第18話 約 束

 





 風が鳴いている。

 固くなったトウマの膝に頭をのせて、ぼんやりと空を見やっていたレグルスの目に、雲の動きが速い。

 あのはるか上空を吹く風と、この髪を撫でる風は別物だろうか。

 次第に冷たさを増していく風がトウマの髪を舞い上げる。それと同時に、耳元に下がる耳飾りが揺れた。

 細身の金属が二つ連なったデザインの耳飾りは、風になぶられるたびに悲し気な音を立てた。拍子をとるように響くその音色が、レグルスの脳裏で異国の旋律せんりつと重なる。

 気付けば、その旋律せんりつがレグルスの口から吐いて出ていた。

 口ずさむレグルスをリードするのは、記憶の中のトウマの横笛だ。

 トウマとの旅の途に、幾度となく聞いた曲。

 それは、フダイの人々が好んで口にした、ラデンカを賛美した曲だった。

 トウマの故郷くにには、随所にラデンカの木がそびえ立ち、人々は鮮烈な赤い花をこよなく愛したという。

 レグルス自身は知らないはずの、トウマの故郷くに

 しかし、この旋律を聞く度、レグルスの脳裏にはある光景が広がった。

 満開のラデンカの並木と、清らかな小川のせせらぎ。赤い花吹雪の下には、ゴトン、ゴトンと粉をひく水車小屋。

 それを脳裏に思い描く度、懐かしさが胸いっぱいに広がった。

 今もそうだ。

 知りもしない望郷ぼうきょうの念が、レグルスの胸を締め付けた。


 ―― ああ、帰りたい。

    トウマと一緒に、へ。


 不意にそんな想いが頭をもたげた。

 

 、とは何か。 

 、とは何処か。

 帰る場所などないから旅を続けていたはずなのに。


 言葉にならない戸惑いが、胸をしびれさせる。

 空想でしかない光景が、いつしかレグルスの中で、にでもなっていたのだろうか。


 ―― ・・・下らない・・・、

    ・・・妄想でしかないなんて・・・。


 そう思う反面、トウマ亡き今、それさえもが大切な思い出の欠片かけらに思えた。 

 ゆっくりと上体を起こしたレグルスの目前で、トウマの耳飾りが一際高い音を立てる。途端、殴りつけるような風が吹いて、レグルスの赤い髪を手荒く舞い上げた。

 その風は、まるでトウマの手のように、レグルスの頭をガシガシと撫でまわした。 


『もう泣くな』


 そう、言われているような気がした。


「・・・っ」


 レグルスはスッと息を吸い込む。

 次いで、背筋を伸ばして空を仰いだ。

 自らの耳へと伸ばした指先が、長く付けたままになっていた粗末な耳飾りを外し、風の中へと放り投げる。今までの弱い自分を捨て去るように、耳飾りは風の中に消えていった。

 トウマの耳元では、彼の耳飾りがその時を待つように激しく揺れて鳴いている。

 レグルスはそれを黙らせ、ゆっくりとトウマの耳から外し、自らの耳朶みみたぶへと付けた。

 風が駆けると同時に、耳元で高く、耳飾りが笑う。


「・・・必ず、連れて帰るから・・・。」


 強い想いと共に、トウマへと捧げた言葉。

 レグルスの瞳が、傾きだした夕日に光る。


「・・・いつか、必ず・・・。」

 

 確かめるように口にしたそのつぶやきが、冷たい風に乗って、乾いたトウマの耳朶みみたぶかすめて行くのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る