第四章

第23話 少女たち






 夕暮れを過ぎた頃、突然、小屋へ押し掛けて来たバジール。

 その尋常じんじょうならざる様子に、初めこそ困惑したレグルスだったが、サーヤが行方知れずだと聞いて、すぐに合点がいった。

 それからの行動は早かった。

 素早くフェリドに書き置きを残すと、松明たいまつを手にして暖炉だんろの火を移す。


「行きましょう、バジールさん」

「あ? あ、ああ、そうだな、そうだ、森へ行かなくては。

 は、早く見つけてやらないと、二人ともこんな寒空の下、さぞかし寒い思いをしているにちがいない。それに、どんなに怖がっているか。

 ああ、きっと泣いている!

 レグルス、一緒に探してくれるのかい」


 心配と焦燥しょうそうられたバジールは、「ありがとう、ありがとう」と早口に繰り返しながら寝台ベッドに目をやった。


「トウマは眠って・・・あ、あれ? トウマじゃない?」

「・・・旅の人を、泊めているんです」

「いや、しかし・・・」

「行きましょう、バジールさん。話は歩きながらします」


 明らかな困惑を見せるバジールだったが、思考回路は上手く回っていないようで、それは今この時だけは、レグルスにとって好都合だった。

 バジールを促すと、レグルスは眠っているレマを起こさぬよう、静かに小屋を出た。

 



   ***



 これまで、強く頼もしく感じていたバジールが、今はすっかり肩も落ち、余りにも弱々しい。

 レグルスは、バジールが終始しゅうし肩を上下させて息をする様子を見て、小屋へ来るまでにどれほど駆け回ったのだろう、と思いをめぐらせた。顔は強張こわばり、色は青を通り越して白く見える。膝が微かに震えているのを見てとり、レグルスは黙って肩を貸した。


 ラデンカの丘を下り、川沿いを辿って森へ行くまでの間に、レグルスはトウマが亡くなった事実だけをバジールに伝えた。


「そうか、そうだったのか。

 すまない、肝心かんじんな時に力になれなかった。

 その上、兄さんを亡くしたばかりの君にまで迷惑をかけて」

「いえ、俺も・・・心配だから」


 「サーヤが」という語尾は飲み込んだ。その名前を口にしてしまったら、レグルス自身も、今の冷静さを保っていられないような気がしたからだった。




 互いに気遣い合いながら、レグルスとバジールは暗闇くらやみの広がる森の中を、松明たいまつあかりだけを頼りに、少女たちをさがし歩く。

 すぐ隣で「サーヤ! モリー!」と、娘たちの名を呼ぶバジールの悲痛な声に、レグルスの張り詰めた気持ちは限界に近かった。

 緊張の糸というものが目に見えていたならば、今まさにキリキリと音を立てながら切れそうになっているに違いない。

 それでもレグルスは、松明たいまつの灯りで木々の間ややぶの隅々まで照らし、必死に少女たちの手掛かりを探し続けた。

 

 明るくて、ほがらかなサーヤ。

 彼女は、見ず知らずの旅人だったレグルスにも、花のような笑顔を向けてくれた。

 気遣ってくれていたのだろう、こちらのことは余り詮索せんさくせず、村のこと、友達のこと、小さな頃の思い出話など、屈託くったくなく楽しい話しを聞かせてくれた。

 故にレグルスは、話でだけ、モリーという少女のことも知っていた。先日サーヤは、モリーと二人でそろいの髪飾かみかざりを買いに雑貨屋へ行くのだと、話していた気がする。

 ・・・いや、確かに言っていた。

 春らしいおそろいの髪飾かみかざりをつけて、モリーと一緒にラデンカを見に来る。その時、レグルスにモリーを紹介する、と言って、彼女は笑ったのだ。


「・・・サーヤ・・・、っサーヤ!」


 レグルスは、それまで引き結んでいた唇を大きく開いて、少女の名を呼んだ。

 目頭が熱くなり、鼻の先がツンとした。

 トウマが死んでしまった今、サーヤまでいなくなってしまったら、完全に心が折れてしまうかも知れない。

 「どうか無事でいてくれ!」と、強く念じたその時。

 視線の先、木々の合間が薄ぼんやりと明るく浮かび上がって見えてきた。それと同じくして、若い男たちがサーヤとモリーを呼ぶ微かな声が聞こえてくる。


「バジールさん」


 レグルスがバジールのそでを引いて注意を促すと、バジールもすぐさま気がついて口を開いた。


「あっ、ああ!!

 この声は、きっと村長さんのところのメイウィルとエルヴィンだ!

 合流しよう!!」


 その灯りと声を頼りに歩を進めれば、すぐに若者二人の姿が見えてきた。

 若者たちはこちらを目にめると、足元の悪い森の中にも関わらず、機敏きびんな身のこなしで駆け寄ってきた。


「バジールさん、見つかりましたか?」

「いや、いなかった。君たちは? 見つかったかい?」

「いえ、まだです」


 居住いずまい正しいメイウィルとエルヴィンは、「すみません」と二人同時に頭を下げる。それを「やめてくれ!」と慌てて制するバジールの隣で、レグルスは二人の顔を見遣っていた。

 彼らは、顔立ちも背格好も仕草も、まるで鏡写しのようにそっくりな双子だった。双子といえば、古い風習の残る町や村では、今でも「忌子いみこ」とさげすまれるものだが、このソキ村には、そのような悪習あくしゅうはないらしい。

 レグルス自身、かつて村を訪れた際に、村長と連れ立って歩く二人を見かけたことがあったが、彼らは父親同様、体格に恵まれ、礼儀正しく親切であり、村人たちに頼りにされているように見えた。

 村長は若かりし頃、王都リリアで、国王陛下の護衛をしていたらしいという話をバジールから聞いた事がある。その父親に厳しくも愛情を注がれて育てられたのだろうことが、見ただけでも容易に想像出来る双子だった。


 ・・・そう、良い村なのだ。

 まだ幼なくとも、旅に生きたレグルスには分かる。

 排他はいた的で、荒んだ町や村はいくらでもある。

 しかし、ソキ村は違った。

 外の者には多少厳しくとも、村全体が家族のように親しく、双子が生まれても、忌子いみこなどと言ってさげすむ者など居ない。子供たちをいつくしみ、皆がラデンカに親しむ長閑のどかな村。

 そんな村に悲劇は似合わない。

 レグルスは、目の前の三人を見つめながらそう思った。


「レグルス、だったか。君も来てくれてありがとう」


 メイウィルがレグルスに礼を言う。

 それから、エルヴィンが東側に松明を掲げながら「次は森の東側を」と口を開いた、その時。

 レグルス、メイウィル、エルヴィンの三人が同時に動きを止めた。


「ど、どうしたんだい?」

「しっ」


 青年たちの様子が急変したのに戸惑ってバジールが問いかけると、エルヴィンがさっと人差し指を口に当てる。


 聞こえる。

 レグルスの耳には、微かな声が届いていた。

 何か話しているのだろうか?

 いや、これは。


「うた・・・?」


 レグルスが呟くと、双子も同時にうなずいた。

 



  春風はるかぜさんよ  聴かせておくれ

  泣いてるこの子に  ねんねの歌を

  春風はるかぜさんよ  はこんでおくれ

  ラデンカさんの  真っ赤な花びら


  赤く赤く  里染めて

  早く春を  連れて来い




 それは、かつてサーヤが歌っていたソキに伝わる童謡だった。

 恐らく、村人には聴き馴染みのあるうただったのだろう。眉根を寄せて耳を澄ましていたバジールが「この声、・・・モリーか?」と呟くと、すぐさまメイウィルが松明で歌声の聞こえる方角を照らし、エルヴィンが茂みを掻き分けた、途端。


「サーヤ! モリー!」


 エルヴィンが声を上げた。

 そこに、探し求めていた少女たちの姿があったからだ。

 すぐさま、皆の顔に、喜びの色が浮かぶ。

 サーヤとモリーは、鬱蒼うっそうとしたしげみの向こうに固く手をつないで立っていた。

 その姿を認めた瞬間、バジールが走り出してサーヤとモリーの二人を抱きしめた。


「よかった! 二人とも!!」


 続いて駆け寄ったメイウィルもエルヴィンも、安堵しながらその様子を見遣っている。

 しかし、レグルスだけは、妙な違和感を抱いていた。


 初めて会うレグルスには、モリーという少女がどんな人間なのか分からない。

 だが、性格は大人しく控え目だと、サーヤから聞いていた。

 そのモリーが、歌うことを辞めない。しかも、その場にそぐわない明るい声で。バジールに、サーヤ諸共もろとも抱きしめられたまま、うつろな視線で虚空こくうを仰いで歌い続ける姿は、不気味でしかなかった。

 



  春風はるかぜさんよ  聴かせておくれ

  ねんねのこの子に  春の唄を

  春風はるかぜさんよ  運んでおくれ

  ラデンカさんの  真っ赤な花びら




 その歌声が聞こえているのか否か、サーヤはただ黙っていた。

 レグルス同様、その異様さに困惑するメイウィルとエルヴィン。その視線を感じてようやく、バジールは娘たちの様子がおかしいことに気が付いた。

 

「・・・サーヤ? モリー?」


 バジールの表情は安堵から一転、その異様な雰囲気に曇り始める。

 よく見れば、少女たちは泥にまみれ、服もあちらこちら破けていた。サーヤの鼻と頬には擦り傷があり、モリーの破けた左袖からは、獣に引っ掻かれたような裂傷れっしょうあらわになっている。

 助けられたことに安堵するでも、喜ぶでもなく、モリーは口元に薄っすら笑みを浮かべながら、虚空を仰いで歌い続けていた。

 そしてサーヤは、そんなモリーの右手を強く握りしめたまま、固く口を閉ざし、バジール、メイウィル、エルヴィンと順番に視線を巡らしている。やがてその眼差しは、少し離れたところにいるレグルスへと向けられた。


 途端、レグルスの肌が粟立あわだった。


 冷たい眼差しだった。

 その獣じみた視線は、レグルスの知るサーヤとはまるで別人のようであった。

 背筋に悪寒おかんが走り、恐怖にも似た不安におそわれ、自らの二の腕をく。


「サーヤ、一体何があったんだい?」

怪我けがは? 魔獣におそわれたのか!?」


 双子がサーヤに問い掛けるが、彼女は押し黙ったまま、感情の見られない瞳を向けるばかりだった。その間も、モリーは只々、歌い続けている。


「どうしてしまったんだ、二人とも!!」


 バジールはもう、込み上げる感情を抑えることを出来なかった。

 「サーヤ!」と娘の名を叫びながら、もう一度その胸に抱き寄せてむせく。

 しかし、そんなバジールにでさえ、サーヤは何の反応も示さなかった。父親に抱き締められながら、その肩越しにレグルスを見つめてくる。

 それはまるで、ありを観察しているかのような視線だった。

 レグルスは、思わずごくりとつばを飲んだ。


「バジールさん、とにかく二人を連れて村へ戻りましょう」

 

 メイウィルに促され、バジールの腕から離されたサーヤは、エルヴィンの背に負われて帰路きろに着いた。うつろに歌い続けるモリーは、メイウィルに幼子のように抱え上げられる。レグルスも、憔悴しょうすいしたバジールに肩を貸し、その後に続いて歩き出した。






 「もう大丈夫だから、レグルスもお帰り」と、森を出たところでバジールに告げられ、レグルスは一人、一行いっこうと別れた。

 しかし、大丈夫でないのは、バジールよりむしろ、レグルスの方だったかも知れない。

 一歩、また一歩と、重たい歩みを進めるたび、少女たちの様子が脳裏のうりに浮かび上がる。それは、まばたきするたびまぶたの裏に焼き付いて、頭痛を誘発ゆうはつした。その上、胸がヒリヒリと痛んで仕方がない。


 どうして、こんなに不安で、悲しく、つらいことばかりが起こるのだろうか。

 まるで今日という日は、悪魔にのろわれているかのようだ。

 否、のろいをかけるのならば、それは悪魔ではなく「あおとり」の仕業しわざかも知れない。

 悲劇を好む悪神あくじん。全ては、彼女の思惑なのだろうか。

 そう、全て「あおとり」の所為せいにしてしまえたら、少しはこの心も、楽になるのだろうか。

 花のように笑うサーヤの笑顔は、奪われてしまった。

 レグルスは、胸の痛みとつのる不安に息苦しさを感じながら、冷え切ってしまった右手で左の二の腕を仕切しきりさすった。

 余りの苦しさに、小屋の前まできても、その扉を開く力すら出てこない。

 冷たい風になぶられたまま頬を涙が伝った時、不意に扉が開いて、フェリドがレグルスを温かい屋内おくないへとまねき入れた。

 小屋に入ったレグルスを、フェリドが両腕を広げて迎えてくれる。

 レグルスは、ゆっくりとその胸にすがり付き、声を殺して泣き出した。

 フェリドは、ただその背中を優しくさすった。

 




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