第73話 龍呼ぶ妃(五)
「貴方が日立新帝の皇子? だけど貴方は……」
養父と血のつながりがないって言ってたじゃないの。そして実の親を探していたはずだ。そう言いかけて慌てて口をつぐむ。
驚天動地の事態ではあるが、日立新帝と東宮が実の親子ではないなどと、おいそれと口にできることではない。それを忘れるほどには、芙貴は度を失ってはいなかった。
ポツリポツリと雨が降りはじめた。一つ一つの滴が大きく、そしてその数が増えていく。間もなく本格的に降り始めるだろう。人々は明るい顔でそれぞれの家に戻っていく。
空を見上げれば天高く、雲居を龍の影が楽しそうに動き回っていた。
青海が……いや東宮が同じ馬に乗る芙貴の耳元に囁いた。
「本降りになる前に内裏の東宮御所に入ります。馬を急がせますよ」
「え、ええ……」
芙貴は振り向いて、上背のある彼の顔を見上げた。
「あっ!」
「なんですか、芙貴さん」
「いや、あの……青海……じゃなくて東宮様、先ほどから私を芙貴さんてお呼びになりますけど。東宮様なのにその言葉遣いでいいの……ってか、よろしいんですか?」
彼は少し考えてから、ふっと笑んだ。親しくなってときどき見せる微笑みと同じだった。
「二人で会話しているだけなら、好きなようにしていていいんじゃないでしょうか。私は変えたくありませんね。芙貴さんはどうです?」
「そりゃあ今までどおりの方が楽しいですけど……。でも、貴方はまごうかたなき東宮でいらっしゃる」
「佳卓によればそうらしいんですが、芙貴さんもそう思いますか?」
芙貴は周りに聞こえないよう、首を伸ばして彼の耳に囁いた。
「天叢雲剣からあれほどの霊力を引き出せる……。貴方は七條家の中でも特別に帝室に近い人……清穏帝の皇子なのだと思います」
ならば日立新帝よりもこれまでの皇統に近い。それは彼も聞かされていたらしい。
「ええ……。佳卓がそう申していました」
ただ、と彼は付け加えた。
「となると母君が誰か分からない」
芙貴は首を振る。
「私……たぶん母君が誰か分かったと思います」
むしろそちらが分かったからこそ、青海が清穏帝の皇子だと納得がいったと言えるかもしれない。
彼は目を見開き「そうなんですか? 誰です?」と問うてきた。
「想像が外れていては大変ですから、佳卓様に確認してからお知らせします」
芙貴は生まれて初めて朱雀門から大内裏の中に入った。近衛大将佳卓が中の衛士たちにてきぱきと何事かを命じ、芙貴は用意された
「『龍呼ぶ妃』様、このたびはまことにおめでたいことにございます」「貴女様のおかげで雨が降り出し、夏の暑さも吹き飛んだよう」「この今様色の襲。お若い姫君によくお似合いですわ」
芙貴もその襲は大好きだが、今はそれどころではない。「あの、とにかく急ぐので」と身支度を簡単に終えてもらい足早に東宮の元に向かう。
その途中の簀子縁の中ほどに佳卓が一人で佇んでいた。芙貴もついてきた女房をそのまま待たせて一人で彼に歩み寄る。 佳卓が首を下げ、芙貴にだけ聞こえる小さな声を出した。
「人払いは済ませております。東宮様によれば、貴女様は東宮様に実の父君だけでなく母君についてもお分かりだとおっしゃったとか」
「ええ……」
芙貴は、頭を戻した佳卓を見上げ、緊張しながらその名を告げた。
佳卓はしばらく瞑目し「おっしゃるとおりです。では、これから私から東宮様とお妃様に昔話をすることに致しましょう。どうぞこちらへ」と芙貴を母屋へといざなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます