第19話 アウトサイダー






 ガタガタガタと、小屋の薄い扉が揺さぶられている。

 「風が出てきたな。」と、限られた視界の中で、男は周囲をうかがった。

 汚れでくもった窓硝子まどがらすが、夕日に染めあげられている。対して、小屋の中には、早くも夜のとばりが下りていた。そんな小屋の中では、小さくなって心もとない暖炉だんろの火でも、頼もしく思える。

 夕暮れの風はいつまでも小屋を揺らし、扉や窓枠がカタカタ文句を言っている。それに重ねて、ザッザッという土の鳴き声が、微かに男の鼓膜を揺らしていた。

 否、揺れる鼓膜など、男は持ち合わせていない。

 今この時、男はただの石ころでしかないのだから。

 

 ―― 今なら、まぁ問題ないだろう。


 寝台ベッドに横になったレマの耳元で所在しょざいなく揺れていた耳飾りのは、その仮初かりそめの姿を解いた。

 赤い石が色を変え、形状をも変化させる。それは黒い帯状の影となって、手足を伸ばす様に耳元から飛び出し、床の上へと着地した。

 影の帯はうずを巻いて宙を舞い、やがて寝台の傍らに螺旋らせんを描くと、人の形を成して動きを止めた。

 そこに姿を現したのは、黒づくめの大男だった。しかし、これも彼にとっては仮初かりそめでしかない。

 彼がこの姿となるのは、泉でレマの背後に忍び寄った不埒ふらちな少年を始末しようとした時以来である。

 夜の闇に包まれる小屋の中に溶け込む男の姿は不気味ぶきみなものだったが、今それを見咎みとがめる者は、この場にいなかった。


「ピアスの姿じゃ、どうにも息苦しくってな。」


 男はわざとらしく言い、大きく肩を回す。

 泉での出来事から、然程さほど時間も経っていない。肩などりようもないのだが、この姿となるには何かしら理由が必要だった。

 レマが眠っている今、とがめる者などいない。それでも言い訳するおのれ滑稽こっけいさに、彼は小さく自嘲じちょうした。


「ったく。・・・それにしてもコイツは。」


 自らへのぼやきは、やがてそこに眠るレマへのものとなった。

 男は寝台ベッドかたわらに片膝かたひざをつくと、レマの白い頬を指先ででた。


「無茶しやがって。」


 吐き捨てるように言った男の表情が、苦々しくゆがむ。

 脳裏のうりには、レマが少年から受けた攻撃がつぶさに蘇り、その眼が薄闇の中で激しさを宿した。

 耳飾りとして傍にいるのと、こうして傷ついた当人を目の当たりにするのでは、湧き出る感情も想いもまるで違う。

 腹の底は煮えくりかえっていたが、それを表に出す程、男は愚かではなかった。しかし、黙って見ていられる程、大人でもない。

 

 ―― ・・・あのくそガキ・・・。


 自身の中で煮えたぎっていたものが静かな炎へと転じる。男はそれを誤魔化すように、レマの頬に当てていた指先を離し、今度は髪を撫でつけた。

 こうして触れるのは何年振りだろうか、と青い光沢をもつレマの髪に長い指を滑り込ませてく。と、不意にその手が振り払われた。


「何だ、起きてたのか。」


 男は払われた手をひらひらと振りながら、レマを見下ろして悪戯いたずらっぽく笑った。対してレマは、軽く上体を起こし、いどみかかるような勢いで相手を見据えている。


「・・・気色きしょくわるい。」

「はいはい、そりゃ悪かったな。」


 男が飄々ひょうひょうと返すと、レマは一瞥いちべつをくれて背を向けた。しかし、そんなちょっとの動作も腹に響くらしく、小さくうめいて寝台ベッドに突っ伏す。


「痛むか。」

「うるさい。」


 レマは、再び手を伸べようとする男を一蹴いっしゅうし、背を向けたまま寝台に寝直す。それを見て、男は「思ったより元気そうで何よりだ」と笑った。

 レマは表情一つ変えず、小屋の板壁を見つめたまま口を開いた。


「ピアスに戻れ、アウトサイダー。」


 アウトサイダーと呼ばれた途端、「おいおい」と男が苦笑いを浮かべる。


「口の悪い奴だな。俺がアウトサイダー《部外者》なら、お前はレマインダー《取り残された子》じゃねーか。レマって呼んでやってんだから、俺の名前もちゃんと呼べ。ったく、の躾がなってねぇな、ホントに。いつまでもアイツの真似してんじゃねぇよ。」


 しかし、レマは薄い板壁を見つめるばかりで、男の言葉を聞き入れるそぶりも見せない。


「見られたらどうする。早くピアスに戻れ。」


 かたくななレマに、とうとう男ーアウトサイダーも折れた。「んなヘマはしねぇよ」と軽く返し、冷たい床板に座り込む。


「あいつらなら墓穴はかあな掘ってるから大丈夫だ。」


 薄暮はくぼの窓へと視線をやれば、今度こそ、アウトサイダーの鼓膜こまくが、ザッザッという土を掘り返す音を捉える。


 ―― ・・・埋葬まいそうか・・・。


 「あわれなもんだ」と、き上がった言葉は口にしなかった。


 アウトサイダーも、レマのかたわらから、少年の身に降りかかった悲劇は目にしていた。

 同情の余地はある。しかし、それとレマを傷つけたこととは別問題だ。


「何で止めた。」


 そう投げかけるアウトサイダーの声音は低かった。


 彼は二度、少年を手にかけようとした。

 一度目は泉で。

 二度目は先刻、ラデンカの木の下でだ。

 しかし、そのどちらも止められた。

 レマの制止を無視は出来ない。しかし、自らを犠牲にしてまで少年を庇ったレマの姿に、アウトサイダーは納得がいかなかった。

 何故、あの少年を庇うのか。その理由を問いたださなければ気が済まない。


「何かあるんだろ。」


 アウトサイダーは言葉を重ねた。

 しかし、レマは答えない。


「おい、レマ。・・・レマインダー。」


 アウトサイダーの気迫きはく悪態あくたいも何処吹く風で、レマはまぶたを閉じている。

 こうなってしまうとレマの口が貝になることを、アウトサイダーは重々じゅうじゅう承知しょうちしていた。幼い頃から、レマのつぐんでしまった口を割らせるのは一苦労だったのだ。

 しかし、ここで引き下がれる程、アウトサイダーの怒りは小さくはない。

 

 二度も制止された。


 それは、レマの身が二度も危険にさらされたということだ。

 しかも、こんな短い期間に、一人の少年によって。

 確かに、泉での出来事は命に関わることではなかった。

 しかし、それは結果論に過ぎない。

 悪意がなかったから良かったものの、あの少年は、泉の周辺に張られていた結界を超え、無防備なレマの背後をとった。

 もしも、あの少年が敵であったなら。

 そう思うと肝が冷える。

 

 ―― ・・・迂闊うかつだった・・・。 


 あの時、本来の姿であったアウトサイダーは、脱ぎ捨てられた衣と共に水辺にいた。

 完全に油断していた。結界を超えられる者などいないと、高を括っていたのだ。

 その為、初動が遅れた。

 レマから離れるべきではなかった。

 一瞬でも、レマを危険にさらした。そんな自分が許せなかった。

 それなのに、半刻もたたずにあの暴行ぼうこうである。


 ―― あんなガキ、さっさとっちまえば良かったんだ!


 そうすれば、二度目の事件は起きなかった。

 ほとほと自分の甘さに嫌気がさす。


「あのガキ、何なんだよ。」


 赤毛に色黒の少年、レグルス。

 自我じがを失い、レマへと敵意をき出しにしたあの眼光は、尋常じんじょうではなかった。いくら体術が不得手ふえてなレマとはいえ、あの華奢きゃしゃな少年相手に一方的にやられるなど、通常ならば有り得ない。

 レマが気を失った後のことも、アウトサイダーはしっかりと見届けていた。

 少年は凶暴化しただけでなく、その姿までもを変えた。竜の翼を羽ばたかせ、つのきばを生やし、鉤爪かぎづめを繰り出した。頬には鱗が浮かび上がり、このままドラゴンへと変身してしまいそうな程の変貌へんぼうだった。

 あれでは、まるで化け物だ。

 それに。


「あの死人とも、何かあるんだろ?」


 森を抜けて丘を訪れ、ラデンカの大木を目にした時、レマの様子がおかしくなった。

 目的であるはずの小屋へは向かわず、ラデンカの元へ足を向け、「好い気味」だの「感謝します」だの、大木の根元に向かって独り言を口にする姿を見て、「いかれちまったか?」といぶかしんだのだった。

 今でこそ、レマがトウマの亡骸なきがらに語り掛けていたのだと分かるが、あの時は心底しんそこ当惑とうわくした。

 「好い気味」なんて、えん所縁ゆかりもない死者に吐き捨てる言葉とは考えにくい。それに、レマが自分アウトサイダー以外に悪態あくたいを吐く姿など見たことがなかった。

 ならば、レマとあの死人との間に何かあったであろうことが、容易よういに想像出来る。

 

俺達・・と出会う前のことか?」


 そう問い掛けるアウトサイダーの脳裏には、出会った頃の幼いレマの姿が思い浮かんでいた。

 無口な子供だった。

 素直だが、頑固がんこな面もあり、ねると貝のように口を閉ざすので、散々手を焼いたものだ。そして、自らの生い立ちについては、かたくなに口にしなかった。

 あの頃に比べると格段に大きくなった背中。しかし、アウトサイダーは「変わんねぇな」と嘆息たんそくした。笑い出したい気持ちは抑え込む。

 長い付き合いだ。どうすれば岩戸が開くか、知らないわけではない。

 アウトサイダーは奇襲きしゅうに打って出た。


「あんなん化け・・・じゃねぇか。かばってどうす・・・って、あぶね!」


 瞬間、アウトサイダーは飛んできた薬瓶を眼前で受け止めた。

 「化け物」と口にした途端レマが起き上がり、手近にあった物を投げつけたのである。「おいおい」と冷や汗をかきながらレマを見やれば、腹部の痛みに無言で耐えながら寝台ベッドの上にうずくまっていた。

 やはり、少年の悪口は禁句のようだ。アウトサイダーのあては確かだった。しかし、物が飛んでくるのは予想外だ。

 感情的になるレマの姿を見て、あの少年がレマにとって特別であることが明確となった。


 ―― しゃくだな。


 これ以上聞き出すのは無理だろう。問い詰めたとして、口を割るまでに、傷付いた身体で何をしでかすか分からない。

 患部かんぶを抱えてうずくまる姿を見下ろしながら、それでも、このままではアウトサイダーの気が治まらなかった。


「今度、あのガキがお前を傷つけるような真似しやがったら、俺は容赦ようしゃしねぇからな。」


 多少の意趣いしゅ返しならば許されるだろう。

 アウトサイダーは、わざと低い声を出して言い放った。返事は期待していなかった。しかし、レマはうずくまった態勢のまま口を開いて、アウトサイダーを驚かせた。


「あの子に手を出してみろ。今度こそ、お前を許さない。」


 顔も上げずに放たれた言葉はくぐもっている。

 

 ―― どんな表情かおして言ってんだかな。


 寝台ベッドの上にうずくまるレマと、脳裏のうりの幼いレマの姿が重なって、アウトサイダーの口元がゆるんだ。 

 自らの大人げなさを自覚しながらも、アウトサイダーは低い声音のまま、尚も言葉を重ねた。


「今度こそって、お前は今だって俺のこと許しちゃいないだろう。

 俺は、お前を守る為なら何でもするぞ。それが、アイツの遺志だからな・・・って! だから、あぶねぇっ!!」


 またも飛んできた薬瓶を、今度は顔の真横で受け止める。

 顔を上げたレマが、いどみかかるような激しい眼光でアウトサイダーをめ付けていた。


「お前なんて、ゼロの形見じゃなかったら、さっさと壊して捨ててやったのに。」


 冷静を装って言っているが、アウトサイダーにはレマの胸の内の激情が手に取るように分かった。

 アウトサイダーの負けだった。

 レマの体をおもんばかり、「はいはい。そりゃ残念だったな」と、レマの眼前に手をかざす。


「ほら、もういいから。もう少し眠ってろ。」


 アウトサイダーが口にした瞬間、レマの意識が一瞬にして遠退とおのいた。糸が切れたように崩折くずおれる体を、アウトサイダーの大きな腕が受け止める。

 レマが幼い頃も、こうして強引に寝かしつけたことがあった。

 アウトサイダーはレマを寝台ベッドに横たえると、その眼帯の位置を直し、上掛け代わりの毛皮を首元までかけてやった。

 無防備な寝顔を見やるその鼓膜には、もう土を掘る音は響いてこない。


 ――・・・あのガキ、許さねぇ・・・。


 薄闇の中に、アウトサイダーの眼光だけがギラギラと瞬いていた。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る