清涼殿の月

第74話 清涼殿の月(一)

 佳卓は並んで座る東宮様とその妃を見つめながら、清穏帝とその想い人であった女君を思い出していた。


 清穏帝はおいたわしいお生まれだったと佳卓は思う。己の幼女趣味を満たすためだけに帝位を簒奪した男を父に持ち、その血を絶やすことを人生の目的とされていた。七條家から入内した母君は早くに亡くなり、父帝は次々と幼女を探すことにかまけて父親らしい愛情を清穏帝に向けることがなかった。


 病弱なお体を持て余しながら清穏帝は青年となり、父帝の没後に帝位につくと、錦濤におられた嫡流の姫宮を東宮としてお迎えになった。


「これで私も畢生の大事業をやり遂げた気がするよ」と年寄りのようなことをおっしゃる清穏帝は当時まだ十代の後半に過ぎず、この方にとって生きる甲斐とは何だろうかと佳卓は気の毒に思ったものだ。


 佳卓が「錦濤の姫宮はまだ御年十歳。東宮となられても、帝に即位するまでまだまだ時間はございます。主上がお教えなさることも多くございましょう」と申し上げると、清穏帝は「それもそうだね」と微笑まれたが、その笑みはまだ弱々しいものだった。


 錦濤からお越しになった十歳の姫宮はとても朗らかで闊達な少女でいらした。


 その傍に仕える女武人翠令との縁で、佳卓も当時から親しく姫宮のご様子を拝見してきたが、好奇心豊かなご気性で、錦濤では大陸から伝来した珍しい文物をたくさん目にしてお育ちになり、それを面白おかしく人に話すのもお上手だった。そして京の都で目にするものにも活き活きとした感想をお持ちになった。美しい装束を見れば「とても綺麗ね!」と喜ばれるし、洗練された詩歌や手蹟にも年齢相応に興味を示され、それを周囲に率直に語られる。


 清穏帝はこの姫宮の愛らしさをお気に召した。


 同時に、錦濤の姫宮も清穏帝を慕っておられた。姫宮も両親を早くに亡くし、物心ついた頃には錦濤の街で他人に囲まれてお育ちだった。周囲の人々に愛されたとはいえ、自分が生まれる前のことを誰も知らないのは心許ないお気持ちでいらしたらしい。


「主上は私のご親戚でいらっしゃるのですよね。私、血の繋がった方とお会いできてとても嬉しい!」


 錦濤の姫宮は健やかに年齢を重ねていかれたが、東宮時代にはいくつか波乱もあった。


 女の東宮など許せないと主張する勢力もあり、政争で東宮位を廃される寸前にまで追い込まれたこともある。その度に清穏帝と佳卓、兄の左大臣とで女東宮をお守りしてきたが、姫宮ご自身も試練を乗り越えるたびに、より強靭な女君に成長なさり、帝はそんな姫宮について「年々、未来の帝にふさわしくおなりになる」と賞賛を惜しまなかった。


 一方で、清穏帝は后をお一人迎えた。芙貴が仕えて来た女院である。


 清穏帝は子を儲けないとはっきり宣言されていたので、どの貴族も娘を入内させるのを控える中、「そうはおっしゃっていてもいざ皇子ができたら心変わりされるのでは」と強引に娘を入内させた者がいた。恋人と別れさせられた経緯を清穏帝が哀れみ、後宮で死別した恋人を偲んで過ごせるようにお声をかけられたのだ。  

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