第25話 そして蠢きだす





 


 次にレグルスが目覚めたのは夕暮れ時だった。

 起きたばかりで意識はぼんやりしていたが、先刻までの怠さが抜けているのは分かった。

 西向きの窓の、ボロ布で間に合わせに作ったカーテンが、夕日に照らされ真っ赤に燃えている。

 視線を巡らせれば、薄く開かれた扉の前に人影を見つけた。

 それは、対峙したフェリドとレマだった。足元にはリルーもいて、その尻尾がリズムを刻むように、びたん、びたん、と床板を打ち付けていた。

 

「もう一度行ってくるよ」

「ならば、私が行く。フェリドは少し休んでくれ」

「大丈夫だよ、疲れてなんかいないから」

「そんなはずないだろう。朝からずっと出ていたんだ」


 押し問答、とまではいかないようだが、何か言い合っている。

 レグルスは、内心「何の話だろう」と疑問に思いながらも、まだ起き抜けのぼんやりした思考を引きずったまま、二人のやりとりを見つめていた。


「休みながらやってたから大丈夫。散策みたいなものだよ」

「散策だって、一日中続ければ疲れる」

「も〜う、レマってば。ああ言えばこう言っちゃって!」

「それはフェリドだろう。私は心配しているんだ」


 軽くあしらおうとするフェリドに対し、レマが少しムキになる。

 フェリドはそんな彼の様子にも動じることなく小さく笑うと、その両肩に手を置いた。


「心配なんかいらないよ。体力には自信があるんだ。知ってるでしょ?」


 そのフェリドの言葉に、レマが「でも」と、言いよどんでうつむく。


「今度は早めに切り上げるから。だから、レマはレグたんお願い」

「・・・分かった」


 承諾はしたものの、納得いかないという様子のレマが「いつもお前に負ける」と小さくこぼすと、フェリドは声をあげて笑い、そして相手の眼帯越しに、その右目に唇を落とした。 


「なっ」

「行ってきます!」

 

 声を失くすレマを尻目に、フェリドは颯爽さっそうと外へ飛び出す。その後をリルーが飛び跳ねながら追い掛けて行った。

 

 フェリドとリルーが風のように去って行った後の沈黙は、耳に痛い程だった。今、レグルスの耳朶じだを慰めてくれるのは、外から微かに聞こえてくる小鳥のさえずりだ。

 レグルスは居心地の悪さを感じながら、今見た光景を頭の中で繰り返し思い返しては考えたが、目覚めたばかりの、しかも病み上がりの頭では「二人って、すごく仲が良いんだな」と結論付けるのがやっとだった。何か見てはいけないものを見てしまったような決まりの悪さは感じていたが、その正体が何なのかも、レグルスには分からない。

 今日のことをのちに思い返して、自分の浅薄せんぱくな知識と思考と、何より幼さを自覚させられ羞恥しゅうちするのだが、今のレグルスは、それも知らなかった。


 しばらくフェリドとリルーを見送っていたレマが、おもむろにこちらを振り返る。未だ寝台ベッドに伏していたレグルスは、その青い瞳と視線がかち合ってどきりとした。どうすれば良いものかと考えあぐねているうちに、レマの方が口を開いた。


「起きたか。気分はどうだ?」


 微笑みながら寝台ベッドふちに座り、左手のグローブを取ってレグルスの額に触れ、熱を確認する。


「熱は下がったな」

「うん。・・・もう、大丈夫みたい」

「気分は?」

「良い」

「なら、食事にしよう」


 「フェリドが粥を作ってくれたんだ」と微笑みながら暖炉だんろへ向かうレマに、「あ、あの」と、躊躇ちゅうちょしながら、レグルスが声をかける。

 レマが「ん?」と振り返った、次の瞬間。

 一際ひときわ強い光がカーテンの隙間から差し込んだ。山の端に沈む夕日の、今日最後のまたたき。その閃光せんこうが一瞬、レマの髪をきらめかせた。

 束の間の光景だったが、きらめく髪の深い青さと美しさに、レグルスの胸が動かされる。

 

 夜のとばりが降り、小屋の中は一瞬にして薄闇に包まれた。

 レマは「暗くなったな」と呟いて、暖炉の光を頼りに燭台しょくだいを探し始める。それを見て、レグルスはすぐさま寝台ベッドから離れ、「此処だよ」と燭台しょくだいの場所を差し示した。


「フェリドは?」


 使い古して短くなった蝋燭ろうそくを手渡しながら、レマに尋ねる。


「先刻、一度戻って来たんだが。朝から村の周辺や森の見回りに行っている。昨夜のことが気になってね」


 昨夜のこと、と聞いて、レグルスの眼裏まなうらに少女たちの悲惨な光景がよみがえった。


「・・・何か、分かった?」


 レグルスが、自分の二の腕をさすりながら聞けば、レマは黙って頷いた。


「森の中で、魔獣のものらしき痕跡こんせきを見つけた。やはり少女たちは、魔獣に襲われたのだろう。・・・どうやって難を逃れたのか」


 確かに。あのような状態で、サーヤとモリーはどうやって魔獣から逃れることが出来たのか。命が助かったことは不幸中の幸と言えるのかも知れないが、昨夜の二人の様子を目の当たりにしてしまったレグルスは、素直に喜べなかった。あの状態が「無事」であるのかと言えば、そうではないと断言する。

 自らの二の腕をさするレグルスの手に力が入る。

 それを目に留めたレマが、不意に「フェリドなんだが」と口を開いて、レグルスの注意を引いた。

 

「君が眠っている間に一度戻って来たんだが、その理由はね、料理をする為だったんだ」

「・・・料理?」


 聞き返せば、レマは「そう」と答えて、暖炉の脇で温められた鍋の蓋をとり、笑いながら振り返る。


「私が料理下手なものだから」


 そして「君を飢え死にさせたくなかったんだろう」と冗談めかして言われ、レグルスの口元が微かに緩んだ。「下手なの?」と思わず問うたレグルスに、「芋の皮剥きくらいは出来る」とレマが返す。


「それと、チーズやパンをあぶるくらいなら」


 そう付け加えてレマが笑うので、レグルスも釣られて笑っていた。

 この美しく、特別で、完璧そうに見える人にも苦手なものがあるのだと知ると、途端に親近感が湧いてくる。

 気付けば、二の腕を強く摩っていた右手から、力が抜けていた。

 

「さあ、食事をしながらフェリドを待とう」

「うん」


 レグルスは、レマに促されるまま、暖かい暖炉のまえに座った。

 ふと、二日前にもフェリドとこうして食卓を囲んだことを思い出したが、色々なことがありすぎて、もう随分と前のことのように感じる。

 膝を抱えてぼんやり暖炉の火を見つめていると、レマが暖かなわんを手渡してくれた。


「ありがとう」

「さあ、冷めないうちに」


 そう言われ、熱々の粥に息を吹きかける。

 ゆっくりさじすくって口に入れると、その優しい味が口いっぱいに広がった。

 

 こんな心穏やかでいられる時間ばかりが続けばいいのに。

 

 そう思わずにはいられない。

 幸せとは、きっとこういうことなのだろう。

 レグルスは、フェリドが作ってくれた粥を頬張りながら、彼とリルーの帰りを心待ちにしていた。

 








   ***




 墨で塗り潰したかのように真っ黒な枝葉の間から、満点の星空がこちらを覗いている。

 夜の帳が降りた頃に森へと入ったフェリドとリルーは、昼間見つけた魔獣らしき足跡を辿り、山道に入っていた。先日降った雨の名残だろう、未だにぬかるんだ場所がある。悪路あくろを避け、岩肌を選んで足を運んだ。

 足跡は、山頂の方へと向かっているようだった。


 山中を駆けて四半刻ほどたった頃、フェリドの後ろに付いていたリルーが、小さな唸り声を上げた。と同時に、フェリドも気配を感じて身を屈める。

 リルーをなだめ、身をひそめながら様子を伺うと。


「・・・ッ !!!」


 途端、フェリドの目が見開かれた。

 山頂付近と見られる、岩肌の露出したひらけた斜面。

 その傾斜けいしゃを、何十匹もの魔獣が埋め尽くしていたのだ。

 うごめくようにその場に集まった魔獣たちの中心に、巨大な魔法陣が描かれている。天高く清らかにる月とは相反する、禍々まがまがしい光を放つそれの中心円から、今も続々と、魔獣がい出してきていた。その風貌は、巨大な三本の角を持ち、牛のようなさいのような風貌で、ひづめが地面を乱暴にえぐっていた。恐らくクジャと呼ばれる魔獣だろう。

 その中心にある魔法陣のかたわらに、人影があった。

 

「あれは、」


 狼の姿をした大型魔獣ールーヴに身を委ね、魔法陣の様子を眺める一人の女。


高等こうとう魔族まぞく


 絶望にも似た感覚を抱きながら、フェリドは自分の口を付いて出た言葉を、胸中で反芻はんすうしていた。

 恐らく、自分と同じ能力を持った高等魔族だ。

 あの使役しえきする魔獣の数から見て、相当の手練てだれに違いない。

 フェリドは木の幹に背を預けながら、もう一度、そろそろと女の様子を覗き見た。

 恐らくは、ヤカ村を襲った犯人だろう。

 今は一人のようだが、他に仲間がいてもおかしくない。何より、この数ではフェリドだけでは太刀打ち出来ない。

 

 しかし、これが人里離れた山奥であったのは不幸中の幸だ。

 この数を連れて山中を行軍ぐんこうするとなれば、村へ出るまでに相当な時間がかかる。もし、ソキや山向こうのカーラを襲撃しようという思惑ならば、何故このような場所で魔獣の大群を召喚しているのか謎だった。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。フェリドは一旦この場を離れ、レマに知らせを出そうと、息を殺したままゆっくりと後ずさった。

 しかし、それは叶わなかった。


「ギャイン!」


 背後でリルーの甲高い悲鳴が上がる。

 振り返ったフェリドの目に映ったのは、ダンテほどもありそうなルーヴに、軽々と首根っこを咥え上げられたリルーの姿だった。


「リルー!!!」


 リルーを咥えたルーヴはフェリドの上を高く飛び越えると、そのまま自分よりも更に大きなクジャの群れの中を駆け抜け、あっという間に女の元に辿り着く。

 女は、自分の魔獣が連れてきた小さなリルーを見ると、その頬を二、三度指先で撫でてから、こちらへ視線を投げた。

 鋭い眼光が、フェリドの視線とかち合う。


「マジかぁ。 ・・・やるしかないよな・・・」


 息を吐き出すように呟く。

 一呼吸ひとこきゅう置いて、フェリドは女から視線を逸らさないまま腰に下げていたナイフを抜くと、矢庭やにわに自らの左腕をさばいて叫んだ。


『我が血をしるべに、来たれ!

 ダンテ! アズール! ヘルムート! ギリアン!』


 山肌をも震わせる轟音ごうおんが鳴り響き、フェリドの作った血溜まりからダンテを先頭に、地獄の使者のような幻獣げんじゅう三頭が姿を現す。

 白鹿はくろくのアズール、神鳥シームルグのヘルムート、竜人ズメウのギリアン。幻獣たちは、巨大な体躯たいくを震わせて咆哮ほうこうを上げた。

 それを見た高等魔族は、薄気味悪くにやりと笑う。


 途端、激戦の火蓋ひぶたが切って落とされた。







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