第75話 清涼殿の月(二)

 この女君が入内する直前の錦濤の姫宮は「主上にお后様が来るのね。どんな方なのかしら」と気にしておられた。「入内されたら昔の恋人を忘れて主上を好きになられるかもしれないわ。それが主上の幸せなら、私が何も言うことはないけど……」と憂い顔でおっしゃる。そのご様子を佳卓は、帝と兄妹のように仲良く過ごす毎日がこれまでどおりとはいかなくなるのを淋しがっておられるのだと思っていた。


 その一方で、姫宮は「でも私は帝位につく立場で、それはどんな方が入内されても変わらないわね」とも真剣な顔でおっしゃる。


「どういう意味でございますか?」と佳卓が問いかけると、こうお答えになった。


「この世でこの国の帝なのはたった一人よ。人から主上と呼ばれる立場はとても孤独なの。この辛さや寂しさを分かち合えるのは主上と私だけだわ」


 その先は、姫宮が自分で自分に言い聞かせていらっしゃるようだった。


「お后を迎えても、主上と私との間には特別な絆があるのよ……」


 清穏帝と后の間が友情のようなものに落ち着くにつれ、姫宮も后と仲良く、互いの殿舎を行き来するような仲となられた。


 後宮に女君が二人。どちらとも男女の仲ではなかったが、清穏帝はこの二人を「私の愛しい家族だよ」と呼び、後宮で過ごす時間は笑っておられることが多くなった。


 いつか佳卓に仰せになったことがある。


「佳卓。私は不幸なばかりの帝ではないよ。后もいるし、成長を見守るべき娘のような姫宮もいるのだから」


 そのお言葉に「錦濤の姫宮とは親子というより、兄妹というご年齢かと存じますが」と冗談交じりでお答えすると、帝は「いや、親子だよ」とおっしゃった。その声の微妙な響きを佳卓は後々思い出すことになる。


 錦濤の姫宮は大人の女君となり、やや遅めの裳着の式もお済ませになった。それ以来、帝は隔てを置かれるようになった。


 けれど、それまで生きる活力を錦濤の姫宮から得ていらっしゃったせいなのか、この頃から帝は病に伏すことが多くなられた。


 これが最後の病となるだろうと思われたとき。佳卓は兄の左大臣と相談しつつ、東宮である錦濤の姫宮に申し上げた。


「今回の病はご回復が難しいやもしれません。どうぞ御代替わりのご覚悟もなさいますよう」


 姫宮は大粒の涙をぼろぼろと流された。


「主上が……主上がこの世を去ってしまわれるの?」


「……まことに残念ながら……」


 姫宮は、日頃の明るさや強さを全て失ったように、打ちひしがれてしまわれた。

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