吸を確かめた。

 そうして感じ取ったのは、その場の雰囲気に似つかわしくない、安らかな寝息だった。安堵から思わず溜め息がこぼれる。

 しかし、この緊迫きんぱくした状況に、メイウィルはレグルスを腕に抱え込んで、取り囲む村の男たちを強くにらみ返した。


「これが、俺たちを救ってくれた恩人に対する態度か!?」

「そうだ! 村人全員が此処まで避難して来れたのは誰のお陰だと思ってる! レグルスが魔獣を食い止めていてくれたからだ!」


 メイウィルとエルヴィンの言葉に、男たちがハッと息を呑む気配がした。

 そうして男たちの半数は、手にした武器を握る手から力が抜けた。が、もう半数は違う。一旦静まった場の空気が、一瞬にして熱を盛り返した。


「恩人? ソイツがか!?」

「避難する最中、俺は見たぞ! そのガキが化け物みたいな姿になったのを!」

「そうだ! 俺の家は壊された!」

「恩人なんかじゃない、ソイツも村を破壊しやがったんだ!」


 男たちの怒気どきはらんだ声が、メイウィルとエルヴィンを攻撃する。

 息子たちへ矛先ほこさきが向いたのを見て、マルティンが「いい加減にしろ!」と凄まじい怒声どせいを上げた。

 瞬間、男たちがひるんで、場が静まった。

 しかし、それを待っていたかのようなタイミングで、誰かが呟く。


「そもそも、ソイツが魔族を村へ引き入れたんじゃないのか・・・?」


 その言葉が、静けさの中に染み渡り、乾いた土が水を吸い上げるようにして男たちの心を支配していった。


「ソイツ、ヤカ村から落ち延びて来たんだったよな・・・」

「まさか、ヤカ村も、ソイツのせいで・・・」


 心に重くのしかかった恐怖と焦燥感しょうそうかん疑心暗鬼ぎしんあんき、その全てが、レグルスへの憎悪ぞうお敵意てきいにすり替わって行く。


 ゆっくりと、レグルスへと向けられる男たちの視線。

 その眼の奥にどす黒くうごめくものを見て、メイウィルとエルヴィンは鳥肌立った。


「そんな・・・馬鹿なこと・・・」


 そう発したマルティンの言葉に、先刻までの覇気がない。

 村長の心にも、不信感が芽生え始めている。それを悟った数人が、畳み掛けるようにマルティンに声を上げた。


「だって、おかしいと思いませんか、村長! ヤカ村が襲撃されて、生き残ったのは結局このガキだけだ!」

「そうだよ! このガキが引き入れたか、そうじゃなけりゃ、魔族の標的は、このガキだったんじゃないか!?」

「だったら、このガキを魔族に引き渡そう! そうすりゃ、村と俺たちは助かるに違いない!」


 そうだ、そうだ!と、あちこちで賛同の声が上がり出す。


「待ってくれ! 落ち着け! そんなことより、今は散り散りになってしまった女、子供、老人たちを集めるのが先だ! 今、ばらばらでいるのは危ない!」


 村長のマルティンが制止の声をあげ、それに数人が同意するも、場の空気は収まらなかった。


「それなら手分けすりゃあいい!」

「そうだ! 逃げた奴らを探すもんと、ガキを成敗するもんと別れよう!」

「そうだそうだ! 俺はこのガキを成敗してやる!」

「俺もだ!」


 勝手な妄想はとめどなく膨れ上がり、その場を支配した。

 正義漢ぶった数人が、武器を手にエルヴィン、メイウィル、そしてレグルスににじり寄る。


「やめろ! レグルスは悪くない!」

「近づくな!」


 エルヴィンが立ちはだかって必死に盾となり、メイウィルはレグルスを腕に抱いてかばいながら、なんとか縄を解こうと必死に指を動かした。


「メイウィルさん、エルヴィンさん、そいつをこっちへ寄越して下さい」

「あんたらに危害を加えるつもりはない」

「それでも、そのガキを庇い立てするってんなら、話は別だ!」


「メイウィル! エルヴィン!」


 興奮した男たちがメイウィルとエルヴィンへと詰め寄る。息子たちの危機を目前に、マルティンが必死に声を上げるが、こちらも、いきり立つ男たちに取り囲まれて身動きが取れなかった。


 その場の空気が、レグルスを血祭りにあげようと、一色に煮えたぎっていた。


 刹那。


「いい加減にしとくれッッ!!!」


 甲高い声が上がり、皆が一斉に口を閉じた。

 悲鳴のようなその声は、場の空気を一瞬にして支配するほどの気迫を帯びていた。


 声の正体は、マヤだった。


 マヤは、涙でぐちゃぐちゃになった顔を、更に真っ赤にしている。

 その鬼気迫ききせまる様子のマヤの腕には、余りにも無惨な変貌へんぼうげたサーヤが、メイウィルの外套マントに包まれたまま、強く抱かれていた。


 サーヤの身に何が起こったのか、詳細は分からずとも、皆に知れ渡っている。

 そうでなくとも、マヤの背後で放心状態で膝を抱えているバジールや、気が狂ってしまったモリーとそれに寄り添って泣くベランを見れば、その悲痛さが、誰の目にも明らかだった。

 

 マヤが、凄まじい形相で歩みを進める。

 と、先刻までいきり立っていた男たちは恐れおののくように道を開けた。

 マヤはサーヤの亡骸を大事に抱えたまま、エルヴィンの横を通り、メイウィルに抱かれたレグルスへと歩み寄って膝を着いた。

 そうして、大粒の涙を流しながら、「レグルス、レグルス」と声をかけ、右手を伸ばし、冷たくなった手のひらで、頬をさすってやる。


「ああ、こんなにボロボロになって。・・・戦ってくれたんだね、サーヤのために・・・。こんなに・・・こんなに・・・一生懸命に・・・。ありがとう、ありがとう、レグルス」


 何度も何度も、レグルスの頬を撫でながら感謝を口にしたマヤは、また、耐えられないといった様子で嗚咽おえつを上げた。

 その、途方のない悲しみといつくしみの言葉を前に、先刻までの逆上した空気は、鳴りをひそめた。


 自身もその目に涙を湛えながら、エルヴィンが口を開く。


「俺たちの誰一人として、サーヤの仇を取ろうと立ち上がった奴はいない。レグルスだけだ。レグルスだけが、立ち向かっていったんだ」


 その言葉に、男たちは、皆一様に、気まずそうに視線を落とした。

 


 

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