第14話 真 実







 トウマが、死んだ。






  ***




 気が付くと、小屋の外にいた。

 体が動かない。

 わめく声がうるさい。

 その声がフェリドのものだと分かった時、自らの置かれた状況に気が付いた。




 レグルスは、フェリドに羽交い絞めにされ、地面に押し付けられていた。

 肩甲骨けんこうこつの辺りが鋭い痛みを訴えている。

 それ以外にも、フェリドに押さえつけられた部分がミシミシと音を立てそうな程たわんで、痛くて仕方がなかった。

 痛みの所為せいで、フェリドが何を叫んでいるのかまるで理解出来ない。


「・・・い、たい・・・フェリド・・・っ」


 肺に十分な空気を吸い込めなくて、それだけうめくのがやっとだった。

 フェリドの力は、即座に緩んだ。


「・・・レグたん・・・?」


 体を拘束していた腕が解けると、レグルスは激しくむせながら必死に空気を吸い込んだ。視界がぐるぐる回って、しばらく目を開けていられない。

 フェリドに押さえつけられていた時の痛みは次第に治まったが、肩甲骨の痛みは治まらなかった。

 ようやく呼吸が落ち着いて瞼を開くと、フェリドが眉根を寄せながら、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「ホントに、レグたん?」

「・・・え?」

「正気に戻った?」

「・・・なん・・・の、こと?」

「・・・覚えてないの・・・?」


 うつぶせたまま、何が何だか分からないレグルスを、フェリドが手を貸して起き上がらせる。そのまま地面に座り直そうと手をついた時、レグルスに衝撃が走った。


「・・・っ!!」


 自らの両手が血にまみれていたのだ。


「・・・なに、これ・・・?」


 怖気おぞけが走って全身があわ立つ。

 血に汚れているのは両手だけではない。身体からだにも飛び散っている。

 地面にも点々と血痕が続き、それを辿って行った先に、誰か倒れていた。


「・・・え?」


 レマだった。

 蒼く長い髪が散らばり、腹部を抑えた状態で、地面にうずくまっている。

 その少し離れたところに、牛が寝転んでいた。

 否、良く見ればそれは牛などではない。

 角が見える。 

 魔獣のたぐいのものだった。

 疲弊した様子の魔獣は、荒い呼吸を繰り返しながら倒れ込んでいる。その傍らでリルーが、魔獣の口元を必死になって舐めてやっていた。


「っ・・・なに・・・何っ!?」


 凄惨せいさん有様ありさまを目の当たりにして、レグルスの全身が震え出した。

 ガタガタ震えるレグルスの肩に、フェリドがそっと両手を置く。

 見れば、フェリドの両腕も血塗れていて、レグルスは「ひっ」と声を飲んだ。


「・・・ホントに覚えてないんだね・・・」


 フェリドの声には、何の感情も感じられなかった。


「後で、説明するからね」


 そう言って笑い、レグルスの肩をポンポンと叩くと、フェリドはぽたぽた血の雫を垂らしながら、レマの元へと駆けて行った。

 フェリドの真っ赤に染まった腕に、レマのぐったりとした体が抱き上げられる。その細い手足がだらりと力なく垂れ下がっている様子は、衝撃だった。

 レグルスは、自分の置かれた状況が全く理解出来なかった。

 妙に頭がぼんやりとしている。

 フェリドがレマを抱えて小屋へと連れ行く様子を見送りながら、レグルスは漠然と思った。


 ―― あんな状態のレマを床に寝かすわけにはいかない。

    でも、寝台ベッドにはトウマが・・・。


 そう考えた途端、レグルスの胸中に違和感が生まれた。 

 じわじわと、奥深いところに封印されようとしていた情景が、脳裏に湧き上がってくる。

 おぞましい虚像と、辛辣しんらつな真実。

 それらの記憶がゆっくりと思い出され、レグルスの眼から光が消えた。

 

 のっそりと立ち上がったレグルスは、蘇った記憶を辿りながらふらふらと歩き出す。

 辿り着いたのは、赤い花を散らせるラデンカの足元だった。

 レグルスの無気力な瞳に映り込むのは、大木の太い幹を背に横たわり、赤い花びらに覆われて埋め尽くされた、遺体だった。


「・・・トウマぁ・・・」



 レグルスは、ラデンカの花びらの中にくずおれ、最愛の人の名を呼びながら、半分ミイラと化した遺体に縋りついた。

 涙が止めどなくあふれ出す。

 涙越しの世界に、動かなくなったトウマがおぼれていた。

 トウマの投げ出された手足は干からびて痩せ細り、肌は数多あまたしわに覆われ、ラデンカの木肌に同化するほど黒くなっていた。


「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」


 レグルスは、トウマの痩せこけた頬を指先でさすりながら、ただひたすら謝り続けた。


「・・・ごめんなさい、トウマ・・・気付かなくて・・・ごめんなさい・・・」


 レグルスの流す涙の雫が、乾ききったトウマの肌に落ち、スッと吸い込まれていった。


 

 



  ***

 



 時は、少しさかのぼる。


 


 森から駆け戻ったレグルスは、後から遅れて来たフェリドとレマを古い仮住まいへと招き入れた。

 小屋の窓は小さく、昼間なのに薄暗い。

 日が昇り、少しづつ春の訪れを思わせている屋外とは対照的に、薄壁一枚でしか隔てていないはずの屋内は、まるで時が止まっているかのように寒々しかった。

 揺らめく暖炉の灯りの中に埋もれるようにして、トウマは眠っていた。

 三人が寝台ベッドの傍らに立つと、トウマを照らしていた暖炉の灯りを遮ってしまい、その顔が薄闇の中に吸い込まれる。

 レグルスはランプに火を灯そうとしたが、レマがそれを制して口を開いた。


「いつから、この状態に?」

「ひと月前から」

 

 レグルスは答えてから、ふと眉根を寄せた。

 レマの表情が硬い。

 否、それだけではない。

 きらびやかな眼帯で顔の右半分を隠したレマが、恐ろしく冷たく見えた。何の感情も読み取れないその顔は、美しく整った彫像のようだ。

 レグルスは無意識に、左手で右の二の腕を擦っていた。 

 泉で相対していたレマと今のレマとの違いに戸惑い、それまでの浮かれ気分が一気に消し飛んでしまった。

 

 胸がヒリヒリと痛み出す。


 ―― ・・・まさか、手遅れ・・・ってことは、ないよな・・・。

    ・・・もし、治癒魔法をかけてもらえなかったら、どうしよう・・・。


 そんな不安が去来きょらいする。


「ひ、左肩を打撲、右足を骨折してるんだ。一カ月も経っているのに治らなくて・・・。あと、脇腹に深い裂傷があって、これも治りが遅いんだ。傷口が膿んだり、熱を持ったりってことはないんだけど・・・」


 レグルスは不安を払拭ふっしょくするように傷の説明をするが、レマの表情は変わらない。

 言葉を重ねれば重ねるほど不安は大きくなった。

 レグルスは救われたい一心で、レマを振り仰ぎ、口を開いた。


「トウマの傷、診てくれないか?」

「その必要はない」


 帰ってきた言葉に、口が渇いた。


「じゃあ、治癒魔法は?」


 そう聞き返せば、トウマを見つめていたレマがレグルスへと視線を転じた。

 えとした蒼い瞳を真っ向から受け、レグルスの咽喉のどがクッと鳴る。


「その前に、やることがある」


 思いがけない言葉だった。

 訳が分からず、救いを求めるようにフェリドへと視線を投げる。しかし、フェリドもレマの真意が見えないらしく、レグルスに向かって大げさに「分からない」と言うジェスチャーを返してきた。

 レグルスが視線を戻すと、レマは既に寝台ベッドの傍らに膝をつき、眠るトウマの胸元へと右手をかざしている。


「何するの?」


 問いかけるレグルスの声が不安でかすれる。

 レマは視線を伏せたまま口を開いた。

 

「すまない。私には、この状況を上手く言葉にすることが出来ない。だが、もうこのままにはしておけない」


 伏せられていた視線が上げられ、レマの蒼い左目が、レグルスを貫く。

 途端、不思議な現象が起こった。

 レグルスの脳裏に、レマの胸内が映り込んできたのだ。

 

 憂い、悲しみ、絶望を感じながら歓喜にわめく。

 様々な感情が乱立する中、希望と絶望の狭間で行き場を無くし、もだえ苦しむ、混沌とした心情の風景が、レグルスの目蓋まぶたの裏に焼き付いく。


 それは一瞬の出来事だったが、まるで嵐が傷跡を残すようにレグルスの心に留まった。

 とても頭で理解できるものではないが、心では感じ取れた。

 指先から痺れが走り、両腕が鳥肌立つ。

 

 ―― ・・・今の・・・幻覚・・・?


 困惑したままレマを見やると、彼は突き放すように言った。 


「真実を受け入れる覚悟を持ってくれ」


 その言葉には、強い気迫が感じられた。

 レマは、寝台ベッドに横たわるトウマの胸にかざした右手に左手を重ねる。そして短く息を吐くと、薄く瞼を閉じ、精霊にうたい出した。


 聞き馴染みのない言語と澄み切った歌声が、薄暗い小屋の中に響き渡る。

 声に呼応するように、暖炉の火が静かに燃え上がった。

 窓を開けていないのに風を感じる。

 床や壁、屋根の板が微かにきしむような音を立てながら、ぼんやりと光を宿し始めた。

 室内全体が蛍の明かりのような淡い光を放っている。

 その光に呼応するように、トウマの身体までもが光り出した。

 

 やがて、穏やかに揺蕩たゆたう不思議な調べをうたい終え、レマが手をおさめる。

 と、寝台ベッドの上の身体からだが光の中に浮かび上がり、スッと起き上がった。


 レグルスは喜びに顔をほころばせたが、それは束の間だった。


「え・・・?」


 淡い光の中に上体を起こしたのはトウマではない。

 女性だ。

 細い四肢に、白く透ける肌、鮮烈な赤い瞳がレグルスを見つめ、薄紅に透けた髪が空中を漂っている。


 見知らぬ女を目の前に、レグルスが固唾かたずを飲む。と、その女がふわりと微笑んだ。


 ―― ・・・あれ・・・?


 その微笑みを、何処かで見たことがある。

 記憶を辿ろうとしたその時、レグルスの鼻先に風が触れ、甘い香りが鼻腔びこうをくすぐった。

 ラデンカの花の香りだ。

 途端、ある光景が蘇った。

 ラデンカの木を前に、トウマとラデンカの精霊が対峙たいじする、美しくも悲しい、あの夢の光景。

 

 ―― ・・・っ!


 間違いない。

 彼女は、一昨日の夢に現れた、ラデンカの精霊だった。


 精霊が、白く細い手をレグルスへと伸ばしてくる。

 そのてのひらが、レグルスの頬を容易く包み込んだ。

 レグルスが息を飲むと、精霊は寝台ベッドの上から身を乗り出し、その額へと口づける。


 途端、小屋の外で、風が轟轟ごうごううなりだした。

 ガタガタと小屋全体が鳴り、豪風が窓や扉を無理矢理押し開け、赤い花吹雪が室内へとなだれ込む。

 

 暴風を避けて顔を覆った腕の隙間からレグルスが見たのは、ラデンカの精霊の姿が一瞬にして花びらへと変化し、霧散するさまだった。

 花弁はそのまま蝶のように乱舞し、どっと小屋の外へと飛び出してゆく。

 風がおさまった室内は、まさに嵐の後だった。

 物が散乱し、暖炉の火は消え、空っぽの寝台には数枚の花びら横たわっているだけだ。


 白昼夢でも見せられた様な心持ちのレグルスが、ぼんやり窓の外へ投げた視線の先には、花びらが全て落ち、足元を真っ赤に染めたラデンカの木が、静かに佇んでいる。


「・・・コレ、どういうこと?」


 呆然と立ちすくむ彼らの沈黙を破ったのはフェリドだった。

 レグルスは呆然としたまま寝台を見下ろし、やがてゆっくりとしゃがみ込みんだ。そして、先刻までトウマが眠っていたはずの寝台に手を滑らせる。

 ぬくもりさえ感じられなかった。


「全ては、ラデンカの見せていた幻覚だったんだ」


 乱れた髪をかき上げながら、レマが言う。


「幻覚?」

  

 フェリドが聞き返すと、レマはフェリドに頷いた。


寝台ベッドに眠っていたのはトウマじゃない。

 ラデンカの精霊が、トウマに成り代わっていたんだ」

「それって、いつから?」

「恐らくは最初から」

「なんで、そんなこと・・・」

「・・・事情は分からないが、精霊なりにレグルスを護っていたのだろう」

    

 二人の会話を黙って聞いていたレグルスは、レマの「護っていた」という言葉に顔を上げた。脳裏に、夢の光景が蘇ってきた。


 ・・・ラデンカ・・・。

 ・・・どうか・・・、

 ・・・レグルスを・・・守って・・くれ・・・。


 血まみれのトウマが、ラデンカの精霊に懇願こんがんした言葉。

 その約束を、ラデンカの精霊が守ったというのか。

 そして、夢の中でトウマは、ラデンカの木の根元にそっと横たわった。

 もしかして、あれが夢ではなく、ひと月前の状景じょうけいを見せられていたのだとしたら。


 「・・・ッ」


 レグルスは弾かれるように立ち上がり、小屋の外へと駆けだした。



 


  

  


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