第3話 落ちぶれズボラ姫(二)

 旱魃が起こっているのは京の都だけだ。都の外ではちゃんと雨が降る。


 ──どうも比瑛ひえいの龍がおかしい


 京の都の水源はその東を流れる花藻川かもがわだ。その川は、都の東北に聳え立つ比瑛山のふもとから流れてくる。その比瑛山には龍が棲んでおり、夏に花藻川が枯れそうになっても、帝が祈雨祈願をすれば龍がそれを聞き届けて雨を降らせ川の流れを復活させてくれていた。


 ところがおととしの夏に旱が起きたので帝が懸命に祈ったのだが効果はなく、昨年もだめだった。


 そこで帝は百年ほど前に雨乞いに成功した高徳の僧を頼ってみた。正確に言えばこの僧は既に死去しているため何か解決する術が弟子に伝わっていないか問い合わせたのである。


 勅使が到着したその夜。弟子の僧侶の筆頭が夢を見た。その高僧が現れてお告げをしたのだという。「龍を呼ぶ姫君を妃となされば、旱のお悩みが解決することになるでしょう」と。


 帝はすぐにその妃となるべき女君を探すように命じ、それからもう一つ、聖断を下した。譲位だ。なぜなら、今の帝は女帝であり、龍呼ぶ女君が現れても「妃」とすることができないからだった。


 芙貴は倫道の住む家人用の殿舎に行き、仕事で留守の部屋から水干を拝借してきた。外に出るならこういう少年の格好の方が断然動きやすい。菫が片づけてくれたおかげで歩きやすくなった自分の局で着替え、そして鏡に向かって髪を結おうとしていると菫が呼ぶ。


「貴女の鏡は磨いてないから見えにくいでしょ。私のを使って。髪も私が結ってあげる」


 芙貴はありがたく菫の鏡台の前に座る。ああ、鏡ってきちんと手入れしてればこれほど鮮明に映るのか。ズボラな芙貴は久しぶりに自分の顔をしっかりと見た。瞳の大きな芙貴の顔は仔猫に似ているとよく言われるが、鏡の中の今の顔は前より大人になってしまったように見える。まだ大人になんてなりたくないのに。


 菫が髪を結い上げるのに少し苦戦中だ。


「ねえ、もうそろそろ男の子の格好は無理じゃないかな。髪も女房仕えのために伸ばしているでしょう? 男の子にしては長過ぎよ」


「ん……それは分かってる。でも……」


 昔から芙貴は倫道と同じ格好をして連れ立って外を歩くのが好きだった。できればこれからだってそうしたい。


「あのさ。いつまでも倫道と一緒には過ごせないわよ。大人の女君は簡単に外をうろつかないものなんだから」


「だけど……」


「私も男にフラれたけど、貴女だって倫道から妹として愛してるけど女としては見られないってはっきり言われたんでしょ?」


「うん、まあ……フラれたんだよね。私も」


「まあ、貴女の場合は別に貴女に原因があるんじゃなくて、倫道自身の成育歴が歪なのが問題なんだけどね。だから妹のような芙貴を大切にしたくて手を出せないわけで」


「でも、私は倫道と夫婦になりたかった……」


「しょうがないわよ。貴女が夕べ私を励ましてくれたじゃない。失恋を忘れるためには次の男を探せって」


「う、うん」


「貴女はさ。顔も可愛いし、頭の回転も速くて明るい性格だもの。もう少し女君らしく淑やかにしてればきっとモテるわよー。血筋だって、本来だったら私が友だち付き合いなんかできないほどいいんだし」


「本来つっても、ウチだって祖父の代からパッとしないけどねー」


 芙貴の曽祖父は大納言まで昇ったそうだが、その三男坊だった芙貴の祖父は晩年にようやく参議になれただけ。そして父は受領どまりだ。しかも芙貴が六歳のときに妻ともども流行り病でなくなってしまった。


 この時点で芙貴は路頭に迷ったわけだが、現在曲がりなりにも大きな邸宅の住み込み女房として生活できているのは、六歳年上の倫道のおかげだ。もともと父の邸宅の家人だった彼は、他の使用人が見切りをつけて散り散りになる中、お仕えする姫君だった芙貴を引き取って生きのびる手立てを探してくれた。この邸宅に働き口を見つけられたのも、萩内侍に彼の伝手があったからだ。


 二人きりで生きていく中でいつしか主従というより実の兄妹のような仲になり、そして芙貴にとって頼もしい倫道は初恋の男君なのだ。片思いだけど。


 菫が「できたわよ」と一息ついたのに、芙貴は礼を言い、そして思いついた冗談を言ってみた。


「外に出かけたら、イイ男との出会いがあるかもねー」


 菫は首を横に振る。


「外は庶民か東国から来た男がうろついてるだけじゃないの。ちゃんとした貴族の男君に見初められたきゃ、床しい女君として評判になって、文を貰って通ってきてもらわなきゃ。そんな男の子の格好なんかしてる場合じゃないよ」


 分かってる。人間はいつまでも子どもでいられない。大人の女君は垂髪に大袖の衣を着て、殿上の御簾の内側で過ごし、和歌など詠んで男君と結婚して暮らしていくものなのだ。


 嫌だなあ。倫道より好きになれる男君なんているとも思えない。なら、ずっと気楽な子どもでいたい。


 もちろんこんなことを口にできるわけもなく、芙貴は「ま、とにかく行って来ます!」と局を後にした。

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