第11話 仲 間



 まとわりつくるような闇の底にあった意識が、ゆっくりと浮上ふじょうしていく。

 レグルスは、静かに呼吸を始めた。

 まぶたの裏には、温かな灯火ともしびがひとつ、優しく瞬いている。

 そのが、冷たい闇の底にあった己のたましいをすくい上げてくれたのだと、レグルスは感じ取っていた。


 ―― ・・・ああ、温かい・・・。


 灯火が、冷たくなっていたレグルスの体を温めていく。

 しんぞうがぬくもりに包まれた瞬間、薄闇にあった意識が一気に引き上げられ、目もくらむような閃光せんこうの中に投げ出された。






  ***




 レグルスは、ハッとまぶたを開いた。

 視界に映り込んでくるのは、真っ青な空と、頭上からの柔らかな光。

 上手く状況が呑み込めず、探るようにゆっくり視線を巡らせると、れた蒼い髪を肩に流し、右顔面を覆うような大きな仮面をした人物が、横たわったレグルスのかたわらに膝をついていた。

 その人物はまぶたを閉じ、右手をレグルスの頭上へと差し述べ、指先で額に触れている。

 ひたいに当てられた指先は温かく、柔らな光を放っていた。

 先刻せんこく、闇の中から自分を救ってくれた、あの光だ。

 やがて光はゆっくりと終息しゅうそくし、温かかった指先がひたいから離された。

 傍らの人物の長い睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が開かれる。

 驚く程澄んだ碧眼へきがんが、レグルスの視線と交わった。

 白い肌。蒼い髪と瞳。

 レグルスは、泉の中に見た背中を思い出した。


「っあ、」


 ―― ・・・蒼い鳥・・・!?


 心臓が大きくね、レグルスは反射的に上体を起こした。

 すると、ズキンと左側頭部ひだりそくとうぶに痛みが走る。

 瞬間、自分へと向けられた銃口が脳裏に蘇った。

 

 ―― ・・・そうだ、黒尽くろづくめの男が銃になって・・・。


 レグルスは、恐る恐る傍らの人物に目をやった。

 その人は蒼いれ髪をそのままに、レグルスの様子を見守っていた。

 間違いない。それは泉で泳いでいた《蒼い鳥》だった。

 《蒼い鳥》の唇が開かれる。


「痛むか?」


 美しい声音こわね耳朶じだを撫でると、撃たれた時の記憶が鮮明によみがえってきた。

 あの時、「やめろ、撃つな!」と叫んだのは、確かにこの声だった。

 レグルスは、濡れ髪の《蒼い鳥》をまじまじと見つめた。

 蒼い光沢を放った髪が艶々つやつやときらめき、色白の美貌を引き立てている。その優し気な蒼い瞳で見つめられて、レグルスの緊張の糸がゆるんだ。

 途端、急に気恥ずかしくなってきた。

 

 ―― ・・・《蒼い鳥》・・・じゃ、なかったのか・・・。


 目の前の人物は確かに美しい。しかし、どう見ても人間だった。

 紅の衣装に身を包み、大きな仮面で顔の右半分を覆っている様子は、ただの旅人には見えない。しかし、悲劇を好む残酷な女神のようにも、到底見えなかった。

 レグルスは頭をかきながら目を逸らし、周囲へと視線を巡らせた。

 この人を《蒼い鳥》だと思い込み、取り乱した自分を恥じる半面、まだ警戒を解くことは出来なかった。あの黒尽くろづくめの男が銃に変化し、こちらへと銃口を向けた光景が脳裏に焼き付いているからだ。


「・・・あの男は・・・?」

「男?」

「・・・俺を撃った、黒尽くろづくめの・・・。」


 その問いかけに、相手の表情が曇る。

 その人は、少し眉根を寄せながら、心配そうにレグルスの赤い瞳を覗き込んだ。


「君を撃ったのは私だ。すまなかった。」

「・・・え?」


 レグルスは愕然とした。

 ならば、先程さきほどの光景は一体何だったのだろうか。黒尽くろづくめの男が、この人をかばって銃に変化し、この人の意思に反して発砲したではないか。

 と、そこまで考えて、レグルスはハッとした。


 ―― ・・・人が銃に変化するなんて、有り得るのか・・・?


 レグルスは、自分の記憶に自信が持てなくなってきた。

 周囲を見回しても、あの男の姿は何処にもない。

 それどころか、あれほどの光に満ち溢れていた周囲の森も、以前レグルスが狩りに入った時と変わりない様子に戻っていた。

 レグルスは大いに戸惑った。

 ならば、先刻のアレは一体何だったのだろう。

 白昼夢でも見ていたと言うのだろうか。

 心許こころもとない心地に、自らのてのひらへと視線を落とす。自分の存在を確かめるかのように、その手を開いたり閉じたりを数回繰り返すと、そっと肩に手を置かれて、レグルスは顔を上げた。

 酷く冷たい手だ。しかしその冷たさが、自分は確かに此処にいるのだと、証明してくれているかのように思えた。


 ―― 体が冷え切ってる。

    ああ、そうだ。泉の中にいたんだものな・・・。


 そう思った瞬間、レグルスの脳裏に、水面にたたずんだしなやかな背中が甦る。途端、頬が上気した。

 胸が早鐘を打ち始め、まるで責め立てられているかのような気持ちにある。すると、まるで言い訳でもするかのように、レグルスの口からたどたどしい言葉が漏れた。

 

「・・・う、歌が聞こえて・・・」

「うん。」

「・・・歌声を頼りに、此処まで来たら・・・」

「うん。」

「・・・森が光っていて・・・」

「うん。」

「・・・泉で、蒼い鳥が水浴びを・・・。」

「・・・・・・。」


 おぼつかない記憶を整理しながら呟けば、その人は丁寧に相槌あいづちを打ってくれたが、最後の言葉には答えずに首を傾げた。


「歌を歌っていたのも、水浴びをしていたのも私だ。・・・君を撃ったのも。」

「・・・。」

「頭を打ったんだね。すまなかった。傷を見せて?」


 レグルスは、記憶の整理が上手くできずに混乱していた。

 蒼い髪の人は、指先でレグルスの赤毛をかき上げると、銃弾がかすめた左側頭部ひだりそくとうぶの傷に目をやった。


「これならすぐに治せる。じっとして。」


 ―― ・・・治せる?


 どういうことか、と疑問を口にする間もなく、その人はレグルスの左側頭部の傷に指先を当てた。

 痛みが走ってレグルスがちょっとうめいた次の瞬間、視界のすみに温かな光が生まれた。

 なんと、その人の指先が淡く光っているのだ。

 それは先程さきほど、額に感じた温かさと同じだった。

 心地良さを感じたところで光は終息しゅうそくし、傷口に触れられていた指先がそっと下ろされる。


「もう大丈夫。」


 言われて、レグルスは自らの左側頭部に手をやり、驚愕した。


 ―― ・・・傷が、ない・・・。


 指で触れてみる限り、瘡蓋かさぶたなどの傷跡らしきものもない。


 ―― ・・・まさか・・・、


「・・・治癒魔法ちゆまほう?」


 信じられない思いで問いかければ、その人は「ああ」と答えて笑った。

 王都には精鋭せいえいの魔法使いがつどっていると聞くが、地方では魔法の使い手はほとんどいなくなっている。その上、治癒魔法は希少きしょうなものだった。

 こんな小さな村の外れで、自分が治癒魔法の使い手に出会う日が来るなどと、どうして想像出来ただろう。

 レグルスが、確かめるように何度も何度も傷のあった箇所かしょを撫でているのを見て、その人は微笑んだ。

 レグルスは、その笑顔の美しさに魅せられて、ぼんやりと相手を見返した。


 ―― ・・・なんて綺麗な・・・。


 旅をしていれば、様々な人と出会う。

 しかし、これ程の美丈夫を目の当たりにしたのは初めてだった。

 今はくれないの衣を身にまとい、冷たい印象を与える鉄の仮面をつけている。それが顔の右半分をめていたが、その美貌は見劣みおとりすることなかった。容姿や仕種しぐさまでもが洗練されていて、浮世離れした美しさに釘付けになった。

 まさに女神のような出で立ちに、これならば自分が《蒼い鳥》と見違えたことも許されるだろうと、胸中自分に言い訳した、その時だった。

 何かが背後で甲高く鳴いた。

 振り返ると、小さなものが二つ、素早くこちらへと向かって飛んでくる。

 

「・・・ッ」


 それらはレグルスの目前まで迫ったところで、それぞれ左右に進路をとった。息を飲んだレグルスの赤毛をかすめ去り泉の上空を旋回せんかいすると、スピードを緩めてその人の両肩にとまった。

 それを見て、レグルスはまた驚愕させられた。

 その人の肩にとまり、蒼い濡れ髪の間から首を出したのは、淡い虹色の鱗を纏い、鳥の翼を持った《竜》だったのだ。

 鳩を一回り細くしたような、小さな小さな竜。

 露店に並ぶ絵物語でしか見たことがないようなそれを目前に、声を失っていたレグルスは、背後からせまりくる気配に気が付かなかった。


「ちょっとちょっとちょっと~っ、ナ~イ! キ~イ! 置いてかないで~!!!」


 聞き知った声が遥か背後から聞こえて、振り返ろうとした瞬間、何かがレグルスに飛びかかる。


「っ!!?」


 受け身も取れずに押し倒されたレグルスは、あらがう間もなく、生温かいものに頬を舐めまわされた。


「り、・・・リルっ・・・ぅ!?」


 そう叫ぶのがやっとだった。

 いきなり現れて顔中ベロベロと舐め回してくるリルーをなんとか押しのけたレグルスの目に、大きな岩肌を乗り越えてこちらへと駆け寄ってくるフェリドの姿が見えた。


「アレアレアレ? 二人とも、何してるの?」


 フェリドは、はしゃぐリルーをレグルスから引き離して傍らに座らせながら、レグルスと蒼い髪の人とを見比べる。


「フェリド、この子と知り合いか?」


 そう親し気にフェリドへ声を掛けたのは、なんと蒼い髪のその人だ。

 そして、フェリドもまた親し気に答えた。


「昨夜、ボクとリルーが宿ヤドナシで困っていたトコを助けてくれた子だよ。それより、どーしてレグたんとレマが一緒にいるの???」


「・・・どうして、って・・・。」    


 困惑しながら、蒼い髪の人ーレマとフェリドとを見比べるレグルス。

 レマは、そんなレグルスの困惑など知る由もなくフェリドに向き直って口を開いた。


「詳しいことは後で話すが、昨日、中等魔族の女が一人、カーラを襲撃した。」

「たった一人で?」

「魔獣使いだ。」

「ああ、魔獣使いか。・・・例の件にかかわってそだね。」

「ああ。」

「始末した?」

「・・・ああ。」

「ケガはない?」

「大丈夫だ。此処へ辿り着いたのは朝方だ。体についた泥と返り血を泉で洗い流していたんだが、気が付いたらこの子が背後に居てね。いつものように結界を張っていたんだが、どうやら結界を超えてしまったらしい。それで、その・・・驚いてしまって、咄嗟とっさに発砲してしまったんだ。」

「え!! レグたん、ダイジョブ!?」


 ・・・そういうことだったのか、と心中呟いたレグルスの肩を、フェリドがむんずと掴んで「ダイジョブ? ダイジョブ!?」と揺さぶってくる。レグルスはガンガンに揺さぶられながら「だ、大丈夫だから」と、やっとの思いでフェリドを止めた。


「き、傷、・・・治してもらったから。」

「そっか! 良かった!」


 レグルスがそう言ったところで、フェリドはようやくレグルスの両肩から手を離した。しかし、今度はレグルスが問う番である。

 レグルスはクイッとフェリドのそでを引いた。

 それだけでフェリドは察したらしく「あ、あのね」と満面の笑みを浮かべた。


「彼が、ボクがソキで待ち合わせてた仲間のレマだよ」


 フェリドの言葉に、レグルスの表情が凍り付いた。

 ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべるフェリドに対し、レグルスは恐る恐る口を開く。


「・・・今、何て?」

「仲間の、レマだよ」

「・・・彼?」

「ん? うん。彼が、ボクの仲間のレマ」

「・・・彼?」

「そう、彼・・・ん? ・・・あ! あーあー、そう言うことか!

 ハハハっ」


 豪快に笑いだしたフェリドは、レグルスが多くを語る必要なしに全てを察した。

 普段は無味なレグルスの表情に、動転どうてん悲愴ひそうの色が出ているからだ。

 それを目の前にして、フェリドは面白がってレマの肩を抱き、先刻と同じ言葉を繰り返した。


「〈彼〉が! ボクの仲間のレマです!」

「・・・っ、え゛!?」


 絶句し、自分の勘違いに赤面と蒼白を繰り返すレグルスを見て、レマは蒼い濡れ髪をかきあげて苦笑を浮かべた。その右耳にピアスが揺れる。

 レグルスを見やって腹を抱えて笑うフェリドの様子を、傍らのリルーが首を傾げて見つめていたのだった。





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