第21話 遭 遇






 

 手がガクガク震えて使いものにならない。

 凍てつく空気の中、頭の中心はジンジンしびれ、身体からだの中は、まるで伽藍堂がらんどうになってしまったかのように感じる。

 涙も枯れた。

 緊張の糸さえ切れてしまったレグルスは、埋葬の仕上げ作業を、ただフェリドに任せるしかなかった。

 

 頭の芯のしびれに身を任せたまま、膝を抱えて円匙シャベルの先を見つめるレグルスの隣に、リルーがピタリと寄り添って座っている。

 

 星明りが降り注ぐ中、ザッザッと穴の底へ土が投げ込まれるたびに、トウマとの距離が遠退いていく。


 フェリドは先に小屋へ戻るように行ったが、どうしても、最後の最後、小さな土塊つちくれの一粒がトウマの亡骸を覆い隠すまで見守っていたかった。フェリドもそれをすぐに察したか、敢えてそれ以上は促さなかった。


 少しして、リルーが、不意に立ち上がってフェリドの元へ駆け寄った。

 主人の周囲をクルクル駆け回ったかと思うと、次いで後ろ足で土の小山を蹴散けちらし始める。手伝っているつもりなのだろうが、主人は苦笑いだ。

 フェリドが手を止めて「ダンテの様子見て来て」と指示を出せば、リルーはすぐさまに従って走り出しした。


 レグルスが視線だけでリルーを追えば、彼女は夜闇やあんの中に横になっている黒く大きな魔獣の元へと駆け寄った。

 否、それはもしかすると、魔獣まじゅうではなく幻獣げんじゅうなのかも知れない。

 レグルスは、フェリドとリルーの様子を見ていて、その黒い大きな狼のようなものの名前が「ダンテ」なのだと初めて知った。

 体躯たいくは牛ほどに大きく、額には湾曲する二本の立派な角を持っている。そして、夜に浮かび上がるまなこは二対。

 レグルスが今まで見てきた魔獣たちで、眼球を四つも持っているものはいなかった。

 

 ぼんやりと横目に見遣っていたのだが、こちらの視線に気付いた途端にダンテのつ目がギラリとレグルスを射抜いぬき、低い唸り声が空気を揺らす。


「ダンテ」


 途端、フェリドの静かな叱責しっせきが飛んだ。

 ダンテは従順じゅうじゅんさまを見せてすぐさましずまると、ブルンと耳を振るわせた後、リルーの鼻先や頬を軽く舐め始めた。

 そうして自身を落ち着かせようとしているのだろうが、舐められるリルーは嬉々として尻尾しっぽを振り、赤い舌がぺろぺろと虚空こくうを舐めていた。


「・・・」


 ダンテの様子に、レグルスは眉尻まゆじりを下げるしかなかった。

 

 --ああ、そうか。

   あいつをあんな風にしたのも・・・。


 トウマの亡骸なきがらと対面した後、フェリドにねじ伏せられて目が覚めるまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていたレグルスだったが、次第にその脳裏のうりに記憶の断片だんぺんよみがえってきている。ポツリ、ポツリと雨垂あまだれが、乾いた土に染み入るように、残酷な景色が胸間きょうかんに広がってゆく。

 それと同時に、その時々の感情までもが息を吹き返した。

 

 トウマの死に、あふれ出した忿怒ふんぬが、レグルスの精神を犯し、姿をもみにく変貌へんぼうさせたのだろうか。

 胸にひたひたと染み込む記憶の断片が鳩尾みぞおちにまで落ちて、空っぽの胃の腑を刺激し吐き気をもよおした。

 レグルスが両腕に顔をうずめると、いつの間に戻って来たのか、リルーが鼻を鳴らしながら必死になって髪を舐めてくる。

 

「レグたん?」


 異変に勘付いたフェリドも駆け寄ってきた。

 激しい嘔気おうき強張こわばるレグルスの体を支えながら「我慢しなくていいから」と、フェリドの手が背中をさする。

 レグルスは必死に口を開いたが、嘔吐おうとするにも胃液さえ出てこなかった。

 開けた口から、ただダラダラと唾液が垂れる。

 それを見つめながら、レグルスは心の中でトウマの名前を呼んでいだ。


 --・・・トウマ・・・、

   ・・・ねえ、トウマ・・・。

   

   ・・・俺は、バケモノなの・・・?

 

 どんなに問いかけようと願おうと、欲しい答えはもう返ってこない。

 自分が何者なのか知りたければ、自らその謎にせまるしかないのだ。


 嘔気おうきと引き換えに、頭のしびれは消えていた。

 少しして、不快感ふかいかんおさまってきたのを、頬を撫でる冷たい風が気付かせてくれた。


「・・・フェリド。もう、大丈夫・・・」


 うな垂れたままかすれた声で言えば、「分かった」と小く返したフェリドがゆっくりとレグルスの体を抱き上げる。そのまま歩き出すフェリドに「何処どこへ?」と問えば、彼は歩みを進めたまま「小屋だよ」と優しく笑った。


「後はボクに任せて」


 そう言って、フェリドがふにゃりと笑う。

 幼子のように抱きかかえられたレグルスは、その肩越しに、遠のいて行くトウマの墓を見つめた。

 胸が痛い。

 自らの不甲斐ふがいなさと、これからへの大きな不安に、レグルスはフェリドの肩に顔をうずめた。





   ***





 小屋の中は温かかった。

 レグルスを暖炉だんろの前に下ろしたフェリドは、上着を脱がせて楽にしてやると「少し眠るといいよ」と言い置いて出て行った。


 取り残されたレグルスの鼓膜こまくを震わせるのは、まきぜる音ばかり。

 しばらく膝を抱えて顔を伏せていたレグルスは、パン!という一際高い薪の破裂音はれつおんに、のろのろと顔を上げた。

 レグルスの赤い瞳に、暖炉だんろの火が妙に懐かしく映る。

 背にした寝台ベッドには、レマが静かに横たわっていた。

 視線をやれば、薄闇の中にレマの青い髪と白い首筋がほんのり浮かび上がっている。


 −− ・・・俺が傷つけた・・・。


 言いようのない罪悪感が、またもやこの身を責め立てる。

 温かいはずなのに、両腕は鳥肌立っていた。

 身じろぎひとつしないレマの姿が、不意に脳裏のトウマと重なって不安が心を掻き乱した。


「・・・レマ、」


 これまで幾度とトウマにしてきたように、呼吸を確かめようと、そろそろと指先をレマの鼻先へ近づけようとした、その時だった。

 

「そいつに触るな」


 男の声に振り返った瞬間、左頬に焼けるような痛みが走り、そのまま床に叩き付けられる。レグルスの目には何者かの黒い靴先が写っていたが、すぐに視界がぼやけてきて意識が混濁こんだくした。たまらずまぶたを閉じかけたが、「おい!」と低い声が、激しく中耳ちゅうじを揺らす。

 意識を取り戻したレグルスは、大きく目を開けた。

 途端、視界に入った男の顔に血の味を覚える。

 「ああ、こいつに殴られたのか」と自覚すると同時に、こちらを見下してくる顔に見覚えがあって、レグルスは弾かれたように上体を起こした。

 今、レグルスの前に立ちはだかっているのは、レマと出会った泉で、人の姿から銃へと変化し、レグルスに発砲したあの男だった。


 −− やっぱり、見間違いじゃなかった・・・!


 レグルスは、口の端から垂れる血の混じった唾液をグイッと手の甲で拭い、明らかな敵意を向けてくる男を睨み返す。


「よう。また会ったな、クソガキ」

「誰だ」

「教えねぇ」


 重低音の穏やかな声音とは裏腹に、その口調は妙に俗っぽく、レグルスの神経を逆撫でる。

 それが顔に出ていたのか、相手は「いい気味だ」と言わんばかりに口の端を上げると、腰を落としてレグルスの顔を覗き込んできた。


「今のはレマをこんなにしてくれた礼だ」


 相手の激しい眼光と、鋭利な刃にも似た言葉に、一瞬レグルスが怯む。

 それでも、男から目は逸らさなかった。


「それとアンタと、どんな関係があるんだ」


 確かに悪いのは自分だ。

 レマを傷付けた。自分でもよく分かっている。

 けれどそれは、レマに贖罪しょくざいすべきことであって、得体の知れないこの男にすることではない。

 情けないことに言い返す声は少し震えたが、それでもレグルスは、己が正体も明かそうとしない男に一歩も引くつもりはなかった。

 

 そんな少年の様子を見て、男は「はーん」と物色するような視線を向けながら立ち上がる。


「とんだ腑抜ふぬけかと思ってたが、きもは座ってんだな。

 だけどなぁ、こちとらテメェのせいで腹の虫が治らねぇんだ。責任は負ってもらうぜ」


 言うが早いか、男は再びレグルスの前に腰を屈めると、やにわに少年の前髪をかき揚げ額を思い切り中指で弾いた。

 その衝撃にレグルスの頭が勢いよく仰け反り、寝台ベッドの縁に後頭部を打つ。鈍い音と同時にレグルスが「い"っ」と呻いた。

 額と後頭部とに貫通するような痛みにどちらを抑えれな良いかと宙を彷徨さまよう手を見て、男の口から「プフッ」と嘲りが漏れた。


「はははっ、まぁこのくらいにしておいてやるよ。

 でないとレマが黙ってないだろうからな」


 男は先刻とは違い、小気味好い笑顔を見せて笑い出した。

 だがレグルスはと言えば、まるで不良に絡まれたような気分だ。


「あんた、レマとどういう関係なんだ」

「だから、教えねぇ」


 こちらの腹立ちを悟ってニヤニヤする相手に、レグルスが閉口へいこうする。しかし不意に、男の言動に対して疑問が湧いて出た。


「レマに・・・尻に敷かれてる?」

「馬っ鹿!違うわ‼︎」


 レグルスは、きになって返す男の様子に虚を付かれた。男とレマの関係は未だ分からない。けれど、図星を突いたと確信すると、思わず口の端が上がった。

 と、今度は男の方が「くそっ」と小さく吐き捨てて頭を掻く番だった。


「ったく可愛くねぇガキだな。

 このくらいで勘弁しといてやろうと思ってたのに、もう一遍いっぺんデコピン喰らっても文句ねぇようだ・・・・・・ん?」


 不穏な空気をまとわせながら悪態あくたいいていた男が、不意にレグルスの顔を凝視し出す。

 そこには、先刻までの敵意はない。

 しかし、男がレグルスの顎先あごさきを指で上げてまで繁々しげしげ見遣みやるので、流石に気味が悪くなってその手を振り払うと、


「なんだ、お前、竜血りゅうけつか」



 --・・・りゅうけつ・・・?



「りゅうけつって・・・何だ?」


 それは最初、単純な疑問だった。

 しかし、だんだんとレグルスの胸中に正体の見えない不安となってふくらんでいく。

 安直かも知れないが、それは自らの知り得ない過去や、先刻の得体の知れない凶暴化に繋がる糸口なのではないか。


 そう思った途端、心臓が早鐘を打ち始めた。


「あんたは一体、何者なんだ?」


 緊迫するレグルスとは反対に、男はどうと言うことはないといった様子で耳をほじくりながら「教えてやんねぇ」とうそぶくと、指先を吹いて耳垢を飛ばす。


「でも、そうだな。それを知りたきゃ」


 そこまで言った男は、ずいっとレグルスに視線を合わせ、人差し指を少年の鼻先に突き付けながら「条件だ」と言い放った。 


「いいか、よく聞け。

 ひとつ。二度とレマを傷つけんな。かすり傷ひとつゆるさねぇ。

 ふたつ。俺がお前の前に姿を表したことは他言無用だ。

 勿論レマにもだ。言ったら最後、お前が寝てるにそのくびさばいてやるから覚悟しとけ。

 それを守るってんなら、そうだな、気が向いた時にでも教えてやる」


 鋭い眼光と共に放たれた言葉だったが、それだけ言うと男は不意に立ち上がる。


「じゃあな。

 次会う時までくたばるなよ、ガキ」

 

 言うが早いか、男はその姿を黒い帯のような影に変えると、何処からともなく吹き出した一陣の風と共に天井へ霧散し、そのまま姿を消してしまった。




 それまでのことがまるで嘘だったかのように、小屋の中は穏やかな静けさに包まれ、ただ暖炉の薪が爆ぜていた。


「・・・何だったんだ・・・」


 レグルスが、きつねつまままれたような心持ちで、左頬や額、後頭部と順番に触れながら痛みを確認していると。



 雷が轟く様なドンドンドン‼︎ という、扉が叩かれる音でレグルスは正気に戻される。

 何事だろうと扉に駆け寄ると、瞬間レグルスの目前で勢いよく扉が開かれ、それと同時に小屋の中に駆け込んで来たのは、息を切らし冷や汗をかいたバジールだった。


「サーヤ!サーヤは此処に来ていないか!?」


 バジールは咄嗟にレグルスの両肩を掴んでまくし立てた。

 こんなバジールの姿は初めて見る。

 その手の力と冷たさに驚愕しながらレグルスが首を横に振ると、途端バジールの大きな体がレグルスの足元に屑折くずおれた。


「ああ、ああ。

 サーヤ、何処へ行ってしまったんだ」


 その只ならぬ様子に不安を掻き立てられながら、レグルスはそっとバジールの背中に手を添えた。





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