第68話 宝珠(六)
倫道が「立ち止まるな! 嶺上は俺たちを足止めしようとしてるんだ!」と怒鳴り、自分が先頭に立つと木立の奥に進路を取った。沙智媛が続き、芙貴も再び走り始めたとき、嶺上が腕をあげて振り下ろした。
ヒュっという音に続いて蔓が伸びるびいんという音。後ろを振り返るとさっきまでちょうど芙貴が立っていた場所に結界が張られていた。
芙貴は少し戻ってぺたぺたと透明な壁を確かめる。
「何やってんだ、芙貴。急ぐぞ!」「芙貴さん!」
芙貴は二人に追いつくと、珠を媛に渡した。
「これ持って先に行ってて。私が嶺上を引き留めるから」
「そんな!」
「大丈夫、大丈夫。灌木の茂みを揺らしてそこにいるふりをするだけ」
「そんな……芙貴さんを置いて行けません」
「すぐに追いつくから。万が一捕まっても、私なら嶺上だって何もしやしないわ。だけど、媛、貴女が嶺上に捕まったらもう二度と外には出られない」
「でも……」
芙貴は倫道を見た。
「私はあんなマヌケに取っ捕まったりなんかしないけど、もしそうなっても兄さんが助けてくれるよね?」
倫道が答える。
「ああ、絶対に助ける。助かるはずだ。青海も佳卓様も、女院も錦濤院も総力を上げて芙貴の身柄の返還を求める。そうならなくたって俺が何とかする」
「うん。まあ、そもそもあんなバカに捕まるヘマはしないけどね。さあ、兄さんと姫は宝珠を持って龍を連れて先に行っていて」
「おう!」
ためらう媛の手を取って、倫道が走り出す。
芙貴は後ろを振り返ると手近の灌木をぎしぎしと揺らし、すぐに前に駆け出した。案の定、揺れている枝めがけてヒュっと気配が飛んでくる。
「バーカ」
芙貴は走りながら、なるたけ長い棒か何か落ちていないか目で探した。使えそうな枯れ枝が落ちていたので、それを拾って、腕を伸ばしてその枝先をずっと後方の樹木に押し付けてぐいぐいと押す。その樹の近くに人がいると思った嶺上が気配を飛ばして結界を張る。
芙貴は駆けては立ち止まり、後ろの灌木や枝、笹の茂みを揺らして嶺上の注意を引きつけた。
そのうち、対岸の下流から馬の蹄の音が近づいてくる。
「青海!」
堰を切った青海が馬で駆けつけたのだ。もう大丈夫だ。大学寮で男に攫われそうになったときだって青海は助けてくれた。東国仕込みの武芸の腕もある彼なら、相手にどんな手荒な真似をされようと負けることはないだろう。
もう嶺上の結界を逃れる必要もない。芙貴は視界の開けた川の岸辺を走った。
前方遠くの空に、沙智媛を追う龍の影が見える。あちこちから現れた雲がその後に続く。その雲は黒みがかった雨雲で、遠雷の音もかすかに聞こえてくる。
──ああ、これで京域に雨が降る。
目の前に山のふもとの貴花藻社の森が見えてきた。鬱蒼とした森の中は雨雲で空が翳っているのもあいまって、樹々の間が薄暗く足下が見えにくい。けれど、その暗い森の行く手に月のような光が現れた。
なんだろうと思いながらその光を頼りに森を抜けると、貴花藻社の鳥居の向こうに人が三人立っていた。芙貴より先に山を下りた倫道と沙智媛、その二人の前に佳卓が自分の馬から降りて立ち塞がる。
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