第69話 龍呼ぶ妃(一)
厚い雲で辺りが夕暮れのように薄暗い中、沙智媛が持つ宝珠が今は白っぽく色を変えてぼうっと輝いていた。森から月に見えたのはこの光に他ならない。
「兄さん、媛、追いついたわよ!」と芙貴が二人に声をかけ、佳卓には「佳卓様、どうしてこちらに?」と問いかけた。
佳卓は沙智媛から視線を動かさず、声だけで芙貴に答える。
「堰を切れば水が川下に流れる。急に水が花藻川に流れ出せば、知らずに川べりにいる人間が危ない。だから一足先に京域まで下りて水が来ることを触れて回っていた」
「……」
「花藻川に水が来て民たちは大喜びだ。ほら、歓声が聞こえるだろう?」
耳をすませば多くの人が騒ぐ声が聞こえてくる。少しずつ大きくなっているようなのは、どんどん人が増えているからだろう。
佳卓が媛に向かって言う。
「青海殿を追って上流に戻ろうとしたら、沙智媛が宝珠を使って龍を連れてきた。我々朝廷にとっては貴女が『龍呼ぶ妃』だ」
そうか。このまま沙智媛が宝珠を手にして龍を京の都に連れて行けば、京の民にとっては彼女が「龍呼ぶ妃」ということになる。高僧の予言はこのような場面を指していたのか。
しかし、それには倫道が吼えるような声で抵抗する。
「だから! それはそうだけど、媛は『龍呼ぶ妃』なんかじゃない。たまたま宝珠を手に入れたから、龍を連れて来ただけで!」
媛を離したくない倫道と佳卓で押し問答になっていたらしい。
「珠を持って龍を連れてきた女君なのだから、『龍呼ぶ妃』なのではないかね?」
「だけど!」
せっかく倫道兄さんと媛が一緒になれそうなところなのに。芙貴だって二人がこんなことで引き離されて欲しくない。けれども、予言された「龍呼ぶ妃」が目の前にいるのに「いない」とする理由は佳卓に無い。それどころか、日立新帝──いや年回りからいえばこの場合は東宮──が『龍呼ぶ妃』を娶ることは新しい皇統の権威と正当性を高めるために必要でもある。
芙貴は「佳卓様!」と呼び、それから表情をぐっと引き締めた。
「龍を呼び出したのは媛じゃありません。私です。今ちょっと宝珠を媛に預かってもらっているだけで、媛が龍を呼んだんじゃありません。私が『龍呼ぶ妃』です」
「芙貴!」「芙貴さん!」と倫道と沙智媛が同時に叫ぶ。
「だって、そうでしょ? 私が宝珠を高く掲げたから太陽が翳って光の鱗が現れたんだから。呼び出したのは、わ・た・し」
「だけど、それじゃ芙貴さんが東宮妃になってしまいます」
芙貴はできるだけ軽い調子で応えた。
「うん、なるわ」
「芙貴、お前……」と言ったきり、倫道は言葉が出てこない。
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