第64話 宝珠(二)

 青海が静かに首肯した。


「私も芙貴さんに賛成です」


 芙貴は、まだ戸惑った様子でいる沙智媛と倫道に説いた。


「いい? この結界を破れるなら水への結界も破れる。そして媛と一緒に嶺上が比瑛山で龍を操っている術を手に入れる。そうすれば今の嶺上を退位に追い込める。媛は自由になって倫道兄さんと一緒になれる。遷都なしでも問題は解決する。そういう歴史になる」


 媛が「そういう歴史になる……」と繰り返し、芙貴を見つめてしっかりと首を縦に振った。倫道も媛と同じく歴史を学ぶことを愛する男だ。


「分かった……。そうだな。俺たちは史書を読むばかりじゃなく、史書の内容をつくる立場でもあるんだな。ならば、ここでやれることはやらなきゃならないってことだ」


「そうよ」と答えて芙貴は山頂の方角を睨みつける。


「嶺上みたいなクソ男に振り回されて終わってたまるもんですか」


 芙貴は次に三人の顔を見渡し、全員を奮い立たせるようきっぱり言いきった。


「やるわよ!」


 青海が微かながら笑んで見せ、そして「佳卓殿に天叢雲剣を持ってきてもらいます」と踵を返して内裏へ向かって駆けだした。


 芙貴は媛に「あのさ。目録を見なくてもどこに何があるか分からない?」と問いかける。

 こうなってはそんなものに目を通している時間も惜しかった。


「貴女の、その優れた頭脳で隅から隅まで記憶をたどってみて! 何かそれらしい物ってない? あと、それらしいもの物が収められてそうな容れ物とか、それが置いてありそうな場所とか……」


 媛は視線を落とし、唇を軽く噛んで自分の記憶をさらうのに集中し始めた。


 媛がそれに思い当たる前に、外に馬の蹄の音が近づき続いて佳卓と青海が駆け込んで来た。息を弾ませながらも佳卓は「待たせたね」といつも通りの気障な口調を崩さない。その手に華やかな螺鈿細工と繊細な金細工が施された太刀が握られている。実用に耐えられるか心配になるが、佳卓がスラリと鞘から身を抜くと刃こぼれ一つない鋭利な刀身が現れた。


「では、天叢雲剣に働いてもらうことにしようか」


 彼は結界の縄の下に椅子を持って来させると、太刀を手に椅子を駆けあがって天井へ向かって飛びあがった。そして無駄のない美しい動きで刀を振り下ろし、その縄を断ち切ろうとする。


 ──カン


 虚ろな金属音がした。刃は縄に弾かれ、佳卓の手から太刀がこぼれ落ちる。床に着地した佳卓は「やはり私ではだめか」と一瞬顔を歪めて呟いた。


「そりゃそうよね……」と芙貴は言いたい。先祖に内親王がいるからという程度の繋がりで使えてしまうようでは、朝廷の霊剣らしくないではないか。


「やはり、青海殿。貴方にお願いしよう」


 佳卓がだめなら青海がやってみることにはなっていた。しかし、こんな細い縄を切るのにもこの剣が全く歯が立たない様子を目の当たりにすると不安になる。青海がやっても同じことではないだろうか。そんな芙貴をよそに、佳卓の何かを言外に訴えるような眼差しを見つめ返した青海が、ゆっくりとうなずく。


 そして、青海は佳卓が取り落とした天叢雲剣を床から拾い上げようとした。その指先が触れたその瞬間、びいいんと空気が震える音が鳴る。


「な、何?」


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