第15話 覚 醒




 小屋を飛び出したレグルスは、ラデンカの巨木へと駆け寄った。

 花の散ったラデンカの木が、青々と茂らせた葉を風に身を委ねてこすり合わせている。風に舞った後の花弁が、地面を真っ赤に染めていた。

 そんなラデンカの根元に、深紅の花布団にくるまれながら、無言で座る人影があった。

 その正体を知った瞬間、レグルスの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。 


「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」




 悲鳴とも、怒号ともつかない声が天を切り裂く。

 レグルスの後を追って来たレマとフェリドの足が、少年のものとは思えない叫び声に足を止めた。

 そして、フェリドはその目に映った光景に、更に驚愕させられた。

 目の前の巨木に背を預ける様にして、亡骸があった。

 既にこの世のものでないことは一目瞭然だった。

 その遺体は、いにしえの王が陵墓に眠るかのように、腐敗や崩壊した様子を微塵も見せていなかった。

 眠りながら逝ったかのような穏やかな顔だった。頬がこけ、目は落ちくぼみ、干からびた唇から歯が剥き出しになっていたが、一目見て、生前の男ぶりを想像できる程には整っていた。

 

 しかし、これは一体どういうことだろう。

 この遺体は、いつ、どこから現れたというのか。

 フェリドは瞬時に記憶を辿った。

 昨日は雨で視界が悪かったとはいえ、このすぐそばを通って小屋を訪れたのだ。人間の遺体があれば、気付かないはずはない。今朝とて、この木の下を行き来したが、遺体どころか人影も目にしなかった。

 突如として現れた遺体に困惑を隠せないフェリドの前で、レグルスの身体がくずおれる。その背中を、嗚咽おえつに震わせながら絞り出された言葉に、フェリドは耳を疑った。

 

「・・・ト・・・ァ・・・、・・・トウマ・・・っ」


 力なく地面に伏したレグルスは、泣きわめきながら木乃伊ミイラと化した遺体にすがりついていた。


「な・・・んで。っなんで!

 助けてもらいたかったのは俺じゃない!!

 どうしてトウマを助けてくれなかったんだ!!!

 トウマ! トウマ!! トウマぁああああああああああああああ!!!」


 レグルスはトウマの名前を叫びながら、狂ったように泣き叫んでいる。

 フェリドはその様子を見て困惑し、レマを振り返った。

 レマは動じた様子もなく、真っ直ぐにレグルスを見つめている。

 状況が飲み込めず、泣き喚くレグルスに困惑するしかできなかったフェリドに、レマがそっと告げた。


「残酷だが、これが真実だ」

「・・・これって・・・」

「トウマの遺体は、ずっと此処にあったんだ」

「どういうこと?」

「トウマの遺体は、ラデンカの精霊の力で、人の目から隠されていた。

 ・・・彼は既に、息を引き取っていたんだ。此処で。」

「精霊が、何故そんなことを・・・」

「・・・それが、精霊なりのレグルスを守る方法だったのだろう。

 自らの庇護のもとに留まらせる為、トウマの振りをして幻覚を見せ続けた」


 精霊にとっては、そうする理由があったのだろう。

 しかし、レグルスのこの悲しむ様を目の当たりにしてしまったフェリドには、それしか方法はなかったのかと、疑問ばかりが胸に沸き起こった。


「レマはさ、気付いてたんだね。此処に来た時から」


 この丘を訪れた際、レマがとった行動を思い返して、フェリドが言った。

 レマは静かに頷いた。

 精霊使いである彼には、全てが見えてしまっていたのだろう。

 無表情を保ってレグルスを見つめ続けるレマの姿が、フェリドの目には痛々しく映った。

 

「あのさ、レマ」


 そんなレマの肩に触れようとした、その時だった。

 

 レグルスの泣き声が、うめき声へと転じる。

 フェリドもレマも、耳を疑った。

 その声が、普段のレグルスからは想像もつかない、獣じみたものだったからだ。


 狼が喉を震わせるように低くうめきながら立ち上がったレグルスが、右腕を振り上げると、次の瞬間、巨大なラデンカの幹へと拳が叩きつけられた。

 鈍い音が鼓膜を揺らし、レグルスの手から鮮血が飛び散る。それが、突きの激しさを物語っていた。

 とても華奢なレグルスが放っているとは思えない拳の強さに、フェリドもレマも驚愕する。

 その間にもレグルスは、二発、三発と、ラデンカの幹に拳を叩きつけた。

 そして、次いでレグルスが四発、五発と拳を叩き込んだ瞬間、ラデンカの巨木に亀裂が入る。

 

「・・・っ!」


 途端、レマの耳を、大地を揺るがすような凄まじい悲鳴がつんざいた。

 ラデンカの精霊の声だ。

 フェリドにも、そしてレグルスにも聴こえてはいない。

 精霊の声を聴くことが出来るレマにだけ、ラデンカの悲痛な叫びが届いたのだ。

 このままでは、ラデンカの精霊の力が弱まってしまう。

 ラデンカは、この土地の守り神だ。

 力が弱まることは、この土地の危機を意味する。

 それだけはあってはならない。

 レマはすぐさま、レグルスの元へと駆けだした。

 ラデンカの幹へ拳を叩き続けるレグルスを背中から抑え込み、血まみれの拳を握りしめる。

 しかし次の瞬間、レマの腕は振り払われた。


「・・・っ!?」


 想像もしていなかった凄まじい力に吹っ飛ばされた腕が、激しい痛みを訴える。

 レマが顔を歪め、右腕を庇って体制を整えると。 


「うがぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 レグルスが、雄叫びを上げた。

 獣のようにかぶりを振り、レマを睨みつけた眼がギラリと光る。

 

 レマは息を飲んだ。

 こちらを見るレグルスの眼差しは、明らかな敵意を向けていた。

 しかし、それだけではない。レグルスの瞳の色が、黒ずんだ金色へと変色していくのを、レマは見逃さなかった。

 その猛々しい眼光は、まるで獣だった。 

 

 ―― この変貌へんぼうは一体・・・?


 その困惑が、レマに隙を作った。

 気付けばレグルスはレマを捉え、腕を振り上げていた。


「レマっ!!!」


 フェリドの声が届いた時には、レマの身体は、振り下ろされたレグルスの拳をまともに喰らい、地面に叩きつけられていた。

 余りの衝撃に一瞬気を失ったレマは、次いで髪を鷲掴みにされて気が付いた。そのまま吊し上げられる。

 この少年の何処にこんな力が隠されていたのだろうか。

 危機的状況の中、思考は妙に冷静になっていた。

 先刻の一撃を受けて、もう抵抗する力は残っていない。

 覚悟を決めるしかあるまいと、奥歯を噛みしめたレマの耳元で、ピアスが激しくきらめいた。その意図を感じ取ったレマが、「やめろ」と小さくうめく。


 ―― ・・・出てくるな、部外者アウトサイダー・・・。


 レマが残された力でピアスを強く握り締めた瞬間、鳩尾みぞおちに強烈な一撃をお見舞いされた。






 目前の光景に、「これは悪夢か」とフェリドは目を疑った。


 レグルスの一撃を受けたレマの身体が吹っ飛び、地面を木の葉のように転がされる。それを制止させたのはリルーだった。

 それまで小屋の前で待機させられていたリルーが駆け出し、レマの服の裾をくわえ、なんとかその場に押しとどまらせる。

 レマは力なく両手足を投げ出していたが、リルーが頬を舐めると意識を取り戻し、弱々しく咳き込みながら体を折り曲げ、腹部を抱えてうずくまった。

 リルーの機転を褒めてやりたいフェリドだったが、そんな暇はない。

 レグルスの敵意は、レマを吹っ飛ばした次の瞬間から、傍にいたフェリドへと転じていたからだ。

 魔獣のような形相をしたレグルスから、嵐のような拳が繰り出される。

 フェリドはそれをかわしながら、目前のレグルスの顔付きや容姿が、目に見えて変わっていく様にゾッとした。

 ハッハッと息を吐くレグルスの唇の隙間から、牙が覗き始めた。腕や首筋の血管が盛り上がり、攻撃の速さが増してゆく。手の爪は鉤爪かぎづめに変化し、目はつり上がり、頬と二の腕に鱗のような模様が浮かび上がった。


「ナニこれ!!」


 フェリドが堪らず叫ぶと、不意に攻撃が緩んだ。

 体制を整えるフェリドの前で、レグルスが前屈みになって呻き出す。

 頭を抱えて痛みに耐えるようにうなると、途端、肩甲骨が盛り上がり、骨が突き出てきた。それは見る間に天に向かって伸びてゆき、ついにはドラゴンの翼を成した。


「うっそ!!」


 レグルスは生まれたばかりの翼を羽ばたかせると、風を呼び寄せ、一瞬にしてフェリドの目前へと迫り、高い位置から蹴りを繰り出す。

 フェリドは戸惑う暇さえ与えられず、すんでのところで防御した。しかし、凄まじい蹴りを受けた腕は悲鳴をあげ、裂傷が走り、鮮血がぼたぼたと音を立てて地面を濡らす。

 途端、視界の隅に白い物を捉えて、フェリドはすぐさま声を張り上げた。


「リルー! 来るな!」


 主の危機的状況を見て駆け付けようとしたリルーは、いつになく厳しい指示の声に、ピタっと足を止めた。リルーは低く構えて唸りながらも主の命に従い、じりじりと後退し、うずくまるレマの元へと戻る。

 まだ子供のリルーでは、今のレグルスに太刀打ちできない。しかし、フェリド自身、もう一人ではあらがいきれなくなっていた。


「仕方がないっ」


 フェリドは、自らの流血を利用し、詠唱し始めた。


『我が血をしるべに、来たれ!

 ダンテ! われっ、なんじを召喚す!』


 フェリドの瞳が瞬時に薄紫色へと変わる。動き回るフェリドに追従する影がぼこぼこと沸騰し、一際大きな泡がいた。地面がゴボッとうめくと、黒く大きな影がフェリドとレグルスの間に身をさらした。


「ダンテ!」


 召喚されたのは、幻獣だった。

 その容姿は、黒い毛皮に二本の大きな角を持った犬だった。しかし、体躯たいくは牛ほどもあり、赤く燃える眼は二対ある。そして、豊かな尻尾の先には黒い炎を宿していた。背にはくらを付けているが、フェリドはその背には乗らず、ダンテに叫んだ。


「ダンテ、あの子をあまり傷付けないようにしながら相手して!」


 難しい注文だったが、フェリドの指示通り、ダンテは爪も牙も立てず、レグルスへと体当たりを喰らわせた。

 レグルスはよろめいたが、翼を羽ばたかせてすぐに体制を立て直す。

 攻撃を受け、レグルスの標的はダンテへと変わった。

 レグルスが吠えると、ダンテは二本の角を振りかざして突進する。

 フェリドはその隙をついてレグルスの背後へ回った。

 ダンテが角の弧状こじょう部分でレグルスに打ち身を喰らわせた瞬間を狙い、フェリドがレグルスの首を羽交い絞めにする。

 不意を突かれたレグルスは激しくもがき、首を絞めるフェリドの腕を両手に鷲掴むと、次の瞬間噛みついた。


「いったぁああああああああああああああああああ!!!」


 牙と化したレグルスの犬歯が、腕の皮を破って肉に喰い込む。フェリドは堪らず声を上げた。それを聞いたダンテが、再びレグルスの腹部に角を繰り出す。

 

「カハッ」


 ダンテの攻撃をまともに喰らったレグルスは、フェリドの腕を吐き出した。

 好機だった。

 フェリドは解放された腕の痛みをこらえながら、レグルスの脇の下へと手を入れる。

 しかし、一瞬体が自由になったその隙に、レグルスはダンテの角を両手に鷲掴んでその巨体を宙に浮かせた。フェリドが目を見張った次の瞬間、角を掴まれ自由を失ったダンテの身体が投げ飛ばされた。

 土煙を上げながら地面を滑ったダンテの巨体は、レマの真横を通過して止まった。

 

「コレ!

 ヤバ過ぎ!!」


 フェリドは大声で悪態を突きながら、今度こそレグルスが身動き取れない様にと、脇の下から肩に手をまわして羽交い絞めにする。

 そのままレグルスの右足を払って前方へ押し倒し、全身を使ってレグルスを地面に押し付けた。手加減している余裕など、うになくなっていた。


「もうお願いだから! 

 正気に戻って!」


 フェリドはレグルスを押さえ付けながら、必死に叫んでいた。

 このままレグルスが暴れ続けるならば、最悪、レグルスを手に掛けなくてはならない。

 幸い、更なる幻獣を呼び出すには充分の血が大地に流れていた。

 あと二体も召喚すれば、レグルスの息の根を止められるだろうか。

 そんなことを考えながらも、フェリドの脳裏にはレグルスとの思い出が蘇る。

 暖炉の前で、楽しくさかずきを交わした。

 辛く寂しい想いを打ち明けてくれた。

 あどけない寝顔を見せてくれた。

 そして、最愛の人の死に傷付いた。

 そんな少年を、自らがあやめなくてはならないのか。


 ―― そんなの、絶対にイヤだ。


「戻ってよ、レグルス!

 正気に戻って!

 ・・・ッ 戻れぇえええええええええええええええ!!!」


 フェリドは、焦りと怒りの衝動にかられ、咽喉のどが張り裂けんばかりにわめきながら、全力でレグルスを抑え込んだ。

 その為、徐々にレグルスの身体から力が抜け、翼が鳴りを潜めてしぼんでいっているのに気づかなかった。

 

 わめくフェリドの下で、レグルスの牙は瞬く間に消えていった。

 翼は肩甲骨へと戻り、鉤爪は縮んで丸みを帯び、頬と二の腕に浮かび上がっていた鱗のような模様が姿を消す。

 ギラギラと輝いていた金色の瞳は元の赤に戻り、焦点が合った。


「・・・い、たい・・・フェリド・・・っ」


 その微かな声を聴いて、フェリドは我に返った。

 すぐさま、腕の力を緩める。


「レグたん・・・?」


 解放したレグルスは、あの化け物じみたものではなく、見覚えのある華奢な少年へと戻っていた。

 フェリドは、自らの手をレグルスの血で汚さずに済んだことに、心から安堵した。

 しかし、新たな謎も生まれた。


 ―― ・・・この子、一体ナニ・・・?


 正気を取り戻したレグルスは、何も覚えてはいなかった。

 全ては己が引き起こしたこととも知らず、この惨状に震えている。


「後で、説明するからね」


 フェリドはそう言い置いてレグルスに背を向けると、真っ直ぐにレマの元へと向かった。

 何はともあれ、まずはレマの手当てが先決だろう。

 レグルスに、事の経緯をどう説明するかは、後で考えればいい。

 フェリドの顔に、笑みが戻る。

 レマを抱きかかえた腕の傷から血が伝い、ひじからぽたぽた落ちて地面を汚す様を見て、「そうだ、自分の手当てもしなくちゃ」と、フェリドは他人事ひとごとのように思った。

 

 





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