第20話 哀惜の色






 世界は、残酷なまでに美しかった。

 山のに沈んだばかりの夕日が、いまだに西の空を燃え上がらせている。

 頭上には控えめに月が浮かび、一足先に夜のとばりの下りた東の空では、生まれたばかりの星々が、死者の遅過ぎる葬礼そうれいあわれんでいた。

 そんな天上の様子を尻目しりめに独りたたずむラデンカが見下ろすのは、自らの根本に掘られた、深く大きい穴だった。


「そーれっ!」


 黄昏たそがれに水を差す軽快けいかいな声と共に、穴の底から木製の円匙シャベルが二本、地上へと放り出される。次いで、「よいしょ!」の掛け声と共に穴底からリルーが飛び上がり、寝っ転がる円匙シャベルのすぐ横へと軽く着地した。

 あるじに放り上げられたリルーは、自らが飛び出して来た穴を振り返って中をのぞき込む。

 それは、トウマの為に掘られた永遠の寝床ねどこだった。

 二人と一匹でった墓穴はかあなは、長身のフェリドがすっぽりと隠れるほどのもので、レグルスでは、背伸びをしても指先すら地上に届かない。


「さ、次はレグたん」


 暗い穴の中で、フェリドが汚れた手をレグルスへと差し伸べる。その腕には、先刻まで真っ白だった包帯が巻かれていたが、今は土に汚れていた。

 レグルスは躊躇ためらう様な仕草を見せたが、一度頭上に目をやり、諦めたように差し伸べられた手を取った。

 途端、フェリドが眉根を寄せた。

 黒く汚れたレグルスの手が、氷のように冷たかったからだ。

 フェリドが、思わずその手を包み込むと、微かに震えているのが分かった。


 無理もない。

 先刻、自我じがを忘れてあばれた体は満身創痍。

 大切な者の死に、心もボロボロだ。


 それでも騒動そうどうの後、レマを寝かせ、自らも傷の手当てをして小屋を出たフェリドの目に映ったのは、ラデンカのそば近くに、ひとり円匙シャベルを突き立てるレグルスの姿だった。

 その目に、涙は浮かんでいなかった。

 ただ黙々と穴を掘るレグルスを、フェリドとリルーも手伝って今にいたる。


「寒いね。今、うえにあげるから」


 言うが早いか、フェリドはレグルスの手を回してくるりと後ろを向かせると、背中から両脇に手を差し込んでひょいと持ち上げた。

 幼子のように軽々持ち上げられてしまったレグルスは、すぐさま地表に上がり、振り返って穴の中に手を差し出そうとするが、フェリドはそのときすでに、穴底から飛び上がり、墓穴の縁に手を突いて身をひるがえして、すんなりと地上へ舞い戻っていた。


「お待たせっ」


 きょをつかれたレグルスに向き直り、にこりとフェリドが笑う。

 その腕力と跳躍力ちょうやくりょくは、このひょろりとした身体からだの何処に隠されているのか。

 呆然と見返すレグルスを尻目に、フェリドは地面に脱ぎ捨ててあった自らの上着で少年の体を包み込んだ。


「はい、コレ着て」

「でも」

「ボクはだいじょぶ。カラダ動かしてたから全然寒くないんだ」

 

 そう言って笑うフェリドは、躊躇ためらうレグルスに有無うむを言わせずそでを通させ、前ボタンを上から下まできっちりと留めた。

 レグルスには、フェリドの上着はブカブカで、一番上までボタンを留められた襟元えりもとから辛うじて鼻を出している状態だ。上目遣いにこちらを見返す様子は、随分と可愛げがあってフェリドの頬をゆるませた。

 不服なのか、戸惑いなのか、あるいはそのどちらでもないのか。視線を下げたレグルスは、じっと長いそでに隠れている自らの手を見つめている。

 フェリドはその眼差しに、不意に現実に引き戻された。


「さあ、埋葬まいそうを」


 その言葉に、レグルスが顔を上げた。

 フェリドが「早くとむらってあげよう」と促し、レグルスに視線を合わせて屈むと、思いがけずレグルスの顔が歪み、激しく首を横に振りながら口を開く。


「・・・ん・・・ぃ」


 レグルスの絞り出す様な声が上手く聞き取れず、フェリドが更に屈んで耳を寄せると、かすれた声音が「ごめんなさい」と耳朶じだを撫でてハッとした。


「レグたん?」

「ごめんなさいっ」


 レグルスは謝罪の言葉を嗚咽おえつの様に吐き出して、やにわにフェリドの指先を握り締める。

 驚くフェリドを見上げて、レグルスは小さく口を開いた。


「この腕、俺がやったんでしょ?」


 そういうレグルスは泣いていない。

 が、赤い眼差しが揺れていた。


「・・・覚えてるの?」


 「そうだ」、とは言えなかった。しかし、返した言葉は、何よりの肯定になった。

 フェリドの問い掛けに、レグルスがゆっくりとかぶりを振る。


「分からない。けど、」


 レグルスは、言いよどみながら大きなそでに隠れる自らの両の手を見つめた。


「・・・手に、が残ってる・・・」


 、とは言わなかった。

 フェリドも、問い返しはしなかった。

 レグルスの不安と苦悶くもんゆがむ表情を見ていれば、どんな言葉も彼を追い詰めるような気がしてならなかった。


 うつむいて唇を噛み締めるレグルス。

 その様子を見つめていたフェリドは、しばらくして不意にきびすを返すと膝を着いた。そうしていつくばる様な大勢になると、風に散らされ地面を埋め尽くすラデンカの花弁はなびらを掻き集める。

 赤い花弁が両手いっぱいに集まると、それを抱えてうつむくレグルスの横を通り、真っ黒な口を開けた墓穴の中に放り込んだ。

 フェリドは同じことを三度繰り返すと、四度目にその腕にトウマの亡骸を抱えてレグルスの前に膝を着き「ねえ、レグたん?」と、静かに切り出した。


「ラデンカの花びらで寝床ねどここしらえたんだ。

 トウマさんは気に入ってくれるかな」


 フェリドの問い掛けに、レグルスが視線を上げる。


「ねえ、教えてレグたん。

 トウマさんは、ラデンカの花が好きだった?」


 真っ直ぐな眼差しで聞いてくるフェリドに、レグルスは小く頷く。


「そっか」


 そう言って笑ったフェリドは、腕の中のトウマを見遣ってから、ゆっくりとレグルスに視線を戻して口を開いた。


「ボクね、ひとつ、君に謝りたいことがあるんだ」


 思いがけない言葉に、レグルスがそろそろと顔を上げる。

 その瞳に映ったのは、トウマの亡骸を抱えたフェリドの、レグルスへと真っ直ぐに向けられた眼差しだった。


「ボクはね、レグルス。キミと一緒に悲しんであげることが出来ないんだ。

 だって、って気持ち、よく分からないから」


 突飛とっぴな告白だった。

 寒さに色をなくしたレグルスの唇が薄く開いて固まる。

 そんなレグルスの様子を見やって、フェリドが自嘲気味じちょうぎみに笑った。


「魔獣使いの一族ってさ、ホントによく人が死ぬんだ。友達も、家族も。

 その所為かな、悲しみに慣れちゃったのかも」


 「冷たい人間だよね」と、付け足す様に言って笑うフェリドのまゆが歪む。


 今、傷ついた少年の目に、自分はどの様に映っているのだろうか。

 嫌われたくないな、と心のどこかで思いながら、フェリドは空を見上げた。

 



 常に死が隣り合わせにあることは、魔獣使いの一族に生まれた宿命だった。

 魔獣も、幻獣も、人も、当たり前のことのように死んでいった。

 それこそ、いちいち悲しんでいたら身が持たないほどに。

 そう感じる程度には、とはどういうものか、理解してはいるのだろう。

 フェリド自身、幼い頃はその悲しみを肌に感じながら生きていたように思う。

 しかし、物心ついた頃には、に直面しても心が動かなくなっていた。

 きっと、いつの間にか手放してしまったのだ。悲しみという感情を。


 そうして逃がしてしまった悲しみは、おぼろげながら、いつもこちらに背を向けて、そこにある。

 それは、蜃気楼しんきろうの様に揺れては遠退き、この手の内におさまらない。

 手に入れようと追いかけているうちに見失い、気付けば通り過ぎていた。

 

 そんな自分は、一族の中でも異質な人間で、母親の死にも涙を見せない幼いフェリドに、周囲は困惑と怪異の眼差しを向けた。

 その視線は不快でしかなく、いつしかフェリドは、悲しむフリを覚えた。

 成長し、悲しみを引きずらないフェリドの姿は、一族の皆の目をあざむいた。

 「彼は強い男だ」、「彼こそ次期族長の器だ」、と囁く者も現れた。

 そう言われる度、違和感や罪悪感を抱いていたが、それも次第に慣れてしまった。




「狂ってるんだよ」


 溜め息のような呟きが、フェリドの口からこぼれ落ちる。

 自分はこうして、他人も己もいつわりながらながら生きてゆくのだと、そう思っていた。


 ・・・あの人に出会うまでは・・・。


 脳裏に浮かんだ笑顔に、フェリドの胸にあかりがともる。それは、ふわりと羽毛が着地するように優しかった。

 フェリドは、視線を腕の中へと落とす。

 そうして思うのだ。

 全ての人に自分をさらけ出す必要はない。

 けれど、今この時、目の前の死者と失意の少年をいつわることだけはしない。それだけが、悲しみを感じることの出来ないおのれが死者をとむらい、傷ついた少年に寄り添うすべであるに違いない、と。


 顔を上げたフェリドの視線と、こちらを見つめるレグルスの視線とが交差する。

 レグルスの赤い瞳が揺れているのを見て、フェリドは微笑み、口を開いた。 

 

「その罪悪感、ボクにも半分はんぶんけて」 


 途端、レグルスの眼に涙があふれた。

 それでも泣くまいと必死に顔を歪めるレグルスに、フェリドが小さく笑う。

 

「いいよ、泣きなよ

 ボクには何も隠さないで」


 刹那せつな、レグルスの咽喉のどの奥から嗚咽おえつが競り上がった。

 熱い涙の雫が、冷たい頬を濡らして温める。

 天まで届きそうな声を上げながら、レグルスはトウマへとすがりついた。

 幼子のように泣きじゃくるレグルスを、フェリドがトウマの亡骸ごと抱き締める。


 視線を上げれば、激しく染めあげられていた西の空は表情を変え、静かに星が瞬いていた。

 レグルスの悲痛を受け止めながら、フェリドは小さく呟いた。


「・・・綺麗な色だな・・・」






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