第31話 禁断のベーゼ




 一瞬の出来事だった。

 アウトサイダーの視線を感じ、レマがふと視線を上げた刹那、ソレは音も無く彼の背後に立ち上がった。

 真っ黒な消し炭の体がアウトサイダーに迫り、鋭く伸びた爪が彼の首を捉える。


 「アウトサイダー!!!」


 叫んだ時には、もう遅かった。

 目の前でアウトサイダーの頭が吹っ飛び、地面に転がる。

 レマの全身が鳥肌立った。

 レグルスを抱える腕に力が入る。腕の中のレグルスも異変を感じとり、身を固くした。


 おかしい。

 いつものアウトサイダーならばあれくらい軽傷のはずだ。たとえ頭と体が引き離されようと、一瞬にして繋がるはずなのだ。それなのに。

 それなのに、いつまで経っても、首は地面に転がったままだ。


 --- まさか、核をやられたのか!?


 人間の急所が心臓ならば、アウトサイダーの急所は核だ。

 その核は、アウトサイダーが形状を変える毎に移動する。つまり、決まった場所にないのだが、もしもあの瞬間、核が首にあったのなら一溜まりもない。


「くそっ」


 レマは立ち上がろうとしたが、魔力を使い過ぎた所為で足に力が入らなかった。その上、回復したばかりでまだ安静が必要なレグルスを動かすこともはばかられる。

 思い通りにならない体が歯痒い。

 目をやれば、消し炭と化したベラは沈黙したまま立ち尽くしていた。

 その姿がなんとも不気味でおぞましい。が、動くなら今しかない。


「シルフィー」


 レマは空中に右手を差し出して、呟くように精霊を呼ぶ。と、そのてのひらに、小さなつむじ風が現れた。

 例え魔力を消耗していようと、レマにはもう一つ、精霊の加護がある。

 

 レマは大きく深呼吸すると、精霊のおこした優しい風でレグルスの体を包み込んだ。

 まるで誰かに抱きかかえられたような形で、レグルスの体が宙に浮く。


「レマ?」


 レグルスはレマがこれからしようすることを予見して、不安そうな眼差しを向けた。


「シルフィー。レグルスを眠らせて、ラデンカの丘まで運んでくれ」

「待って! レマ!」


 レグルスは泣き腫らした目を擦りながら「俺も戦う‼︎」と懇願したが、既にその体は風の精霊によって高く舞い上げられていた。


「レマ!」


 天空から必死で叫ぶレグルスに、レマは小さく笑う。

 それを合図にするかのように、風がレグルスの体をさらい、その姿は瞬く間に夜の闇へと消えていったのだった。

 

 視界の隅でレグルスを見送ったレマの視線は、すでにベラへと向けられていた。

 いつ動き出すか分からない相手から目を逸らさないまま、ゆっくりと膝を立てる。が、やはり失った魔力の量が多過ぎて、立ち上がることが出来ない。


 その時。

 不意にベラの右手が動いたかと思うと、真っ直ぐにレマへと向けられた。


「・・・欲しい・・・」


 唐突に発せられた、ベラの声。

 かすれたそれは、地をうような凄みを持っていた。

 レマの背中に悪寒が走る。と、ベラがおもむろに自らの指先を口元へ寄せ、先端を食いちぎった。


「っ!?」


 その猟奇的な行動の真意に気付いたのは、ベラの足元に滴り落ちた血液がボコボコと沸騰するように泡立ち始めてからだった。


「・・・っ!」

 

 その光景には見覚えがあった。

 レマの脳裏で、自分の血液を媒介ばいかいとして幻獣を召喚するフェリドの姿と、目の前の様子が一致する。


 刹那、湧き立った地面から泥のような闇が噴出し、一頭の幻獣が地の底からい上がってきた。


「ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイ‼︎」


 甲高い咆哮ほうこうを上げたそれは、一見、鶏の頭を被った大男のように見えた。

 奇天烈きてれつ風貌ふうぼうだが、体の部位ひとつひとつの特徴が、幻獣であることを物語っている。くちばしは鋭く、頭には二本の角が生え、屈強な両腕の先には鋭利な鉤爪がある。背中には羽毛の翼を有するが、全身は硬い鱗に覆われていた。足は筋肉質だが、膝から下は鳥のそれで、鉤爪が大鎌のような存在感を放っている。臀部でんぶからはトカゲのような尻尾が伸び、先端がむちのように地面を打ち付けてリズムを刻んでいた。黒金の眼は見開かれ、鶏冠とさかは真っ赤な炎となって燃え盛っている。

 たかぶって地面をく幻獣を背に、ベラが口を開いた。


「よう来た、ボヴァイア」


 ボヴァイアと呼ばれた幻獣は、ベラに応えてその傍に膝を突き、こうべを垂れた。

 ベラは、その幻獣の炎の鶏冠とさかに臆することなく手を伸ばし、頭を撫でてやる。


「可愛いボヴァイア。私の願いを聞いておくれ」


 愛おしげに幻獣を撫でていた欠けた指先が、レマを指し示す。


「アレが欲しい」


 途端、ボヴァイアが動いた。

 微かに翼を羽ばたかせたかと思うと、瞬く間にレマの目と鼻の先にまで迫っていた。


「グノーム!」

 

 レマは咄嗟に地面に手を突いた。

 瞬間、地の精霊が現れ、レマの前に岩の障壁を作る。しかし、そのまま体当たりしてきたボヴァイアによって、障壁は粉々に打ち砕かれた。衝撃にレマの体が地面を転がる。その隙をついてボヴァイアが飛び掛かってきたが、グノームが追撃を許さなかった。

 レマのグノームは見目麗しい男の姿をかたどっていた。

 その屈強な体躯はボヴァイアにも引けを取らない。

 グノームはそのしなやかな上腕でボヴァイアの首を捉えると、相手の巨体を跳ね飛ばした。しかしボヴァイアもそれで退しりぞくほどやわではなかった。炎の鶏冠とさかを振り乱し、真っ向からグノームへと向かってゆく。


 グノームとボヴァイアが一進一退の攻防を繰り広げる中、瓦礫の中に突っ込んだレマは、肩で息をしながら必死に上体を起こした。

 

( -- 魔力が・・・足りない )


 レマの額から首筋へ、大粒の汗が伝う。

 魔力を持つ者の特性として、魔力が欠乏すると、生体活動へも影響が出る。魔力を大量に消費してしまった今、レマの体を支えているのは精神力のみと言えた。しかし、その精神力も、召喚中の精霊の糧となっている。

 このままグノームがボヴァイアとの戦闘にてこずるようであれば、いつまで体が保つか分からない。

 

 レマは、グノームとボヴァイアが戦いの中巻き起こす砂煙の中で、何とか体勢を立て直そうと気力を振り絞った。

 だが、次の瞬間、砂煙で覆われた視界を、黒いものが覆う。


( -- しまった )


 刹那、レマの髪は消し炭の手に鷲掴みにされ、体はベラの視線へとつるし上げられた。

  痛みに耐えながら瞼を開けば、至近距離でベラの金色の瞳と視線が合わさる。


破格はかくじゃのう」


 掠れた声は恍惚としていた。

 ベラはおもむろにレマの頬を撫でる。


「強大な魔力を持ち、精霊を操る。そんな人間がろうとは思わなんだ」


 言いながら、ベラの引きつれた口角が上がる。


「仮面に隠れて全貌は分からぬが、容姿もさぞ美しいのであろう。故に、その下に何を隠しているのか、気になるのう。この手で暴いてやりたくなる」


 そこまで言って、ベラの瞳がギラリと光る。


「あまつさえ、ときたか」


 その言葉に、レマの眼光に鋭さが増した。

 ベラはそんな相手の反応も楽しむかのように、くくくっと喉の奥で笑う。


「気に入った。そなたを、ギガベスタに迎えてやろう。わたくしの新しいペットとしてなぁ」


 揶揄からかうようにベラが言った瞬間、レマが腰に帯びた短刀を抜いた。

 閃いた刃は自身の青い髪もろともベラの拳を切り落とす。


「お・・・のれっ!」


 一瞬切られた右腕を庇ったベラだったが、すぐさま左手を返してレマを頬を逆手に殴りつけた。


「っ!」


 地面に倒れ伏した瞬間が、レマの限界だった。

 途端にボヴァイアと対峙していたグノームの動きが止まり、相手の攻撃を受ける前に空気中へと霧散していった。


 倒れたまま咳き込むレマを見下ろし、ベラは切られた右手首を撫でながら、呆れたように溜め息を吐く。


「可愛げのない。大人しくわたくしのものになれば良いものを」


 しゃがみ込んだベラが、レマの顔を覗き込む。

 レマは顔を背けたが、無理矢理顎を掴まれ、ベラと顔を突き合わされた。


「もう逃さぬ」


 そう甘く囁いて、ベラはレマの唇を塞いだ。


 



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