第22話 バジールの後悔






 時は夕刻。

 そろそろ店仕舞いしようと、店先に吊るした薬草の束に手をかけたバジールに、店の奥から女房にょうぼうのマヤが声をかけた。


「ねえ、あんた。サーヤいるかい?」

「サーヤ?」


 問い返して、バジールは薬草を抱えて店の奥に入る。


「いや、店には居ないよ。まだ帰ってないのかい?」

「そうなんだよ」

「ドリーは帰ったのか?」

「いんや、まだだ」


 バジールの問いかけに答えたのは、モリーの祖父ベランだった。

 ベランはマヤの後ろからバジールを覗き込んでいたが、小柄で細身の老人は、大柄なマヤの後ろにほとんど隠れてしまっている。


「ああ、ベランさん。いらっしゃってたんですか」


 そう声を掛けると、ベランはマヤの後ろから精一杯右手を挙げてバジールに応じた。


「おう、お邪魔してるよ。

 いやねぇ、モリーがサーヤんとこ遊びに来てるって聞いたもんだから迎えに来たんだが、二人して森に行ったってなぁ。戻るまで待たせてもらおうと思ってマヤさんとお茶してたんだが、なかなか戻ってこないじゃねぇかい。

 だからさぁ、二人して店先で親父おやじを手伝ってんのかと思って、こっちまで来てみたんだがよぉ。・・・そうかい、 いねぇかい」


 ベランはそこまで言って豊かな眉毛を下げる。


「珍しいもんだ。

 サーヤはともかく、モリーも帰ってないなんてなぁ」


 バジールは店仕舞いの手を止めて店先に出て、西の空を見上げた。

 日が傾いて来ている。

 ラデンカが春の訪れを告げたと言っても、まだまだ夕刻は冷え、日が暮れるのも早い。間も無く薄暗くなってくるだろう。

 モリーは臆病な気質で、どんなに遊びに夢中になろうと、決まって明るいうちに帰宅する娘だった。モリーが帰れば、寂しがり屋なサーヤもまっすぐ家に帰ってくるというのが常だ。


「何やってんだ、二人とも」


 黄昏たそがれを予感させる空を見上げながらバジールが一人愚痴ると、不意にその背中を大きな掌がドンと叩いた。長身のバジールが「おっと」とよろめく程の手荒な挨拶をしてくるのは、一人しかいない。


「バジール、店仕舞いの手が止まってるぞ」

「マルティンさん」


 村長のマルティンは、大きな手をひょいとあげて店の中のマヤとベランに挨拶すると、「どうかしたのか」とバジールの顔を見やった。

 自分よりも五歳年長で頼り甲斐のあるこの男を、バジールは幼い頃から兄のように慕っていたし、年を重ねた今も彼に対する尊敬の念は変わらなかった。


「いや、森へ遊びに行ったサーヤとモリーが、まだ帰ってこないんですよ」


 小さな村だ。皆が顔見知りで、マルティン自身も村の少女たちのことはよく知っている。

 やはりモリーの帰宅が遅いことを聞いていぶかしんだマルティンは、「森へ行ったのか?」と眉根を寄せて聞き返した。バジールが「ええ」と答えると、「二人きりで?」と尚も問いを重ねる。

 バジールが頷くと、マルティンはしばし顎髭あごひげを撫で付けて考えながら「杞憂きゆうなら良いが」と呟いた。


「俺の息子たちを探しに行かせる」

「え?」

「バジールは他にサーヤとモリーが行きそうな場所を回ってくれ」

「そ、それはどういう・・・」


 一転してマルティンが見せ始めた緊迫の様子に、バジールの胸に不安がぎる。

 マルティンは空を見つめながら口を開いた。


「いくらラデンカの加護があるとはいえ、奴等・・が現れないとは限らないだろう」

「まさか」


 マルティンが見ているのは、ヤカ村の方角だ。彼はすぐさま自分の家へと踵を返し、「バジール早くしろ!」と急かしながら走って行った。

 その時、バジールは自分の迂闊うかつさに気付かされた。

 

 隣村が魔獣に襲われ、村人が全滅したのは、たったひと月前のことだ。

 あれ程の惨事だったのに。ラデンカの丘には、その惨事に見舞われて未だ寝たきりの青年がいるというのに。それなのに自分は、危険かも知れない森へ、大事な娘たちを行かせてしまった。

 バジールだけではない。この村の人々全員の中に、「この村は大丈夫」という過信があった。先日ベランが「この村はラデンカさんに守られてるからなぁ。生まれてこのかた、この村に厄災やくさいが訪れたことはない」と世間話で口にしたが、それは村の老人たちの会話の中では当たり前に出る話題だった。そのくらい、村人たちはラデンカの加護に盲目的な信頼と信仰を寄せていたのだ。

 しかし、いくら「ラデンカの加護」と言っても、それは目に見えないものだ。信仰に感謝し、その恩恵を感じ取っていたとしても、その力を証明することは出来ない。

 近隣の村に魔獣が現れている今、バジールはもっと警戒しなくてはならなかったのだ。


「あんた!フレアさんの雑貨屋にはいないかねぇ?」


 マルティンとバジールのやりとりを見て、同じことを思ったのだろう。顔を強張らせたマヤが夫へと強い口調で言う。途端、バジールは「お前は留守番してろ!」と言い置いて、雑貨屋へと走り出した。







  ***



 雑貨屋に少女たちの姿はなかった。

 バジールが落胆して店の扉を押し開けると、周囲は既に黄昏時を迎えていた。

 目の前を松明たいまつを持った若者二人が駆けて行く。それはマルティンの双子の息子、メイウィルとエルヴィンだった。そのたくましい姿に一瞬希望の火が胸中に灯るが、二人が背中に猟銃を背負い、右手にはそれぞれやり小刀ナイフたずさえているのを見て背筋が凍る。不安の余り、呼吸が浅くなって苦しかった。


 バジールはその後も何軒かの店や家を回ったが、サーヤもモリーも何処にもいなかった。その頃には村中が大騒ぎとなり、男衆おとこしゅう洋燈ランプを手に総出で娘たちを探し始めたが、何処にも姿は見えない。

 やはり森で何かあったのだろうと推測したマルティンは、村に数人の番を残し、男たちをともなって夜の森へ捜索に出た。

 そんな中、バジールは最後の頼みの綱に、ラデンカの丘のレグルスの元を訪れたのだが、やはり二人はいなかった。




 サーヤとモリーが見つかったのは、その半時後のことだった。






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