第6話 真夜中の来訪者


  





 夜は深まり、雨が降り出した。

 ぽつり、ぽつりと、窓硝子に水滴が当たる。

 次第に雨脚は強くなり、雨音がトウマの寝息を掻き消した。

 不安になって、もう一度トウマの顔を覗き込もうとした時だった。

 コンコンコン、と扉が叩かれた。


「・・・・・・」


 こんな時間に誰だろうか。雨の中、それも真夜中の来訪者などいまだかつてなかった。もしかしたら風雨に戸板が鳴っただけかも知れないと、レグルスがいぶかしんで様子をうかがっていると。

 コンコンコン、と再び扉が叩かれた。

 今度は確かに聞こえた。聞き違いではない。

 そっと扉へと歩み寄り声を掛けると、すぐさま返事が返ってきた。


「夜分遅くにスミマセーン!」


 緊張感の感じられない、間延びした声。

 レグルスはすぐさま戸口の閂(かんぬき)を外した。そっと扉を押し開けて外の様子を伺う。と、思った通り、そこにはフェリドとリルーが立っていた。


「どうもぉ、こんばんは」


 彼は雨に濡れそぼっていても笑顔だった。リルーも全身ずぶ濡れになりながら、主人のかたわらに行儀良くしている。レグルスが顔を覗かせると、リルーは腰を上げて鼻をひくひく動かした。フェリドもすぐに気付いたらしく、その目を輝かせる。


「あれ、キミ昼間の子?」


 フェリドの問いに、レグルスは頷いた。


「よかったぁ、此処キミんだったんだね! お願い! 雨宿りさせて!」


 フェリドは両手を合わせ、レグルスを拝み倒すように深々と頭を下げた。リルーはと言えば、再会を喜んでいるのか雨の中でぶんぶん尻尾を振っている。戸口からもれる薄明かりの中で、リルーの尻尾から飛び散る雨の雫がキラキラと輝いて見えた。

 レグルスは一度だけ振り返り小屋の中に目をやった。

 トウマは変わらず眠っている。だが、起きていれば言ってくれたかも知れない。「中に入れてやりな」と。

 雨に困った人を見捨てるような真似はしない。トウマはそういう男なのだ。


「どうぞ。・・・怪我けが人が寝てるから、静かにして」


 レグルスは手近にあった布をフェリドに手渡して中に招き入れた。

 フェリドは「ありがと、助かったよ」と小声で礼を言った。レグルスの言葉に配慮してのことだろう。布を受け取ると、まずはリルーの身体を拭き始め、丁寧に水気をとってやってから中に入れた。次いで、自らの濡れそぼったマントを脱ぎ捨すてる。そして、雄羊おひつじの角が着いた帽子を外すと、リルーをいた布で湿った髪をぬぐいだした。

 フェリドの為にと、もう一枚乾いた布を用意してきたレグルスは、手にしていたそれを渡し損なって戸惑う。その間にも、リルーはさっさと暖炉の前へ陣取り、一回大きく体を振った。それから気持ちよさそうに伸びをして、じゃがいもスープの残りを楽しむように鍋に鼻先を伸ばす。


「リルー、お行儀が悪いぞっ」


 フェリドにたしなめられ、リルーは素直にきびすを返した。悪びれる様子もなく、先刻までレグルスが座っていた毛皮の匂いを嗅いでから腰を下ろす。

 レグルスは、そんなリルーの耳元が気になって仕方がなかった。村の広場を追われる際、リルーの耳をかすめた小石のことを思い出して胸が痛み、唇を噛んだ。


「・・・どしたの?」


 不意にフェリドがレグルスの顔を覗き込み、問いかけてくる。その距離の近さに驚いたレグルスは、手に持っていた布を相手に押しやり、顔を背けて口を開いた。


「石、投げられたでしょ。リルー、怪我しなかった?」

「あ、心配してくれてたんだね。大丈夫、ありがと」


 目を背けていても、フェリドの満面の笑みが視界の隅でキラキラと眩しい。


「・・・椅子ないから、暖炉の前、座って」


 少し気後れし出したレグルスは、そんなことを言って話題を逸らした。フェリドは特に気にした様子も見せず笑っている。新しい布で髪を拭きながら暖炉の前まで行くと、眠っているトウマの背中に「お邪魔しまーす」と頭を下げた。その様子がなんとなくおかしくて、レグルスは微かに口元を歪める。それに気づいたのか否か、フェリドは色の薄い緑の瞳をレグルスに向けた。


「リルーの名前、覚えててくれたんだね」


 レグルスはすぐさま頷いた。


「アンタの名前も憶えてる。・・・フェリド」


 レグルスがその名を口にすれば、当人から満面の笑みが返された。


「キミは?」

「・・・レグルス」

「ありがとレグルス! ボクとリルーを助けてくれて」


 面と向かってお礼を言われ、レグルスの顔が真っ赤に染まった。気恥ずかしくて堪らない。うつむいて誤魔化ごまかすが、フェリドは茶化すことなく、ただ微笑んでいた。

 そんな二人の様子など気にする風もなく、リルーはピンと背筋を伸ばして座っていた。首筋から鼻の先まで張り詰めたように伸ばして上向いているのは、吊るしてある野鳥の肉の臭いを一心に嗅いでいる為だった。フェリドが苦笑いして、リルーをなだめるように頭を撫でた。


「雨をしのぐ場所を探してたから、ゴハンまだ食べてないんだ。此処で食べさせてもらってもいいかな? あ、食料は持ってるから気にしないで」


 レグルスが二人の食事を承諾すると、フェリドは濡れた袋からパンとチーズ、葡萄酒の瓶を取り出す。レグルスは無造作に立ち上がって木の器を二つ取り出すと、その一つにぬるくなったじゃがいもスープをよそい、リルーの前に置いた。


「食べて」


 レグルスが声をかけた途端、リルーは器に鼻を突っ込んだ。余程空腹だったのだろう。器はすぐに空になった。レグルスはリルーの器をもう一度スープで満たしてやってから、今度はフェリドの為に鍋を火にかけた。そうしてリルーが頭を下げているうちに、天井の柱から吊るしていた野鳥の肉を手に取る。フェリドがすぐに「あ、レグたん、気を使わないでね」と声を掛けてくるが、レグルスはお構いなしに野鳥の肉を切り分けようとし、・・・そしてハッと相手を振り返った。


「・・・⁉」

「ねぇねぇ、一緒に葡萄酒ぶどうしゅ飲まない?」


 やはり、聞き違いではなかった。

 レグたん。

 さらっと呼ばれて面食らう。

 そんなふざけた呼び名で呼ばれたのは、生まれて初めてのことだった。

 しかし、相手はさも当然と言わんばかりの様子で「レグたんカップ貸してね」とテーブルの上のそれを手にとり、早速葡萄酒を注ぎ始めた。レグルスは呆気あっけにとられたが、胸中に湧き上がってくるむず痒い感情は決して悪いものではない。この気持ちをどう処理していいのか分からないレグルスは、とりあえず目の前の肉にナイフを入れた。

 切り分けた肉を網に載せ、暖炉の火であぶる。その間にフェリドは、手際よく湿気しけったパンを切り分けてチーズを乗せ、同じように網の上に乗せて焼き始めた。

 火にかけていた鍋からぐつぐつとスープの煮え立つ音が聞こえてくる。レグルスが膝をつき、スープに木の匙を入れてゆっくりかき混ぜると、いい香りが小屋中を優しく満たした。

 レグルスはとろとろした熱いスープを器にもり、フェリドの前に置く。すると、代わりにフェリドから葡萄酒で満たされたカップが手渡された。受け取れば、フェリドも自分の葡萄酒を手にとってかかげる。


「ボクらの出会いにカンパーイ!」

「・・・乾杯」


 フェリドは手にしたカップをレグルスのそれに軽くうちつける。次いで「リルーもね」と笑いながら、リルーの空になった器にカップを打ち付けて、葡萄酒を口にふくんだ。レグルスもそれにならい、リルーの器に軽く乾杯する。葡萄酒を口に運ぶと、芳醇ほうじゅんな香りが鼻腔びこうをくすぐり、渋さと微かな甘みが舌に広がった。

 こんな風に誘われて誰かと杯を交わすことなど、初めての経験だった。

 トウマとだってみ交わしたことなどない。彼にとっては、自分はいつまでも子供だったのだろう。「お前にはまだ早い」と言われ続けた。

 屈託くったく躊躇ちゅうちょもなく葡萄酒をすすめられたことが嬉しいような、くすぐったいような感じがして、レグルス自身戸惑っていた。


 ―― ・・・おいしい・・・。


 口当たりの良さに杯が進んだ。






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