第19話 アウトサイダー
ガタガタガタと、小屋の薄い扉が揺さぶられている。
「風が出てきたな。」と、限られた視界の中で、男は周囲を
汚れで
夕暮れの風はいつまでも小屋を揺らし、扉や窓枠がカタカタ文句を言っている。それに重ねて、ザッザッという土の鳴き声が、微かに男の鼓膜を揺らしていた。
否、揺れる鼓膜など、男は持ち合わせていない。
今この時、男はただの石ころでしかないのだから。
―― 今なら、まぁ問題ないだろう。
赤い石が色を変え、形状をも変化させる。それは黒い帯状の影となって、手足を伸ばす様に耳元から飛び出し、床の上へと着地した。
影の帯は
そこに姿を現したのは、黒づくめの大男だった。しかし、これも彼にとっては
彼がこの姿となるのは、泉でレマの背後に忍び寄った
夜の闇に包まれる小屋の中に溶け込む男の姿は
「ピアスの姿じゃ、どうにも息苦しくってな。」
男はわざとらしく言い、大きく肩を回す。
泉での出来事から、
レマが眠っている今、
「ったく。・・・それにしてもコイツは。」
自らへのぼやきは、やがてそこに眠るレマへのものとなった。
男は
「無茶しやがって。」
吐き捨てるように言った男の表情が、苦々しく
耳飾りとして傍にいるのと、こうして傷ついた当人を目の当たりにするのでは、湧き出る感情も想いもまるで違う。
腹の底は煮えくりかえっていたが、それを表に出す程、男は愚かではなかった。しかし、黙って見ていられる程、大人でもない。
―― ・・・あの
自身の中で煮えたぎっていたものが静かな炎へと転じる。男はそれを誤魔化すように、レマの頬に当てていた指先を離し、今度は髪を撫でつけた。
こうして触れるのは何年振りだろうか、と青い光沢をもつレマの髪に長い指を滑り込ませて
「何だ、起きてたのか。」
男は払われた手をひらひらと振りながら、レマを見下ろして
「・・・
「はいはい、そりゃ悪かったな。」
男が
「痛むか。」
「うるさい。」
レマは、再び手を伸べようとする男を
レマは表情一つ変えず、小屋の板壁を見つめたまま口を開いた。
「ピアスに戻れ、アウトサイダー。」
アウトサイダーと呼ばれた途端、「おいおい」と男が苦笑いを浮かべる。
「口の悪い奴だな。俺がアウトサイダー《部外者》なら、お前はレマインダー《取り残された子》じゃねーか。レマって呼んでやってんだから、俺の名前もちゃんと呼べ。ったく、
しかし、レマは薄い板壁を見つめるばかりで、男の言葉を聞き入れるそぶりも見せない。
「見られたらどうする。早くピアスに戻れ。」
「あいつらなら
―― ・・・
「
アウトサイダーも、レマの
同情の余地はある。しかし、それとレマを傷つけたこととは別問題だ。
「何で止めた。」
そう投げかけるアウトサイダーの声音は低かった。
彼は二度、少年を手にかけようとした。
一度目は泉で。
二度目は先刻、ラデンカの木の下でだ。
しかし、そのどちらも止められた。
レマの制止を無視は出来ない。しかし、自らを犠牲にしてまで少年を庇ったレマの姿に、アウトサイダーは納得がいかなかった。
何故、あの少年を庇うのか。その理由を問いたださなければ気が済まない。
「何かあるんだろ。」
アウトサイダーは言葉を重ねた。
しかし、レマは答えない。
「おい、レマ。・・・レマインダー。」
アウトサイダーの
こうなってしまうとレマの口が貝になることを、アウトサイダーは
しかし、ここで引き下がれる程、アウトサイダーの怒りは小さくはない。
二度も制止された。
それは、レマの身が二度も危険に
しかも、こんな短い期間に、一人の少年によって。
確かに、泉での出来事は命に関わることではなかった。
しかし、それは結果論に過ぎない。
悪意がなかったから良かったものの、あの少年は、泉の周辺に張られていた結界を超え、無防備なレマの背後をとった。
もしも、あの少年が敵であったなら。
そう思うと肝が冷える。
―― ・・・
あの時、
完全に油断していた。結界を超えられる者などいないと、高を括っていたのだ。
その為、初動が遅れた。
レマから離れるべきではなかった。
一瞬でも、レマを危険に
それなのに、半刻もたたずにあの
―― あんなガキ、さっさと
そうすれば、二度目の事件は起きなかった。
ほとほと自分の甘さに嫌気がさす。
「あのガキ、何なんだよ。」
赤毛に色黒の少年、レグルス。
レマが気を失った後のことも、アウトサイダーはしっかりと見届けていた。
少年は凶暴化しただけでなく、その姿までもを変えた。竜の翼を羽ばたかせ、
あれでは、まるで化け物だ。
それに。
「あの死人とも、何かあるんだろ?」
森を抜けて丘を訪れ、ラデンカの大木を目にした時、レマの様子がおかしくなった。
目的であるはずの小屋へは向かわず、ラデンカの元へ足を向け、「好い気味」だの「感謝します」だの、大木の根元に向かって独り言を口にする姿を見て、「いかれちまったか?」と
今でこそ、レマがトウマの
「好い気味」なんて、
ならば、レマとあの死人との間に何かあったであろうことが、
「
そう問い掛けるアウトサイダーの脳裏には、出会った頃の幼いレマの姿が思い浮かんでいた。
無口な子供だった。
素直だが、
あの頃に比べると格段に大きくなった背中。しかし、アウトサイダーは「変わんねぇな」と
長い付き合いだ。どうすれば岩戸が開くか、知らないわけではない。
アウトサイダーは
「あんなん化け
瞬間、アウトサイダーは飛んできた薬瓶を眼前で受け止めた。
「化け物」と口にした途端レマが起き上がり、手近にあった物を投げつけたのである。「おいおい」と冷や汗をかきながらレマを見やれば、腹部の痛みに無言で耐えながら
やはり、少年の悪口は禁句のようだ。アウトサイダーのあては確かだった。しかし、物が飛んでくるのは予想外だ。
感情的になるレマの姿を見て、あの少年がレマにとって特別であることが明確となった。
――
これ以上聞き出すのは無理だろう。問い詰めたとして、口を割るまでに、傷付いた身体で何をしでかすか分からない。
「今度、あのガキがお前を傷つけるような真似しやがったら、俺は
多少の
アウトサイダーは、わざと低い声を出して言い放った。返事は期待していなかった。しかし、レマは
「あの子に手を出してみろ。今度こそ、お前を許さない。」
顔も上げずに放たれた言葉はくぐもっている。
―― どんな
自らの大人げなさを自覚しながらも、アウトサイダーは低い声音のまま、尚も言葉を重ねた。
「今度こそって、お前は今だって俺のこと許しちゃいないだろう。
俺は、お前を守る為なら何でもするぞ。それが、アイツの遺志だからな・・・って! だから、あぶねぇっ!!」
またも飛んできた薬瓶を、今度は顔の真横で受け止める。
顔を上げたレマが、
「お前なんて、ゼロの形見じゃなかったら、さっさと壊して捨ててやったのに。」
冷静を装って言っているが、アウトサイダーにはレマの胸の内の激情が手に取るように分かった。
アウトサイダーの負けだった。
レマの体を
「ほら、もういいから。もう少し眠ってろ。」
アウトサイダーが口にした瞬間、レマの意識が一瞬にして
レマが幼い頃も、こうして強引に寝かしつけたことがあった。
アウトサイダーはレマを
無防備な寝顔を見やるその鼓膜には、もう土を掘る音は響いてこない。
――・・・あのガキ、許さねぇ・・・。
薄闇の中に、アウトサイダーの眼光だけがギラギラと瞬いていた。
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