第26話 真実という名の悪夢




 ぱんっ!と、まきぜる音に、現実へと呼び覚まされる。暖炉の前で一人、膝を抱えてうとうとしていたレグルスは、周囲を見渡し「ああ、そうか」と、小さく呟いた。


 夕食を済ませると、レマは出掛けて行った。

 傷ついたラデンカの様子を見た後、村の周囲に結界を張ってくるのだと言っていた。「用心に越したことはない」、と。


「結界を張るのに少し時間がかかるから、レグルスは休んでいてくれ。

 フェリドの帰りの方が先かも知れないな」


 そう言い残していたが、未だフェリドもレマも帰っていない。

 自分はどのくらい眠ってしまったのだろうか。束の間なのか、それとも数時間眠りこけていたのか、見当もつかなかった。


 外の様子を見に行こうと、ゆっくりと立ち上がる。

 扉を開けると、さっと夜風がレグルスの頬と赤い髪をなぶった。その冷たさに眠気が一瞬にして去ってゆく。月は既に沈み、星が冴え冴えと瞬いていた。

 そこだけ暗闇で塗り潰したかのように見えるラデンカ巨木。その根元に人の気配はなく、ぽつんと、トウマの墓標ぼひょうたたずんでいるだけだった。

 レグルスは吸い寄せられるように墓へ足を向けていたが、途中でハッと我に返り、立ち止まる。一瞬の葛藤の後、素直に歩みを進めたレグルスは、トウマの墓前に膝を付いて手を合わせた。

 そうしていると、トウマの死を受け入れ始めている自分に気付く。

 そんな自分が、嫌ではなかった。

 しばらくして立ち上がったレグルスは、トウマの墓標を優しく撫でてから、その場を後にした。


 散歩でもするようなゆっくりした歩みで、村への道を下って行く。

 レマの姿を探しながら歩いていると、いつの間にか村外れの牛飼いの家にまで辿り着いていた。ここを右へ行くべきか、左に行くべきか、と考えあぐねたレグルスは、結局どちらへも行かず、そのまま真っ直ぐ歩き出した。

 時刻は、夜五つか、五つ半、といったところだろうか。

 当然、外に村人の姿はない。

 どの家も鎧戸よろいどをきっちり閉めていたが、隙間から灯りが漏れ出ていた。

 牛飼いの家も同じだったが、中から微かに和気藹々わきあいあいとした笑い声が聞こえてくる。 

 それを耳にした時、レグルスの脳裏に蘇ったのは、サーヤの笑顔だった。

 そう。いつだって、レグルスの中のサーヤは笑顔だった。天真爛漫に笑う彼女こそがサーヤだ。

 だからこそ、昨夜のあの様子が、ずっと、胸の奥にしこりの様に残っている。


 レグルスは、サーヤの家への道順を辿っていた。

 こんな時間なのだから、会えなくて当然だ。

 それでも、向かわずにはいられなかった。

 顔なんか見られなくても良い。鎧戸よろいどの隙間から、家の灯りと一緒にサーヤの笑い声が聞けたなら。

 そんな思いに駆られていた。


 冷たい夜の空気の中、星明かりを頼りに路地を進んで行く。

 メイン通りに出て少し歩けば、サーヤの両親が営む薬屋だ。

 しばらくすると薬屋が見えてきた。店舗の明かりが付いている。

 バジールがまだ仕事をしているのだろうか、と思っていると、店の扉が開いて、誰かが飛び出してきた。バジールだ。慌てた様子でこちらへ走ってきた。


「バジールさん・・・?」

「レグルス!?」


 レグルスの目前で、つんのめるようにして止まったバジールは、追い詰められたような顔をしていた。焦燥からか、息苦しそうに肩を上下させている。


「す、すまない。サーヤかと思って」

 

 やっと絞り出した、という感じのバジールの言葉に、レグルスの胸がどくん、どくん、と不安に駆られた鼓動を打ち鳴らし始める。「何があったんですか?」と聞けば、バジールが息席切いきせききって叫ぶように言った。


「サーヤがいなくなってしまったんだ!!」







   ***


 


 レグルスは村中を走り回っていた。

 駆けながら、サーヤの姿を探して目を凝らす。吐く息の白ささえもが鬱陶うっとうしい。

 バジールから聞いた話では、昨晩、レグルスと別れた後も、サーヤの様子は変わらなかったという。無感情なまま表情も変えず、一言も喋らず、食事を勧めても口にしない。湯浴みと着替えをこばみ、それ以外は、ただ窓辺に立って外を見るているか、椅子に座っているかのどちらかだという。しかも、夜は寝台ベッドに横になることすらしなかったそうだ。

 そんなサーヤに付きっきりだったバジールとマヤだったが、疲れが出たのか、夕刻から二人揃ってうとうとと居眠りをしてしまい、気付いたら娘の姿がなかった、ということだ。

 あんな状態で何処へ行ってしまったのかと、マヤは取り乱してしまい、とてもサーヤを探しに外へ出れる状態ではない。そんな妻を家で待たせて一人飛び出して来たというバジールに、レグルスはすぐさま、サーヤの捜索を買って出た。


 レグルスの知る限り、裏路地や民家の物陰まで見回った。しかし、サーヤの姿は愚か、その痕跡さえ掴めない。

 こんな時、レマかフェリドがいてくれたら、きっと力になってくれたのだろう。

 そう思ったレグルスは、自らの不甲斐なさに唇を噛みつつも、二人に助けを求めようときびすを返した。念の為、もう一度周囲を確認しながらメイン通りに出ると、広場の方へ走り出す。

 と、その時。視界の隅に、淡い光が映った。

 すぐさま立ち止まって見返せば、広場の奥にある銀杏並木いちょうなみきの向こうに、紫色の微かな明かりが灯っている。

 今まで見たことのない、異様な光だった。レグルスは、その正体を確かめようと、息を潜めながらゆっくり歩み寄って行こうとした。

 が、その時。不意に右腕を掴まれレグルスは息を飲んだ。

 弾かれるように振り返ると、レグルスは更に驚愕した。腕を掴んでいたのはモリーだったのだ。

 動揺するレグルスに対し、モリーは彼の腕を強く抱きしめたまま、必死の形相でイヤイヤと首を振る。昨晩に比べれば正気を取り戻しているように見えるモリーが、その顔は青ざめ、目の焦点は合わず、わなわなと震える唇からは掠れた音しか出てこない。

 それは、酷く何かに怯えているように見えた。


「どうしたの?」


 何故、モリーが此処にいるのか。何故、レグルスを引き留めるのか。

 それを知りたくて発した言葉だったが、モリーは上手く喋れないらしく、「あぁ」だの「うぅ」だのと言いながら首を振り、レグルスを腕を何度も何度も引き寄せる仕草をする。

 自分を引き留めようとしているのだろうことは、レグルスにも分かった。


「行ってはいけない?」


 レグルスがそう呟くと、モリーの視線が一瞬レグルスと合い、ガクガクと頭を振りかぶって頷いた。


「・・・でも、」


 あの光の正体を確認しなくては。そう思ってモリーの手を退けようとした時、銀杏並木いちょうなみきの向こう、紫色の光の根源らしき場所から、ガサガサと物音がした。

 レグルスが顔を上げた途端、モリーが甲高い悲鳴を上げてしがみついてくる。

 だが、そんなモリーの反応とは対極に、レグルスは安堵していた。

 銀杏いちょうの木の影から姿を現したのは、サーヤだったのだ。


「サーヤ、良かった」


 レグルスはサーヤの元へ駆け寄りたかったが、モリーに遮られて出来なかった。モリーはレグルスにすがりついたまま、可哀想なくらいに震えていた。「サーヤだから大丈夫だよ」と声をかけても様子は変わらず、サーヤがこちらへ一歩踏み出すと、また悲鳴をあげ、腰から砕けるように地面にうずくまってしまう始末だった。

 これにはレグルスも驚きを隠しきれなかった。

 一体、何がモリーをこれ程までに怯えさせているのか。

 あの紫色の得体の知れない光か、それとも、


「・・・サーヤ・・・?」


 そう口にした瞬間、ゆっくりとこちらへ近づいて来ていたサーヤの歩みが早くなり、やがて信じられない速さでレグルスの目前にまで迫り、右手を振り被る。


「・・・っ」


 ナイフを振るうように繰り出されたサーヤの右手をすんでのところでかわしたレグルスだったが、瞬間、自分の鼻先が切れ、鋭い痛みが走った。少量の血が飛び散ったのを視界の隅に見ながら、すぐさまモリーを抱きかかえてサーヤから距離を取る。彼女の射程しゃていから逃れると、震えるモリーを背中にかばいながら、サーヤに対峙たいじした。


「サーヤ・・・じゃ、ない?」


 見た目は確かにサーヤだ。だが、その身のこなしや、鋭く伸びた爪が、サーヤでないことを物語っている。

 折角サーヤを見つけ出したと思った安堵も束の間、レグルスの胸は、張り裂かれんばかりの鼓動にさいなまれ、不安を募らせた。

 しかし、その時。


「サーヤ!!!」


 その場の張り詰めた空気を破るような声が、レグルスの背後に上がった。

 振り返ると、サーヤの母親、マヤの姿があった。

 いつ来たのか、彼女はサーヤの姿を見つけ、足をもつれさせながらこちらへと走ってくる。


「ま、待って!」


 レグルスは、そのまま自分の横を通り過ぎようとするマヤをさえぎり、その体を必死になって止めた。いくら女性といえど、未だ体の出来ていないレグルスが大柄なマヤを引き留めるのは厳しい。


「レグルス! 離しとくれっ」

「マヤさん・・・っ、待って!!」


 そうして、レグルスとマヤが揉み合いになった途端だった。


「きゃははははっ」


 甲高い、耳障りな笑い声が冷たい空気を震わせ、二人の動きを止める。

 レグルスは背筋に悪寒が走るのを感じながら振り返り、ゆっくり視線を上げた。その笑い声をあげていたのはサーヤだった。


「さ、サーヤ・・・?」


 マヤも異変に気付き、娘の名を呼んだが、その腕が鳥肌立っていることにレグルスは気付いた。同時に、自分の両腕も同じように粟立っているのを見て、レグルスの息が詰まる。

 その間も、サーヤは高笑いを続けていた。

 彼女は笑ったまま、おもむろに首の後ろへ手を回す。と、不意にグチャリ、という気色悪い音が響いた。次いで、サーヤの首から頬、鎖骨から肩にかけて、奇妙な皺が走る。 

 

 次の瞬間。

 マヤの悲痛な叫び声が、夜天やてんつんざいた。

 それを目の当たりにしてしまったレグルスも、全身が麻痺し、声も出ない。

 

 まるで、さなぎが殻を破って出てくるように、サーヤの体が背中から割れ、その中から色白に短髪の女が出て来たのだった。

 服を脱ぐようにして押し下げられた皮を、女が足先に引っ掛けてサッと投げ捨てる。


「・・・あ、いつ・・・ッ」


 −−− サーヤの皮を被ってやがった・・・ッッ!!!


 レグルスの粟立っていた全身の皮膚がびりびりと痺れ出し、言葉にならない怒りが湧き上がってくる。

 

 いつの間に来ていたのか、倒れ込むモリーとマヤを村長のマルティンとバジールが支え、四人を庇うようにメイウィルとエルヴィンがレグルスの両隣に並び立ち、女に対峙たいじした。

 しかし、周囲のことなど、レグルスには見えていなかった。

 レグルスに見えていたのは、小気味悪い笑みを浮かべる女と、その白い肌にこびりついた血痕、そして、足元に捨てられたサーヤの皮だけだった。

 頭の芯が沸騰するような感覚と、天高く突き刺さるような激しい耳鳴りがレグルスを襲う。


「・・・殺してやる・・・っ」


 そう口にした瞬間、レグルスの視界が真っ赤に染まった。



 


 

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