第7話 少年の記憶
少年の声が耳に心地良い。
フェリドは、暖炉に向かって肩を並べる少年ーレグルスの話に耳を傾けていた。
夜は深まり、先刻まで激しく戸板を叩いていた
フェリドの雨で冷えていた身体は、暖炉の火と温かい食べ物、葡萄酒によって温められていた。
隣に座る少年の横顔も、ほんのり朱に染まっている。炎の放つ明かりのせいか、はたまた葡萄酒のせいか、判断し難かった。
しかし、少年の口数は格段に増えた。クールでローテンションなイメージはそのままだが、葡萄酒が進むにつれ態度が柔和になり、艶々した赤毛の頭をフェリドの肩にのせてくつろいでいる。
もしかすると、元来人懐っこい性格なのかも知れない。
フェリドは自分の弟のことを思い出しながらレグルスの赤い髪を梳き、手にしているカップに葡萄酒を注ぎ足した。
揺れる葡萄酒の水面に少年の赤毛が写り込む。
それを見ていると、群衆の中に彼を見つけた時のことが、脳裏にまざまざと思い返された。
***
小麦色の肌。
燃え盛る太陽のような髪と瞳。
村の子供でないことは一目瞭然だった。
少年に接する村人たちの態度が妙によそよそしい。
周囲とは毛色も違い、無感情で近づきがたい印象の少年は、フェリドの目に神秘的に映った。
そんな少年との再会は、神の
一つ屋根の下で、レグルスがぽつりぽつりと様々な言霊を吐く様子が、なんだか不思議に思えた。
レグルスがフェリドに語って聞かせたのは、ヤカ村が魔獣の襲撃を受けた夜の出来事と、ソキ村に来てからの日々だった。
話の中心は、
そのことから、少年の世界の中心が自分自身ではなくトウマなのだということが、手に取るように分かる。
聞き手に徹していたフェリドだったが、興味が湧いてきて口を出さずにはいられなかった。
「レグたんとトウマさんはいつ出会ったの? 随分長い付き合いみたいだね」
一見よく似たレグルスとトウマ。兄弟だと言われれば疑いなく信じてしまうだろう。しかし、肌や髪色、瞳の色など、よくよく見比べれば似て非なるものだ。そうなれば二人の始まりが気になってくるのは道理だろう。
問われたレグルスはトウマへと視線を投げるが、相手は変わらず寝息を漏らすばかりだ。それを見てひとつ溜息を吐くと、レグルスは並々注がれた葡萄酒を一気に
「・・・何も覚えていないんだ」
唐突な言葉だった。
あまりに唐突で、フェリドは「へ?」と間抜けた声をあげながら、空になったレグルスのカップに葡萄酒を注ぎ足す。
レグルスは揺れる葡萄酒の湖面を見つめ、ぽつりと言った。
「ないんだ。・・・幼い頃の記憶」
「・・・記憶?」
自らの杯を満たしていたフェリドの手が止まる。
「ソレって、記憶喪失ってこと?」
内心動揺するフェリドに対し、レグルスは平然と頷いた。赤い眼差しを葡萄酒から暖炉へと移し「多分、四歳とか五歳とか、そのくらいの頃」と口を開いた。
「俺の一番古い記憶は、
誰かに抱えられて、ひたすら炎から逃げてた。
自分を抱えて逃げてるこの人は誰なのかなって考えてるうちに、
自分の名前さえ分からないことに気付いたんだ。
・・・凄く、怖かった。
俺を抱えて逃げてたのがトウマだった。
トウマの姓はフダイ。
トウマは炎使いで、フダイ一族は魔族との戦いで滅ぼされたんだ。
トウマは、その生き残り。
トウマはさ、出会ったころから力持ちで、足が速くて。
幼い俺を抱えてあっという間に戦火を逃げ切ったんだ。
安全なところまで辿り着いて、俺に水を飲ませてくれて。
生きてるって心地がした。
でも、そんな安心感は一瞬にして消え去った。
ここはドコ?
あなたはダレ?
ぼくは、ナニモノ?
生きてるって現実を突きつけられて、また怖くなった。
『何も分からない』って
その時のトウマの顔は忘れられない。
すごく、傷付いた顔してた。
泣くばかりの俺にトウマは言ってくれた。
『これからは、俺がお前の兄貴になるから』って。
力強く抱きしめてくれた。
・・・光だった。
トウマは、突然真っ暗闇に叩き込まれた俺に差し伸べられた光。
そこから、俺は始まったんだ。
何もなくて、何も分からない。そんな俺にとって、トウマが全てだ」
口をつぐんだレグルスの手が震えている。フェリドは、まだ葡萄酒の残るカップをレグルスの手から取り、物が散乱したテーブルの隙間へ押し込んだ。
少年の顔を覗き込めば、潤んだ瞳が強く暖炉の火を睨みつけている。
「・・・トウマを、死なせたくない」
涙は出ていない。しかし言葉は泣いていた。
少年が唇を噛み締めた途端、唇がプツっと音を立てて食い破られる。その隙間から血が
フェリドは乾かしていた布を手にとってレグルスの顎を拭き、口元を押えた。
烈火の火の粉が燃え移り、赤い雫となって静かに流れた光景に、フェリドの肌が
何も言えないフェリドの手から布を受け取り、レグルスは顔を
まだ成長の途中にあるレグルスの細い背中が、微かに震えている。
火傷しそうな彼の激しさを垣間見て、フェリドは恐々、その背に手を添えた。
少し高めの体温を手のひらに感じながら、ゆっくりと擦ってみる。
まるで親とはぐれた魔獣の子を相手しているかのように思えてきた。
トウマは微動だにせず、昏々と眠り続けていた。
―― 今この子に必要とされてるのはアンタだよ、
早く目覚めてよ、トウマさん・・・。
レグルスに、何もしてやれない・・・。
そんな歯痒さを抱えたフェリドの想いなど知る由もなく、青年は眠り続けていた。
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